観音菩薩像が復活!不思議なシンクロ現象
(2010年09月28日)
(2010年09月25日の日記)
今、少し興奮しています。いや少しではないかもしれない。
以前にも、聖徳太子と縁を感じるという日記を書きました。その聖徳太子について調べ始めたのは2003年でした。その時、まず奈良飛鳥の地を訪れましたが、その時非常に印象に残ったのが、向原寺でした。
向原寺は日本最古のお寺とも言われ、寺になる前は聖徳太子や推古天皇の執政の地でもあり、今もその遺跡が目に見える形で残っています。また、かの有名な長野の善光寺の日本最古の仏像(秘仏の阿弥陀如来三尊像)も、まずここに祭られ、仏教に反対する物部氏に、池に投げ捨てられた後に、本田善光によって長野に祭られたと言われています。
実は、その際に善光寺秘仏と共に投げ捨てられた観音菩薩像があり、それは発見されて以降ずっと、この向原寺のご本尊となっていたのですが、36年前に盗難にあって行方不明となっていました。寺の住職さんは、その観音菩薩像が戻ってくるのを信じてずっと待っていたのですが、なんと、それがついに戻ってきたというニュースが飛び込んできました。
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/100924/acd1009242044002-n1.htm
しかし、興奮しているのは、これだけが理由ではなく、このニュースが、今日9月24日に上高地にいて私が瞑想して考えていたことと深くシンクロしていたからです。
瞑想の中で、私は、多くの日本人にとって、自分の仏性を引き出す宗教的なシンボルとなり得る人物がいるとすれば、聖徳太子に優る存在はないだろうと考えていました。太子は、日本仏教の始祖とも言える貢献をなし、観音菩薩の化身とも言われて太子信仰という文化さえ生み、古来日本人の精神的な支柱であり続けています。
そして、その太子を日本の観音菩薩という宗教的なシンボルとして、改めて強調すること、いわゆる蘇らせることは有益ではないかと考えていました。そして、私の太子探究の発端となった向原寺のこと、その聖徳太子や観音菩薩像のことを思いだしていました。
その直後に、正に、その向原寺に長らく観音菩薩像が甦った(戻ってきた)というニュースが入ってきたのでした。私には、自分の瞑想・思索と、そのニュースが、共に、観音菩薩(としての聖徳太子)の蘇りという点で共通しているように感じられ、すくなからず興奮を覚えました。こういった人の内面と外側の現象が一致する現象をシンクロニシティ(意味のある偶然の一致)と心理学では呼ぶのですが、非常に興味深い出来事でした。
もちろん、ひかりの輪は、人を神としない原則がありますから、聖徳太子を自分の仏性を引き出す宗教的なシンボルと考えることは、聖徳太子を神=絶対・完全と見なすことではありません。それは、多くの日本人が持つ聖徳太子にまつわる神聖なイメージを活かし、自分の中の神聖な意識(=仏性)を引き出す方便手段とすることです。また、太子がその化身とされる観音菩薩とは、そもそも、如来ではなく、如来になる途上の菩薩であり、弥勒菩薩と共に、未完=不完全な存在と解釈できます。
なお、聖徳太子は、私にオウム・アレフの信仰を脱却する上で大きな影響を与えた、京都は興隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像を祭るように指示した人でもあります(広隆寺は聖徳太子ゆかりの七寺の一つで太子自体を祭っている太子堂もあります)。その仏像の前で、私は非常に神聖な体験をし、それが私の大きな転機となりました。
今思うと、確たる証拠はありませんが、その神聖な体験も、ある意味で、観音菩薩(の化身としての聖徳太子)の祝福とも解釈できるのかなと思いました。深く集中して、半跏思惟像を見ていると、私には、何かの霊魂が宿っているようにも感じられました。
古来、日本の各地で太子信仰が生まれ、太子堂などが出来たのも、私と似たような体験があったからかもしれません。そう言えば、ひかりの輪が重視する悪人正機の教えを説いた浄土真宗開祖親鸞上人も、太子を観音菩薩として信仰し、その夢告に導かれたことで有名です。
さらに、天台宗開祖の最澄も、自分の宗派(中国天台宗)の始祖の生れ変わりが聖徳太子と考え、厚く信仰しました。その他、空海から日蓮まで、日本の多くの仏教宗派の開祖の信仰の対象でありました。
ともかく、今の日本社会は、精神的な支柱がないかのように見えます。人の心はその仏性から離れ彷徨い、様々な苦しみにあるように見えます。その中で、何かしら、人々の精神的な支柱となるものが現れるならばと思います。
それが、古き良き日本の伝統を創造的な再発見する形のものか、全く新しい道なのか、外側の宗教的なシンボルを活用した道か、内側の法則の修習なのかは、人それぞれに、宗教家それぞれに、色々な考え方、感じ方があるでしょうが。






