2008年の日記

本部道場で取材を受ける
(2008年09月19日)

9月17日は、本部道場で、普段とは変わった取材を受けました。

死刑廃止の是非をテーマにした演劇の中で、上映するための映像を作るために、私にインタビューしたいということでした。

 元からの知り合いが出演するものであり、真剣な意図をもったものなので、その縁で受けさせていただくことにしました。「ぴあ」などを通しても、チケットが発売されると聞いています。

自分は、オウム真理教を通して、元教祖を盲信していた時代には、今刑務所にいる、かつての友人と同じように、仮に、あのときの自分が、絶対とされた元教祖に、指示されていたら、犯罪に手を染めることになっただろうと思って、ひかりの輪として、オウム・松本元教祖から独立して、反省と自己改革の日々を送っています。

当時の教団の中で、盲信に陥った信者には、元教祖は絶対的な存在であり、また、教団は国家権力・社会全般に不当・違法に弾圧されているという被害妄想があって、それと闘わなければならないという認識が広がっており、さらには、その闘いの中で、教祖の指示に反すれば、場合によっては、自分がポワされる(殺される)可能性もある立場でもありました。

自分も、元教祖に、元教祖の非合法路線に従わなければ、出家を辞めて、在家に戻るように言われたことがありますが、教団施設から離れ、在家に戻るということは、教団が製造する計画であった大量破壊兵器の犠牲者になる可能性があるということを意味していました。



その当時の私は、教祖の思想に疑問を感じつつも、さまざまな無知、未熟、弱さによって、それに打ち勝つことができず、帰依する道を選んだことについて、今は反省する日々です。その後、ひかりの輪を立ち上げて、独立するまでに、15年以上も費やしました。

また、オウムの中では、内部の信者の中にも、スパイや裏切りを疑われ、殺害された者が、3名いることが、裁判を通してが明らかになっています。また、過激な修行で事故死するなどした信者は、それよりもずっと多くいることも、わかっています。

仮に、サティアンのプラントで、大量のサリンができていれば、真の軍事兵器の専門家ではない者たちの活動ですから、不備な設備のために、流出が起こり、まずはじめに信者が犠牲者になっていたと思われます。

実際に、サリン事件の前年には、プラントからのガス漏れがありました。この大量製造のプラントでは、最後までサリンは生成されず、事なきを得ました。

また、地下鉄事件などのサリンは、実験室レベルでの少量の製造でしたが、その製造や管理にあたった信者などが、自ら被爆して、非常に危険な状態に陥ったことがあったことも、後からわかりました。その時、彼らは生き残り、後の地下鉄サリン事件に至りました。


 

私の場合は、95年の暴力団員に刺殺された村井氏の替わりに殺されていた可能性もありました。その暴力団員は、「(村井ではなくても)、誰でも(=上祐や青山でも)良かった」と供述していたことを知りました。

こうして、かつてオウムの信者であった私たちは、一つ間違えば、自分も死刑囚になった立場であり、同時に、教団の活動の犠牲者となった立場でもあり、そのいずれの場合も、天寿をまっとうできなかった立場になった、という、ある意味で、まれな立場にあります。

いや、本当のところは、どんな人でも、一つ間違えば、どちらの立場にもなるのが、人間なのかもしれません。例えば、アメリカのように、戦争をする国の国民などは、自分の本意に反して、人殺しにもなるし、殺されることもあるということができます。 

死刑廃止の是非をめぐっては、それが、ヨーロッパや国連を中心として、廃止が、国際的な潮流であるのに対して、日米中には、根強い反対があると理解しております。日本での死刑廃止への反対は、オウム真理教の事件の影響が、少なからずあると思います。その意味で、私達の反省・自己改革は、この問題の一端に関係している面があると思います。

そして、オウムの後も、最近の秋葉原での事件など、どんどん、死刑相当の事件が発生しており、日本の世論は継続的に、死刑制度の維持を指示する中で、日本の政治家の間でも、見解が分かれています。

当事者については、死刑囚やその周囲の人は、一部の変わった人を除いては、死刑の廃止を望んでおり、被害者・遺族の方々は、当然の如く、多くが、死を持って罪を償うことを望まれている、と思います。

こうして、国際世論、国連、諸外国、加害者、被害者・遺族、政治家といったさまざまな人々や集団の様々な見解・心情がぶつかり合っています。そして、世界が、すべての人が、一致する結論は、なかなか出ないだろうと思います。


 

その中で、私ができることは、オウム時代の反省を深め、それに基づく賠償の支払いなどの贖罪に努めつつ、二度と、オウム信者のように、本質的には真剣に道を求めた人たちが、その無知や未熟によって、道を誤り、多くの加害者と被害者を出してしまうことがないように、それらの問題を乗り越えた、新しい宗教・思想を作ることることではないかと考えています。

オウムではなくても、イスラムやキリスト教世界の昨今の宗教的テロリズム・原理主義の問題を見れば、一方では、他への献身・奉仕によって、人を苦しみから救う面がある宗教が、もう一方では、紛争・戦争・テロの最大の要因にもなっていることが残念です。

こうして、21世紀の世界において、そういった闘争が生み出す加害者も被害者も、できるだけ少なくしたいと思いながら、今日の取材を受けていました。

このお芝居の上演については、詳しいことがわかりましたら、皆さんにお伝えしたいと思います。

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