2008年の日記

マイミクならぬ、マイブッダはどなた?
(2008年10月07日)

皆さんは、好きな仏様、神様がいらっしゃるでしょうか。ないしは、最近は仏像ブームで仏像の雑誌も出ていると聞きますから、好きな仏像様などはありませんか?

ひかりの輪では、祭壇中央に釈迦牟尼、右に観音菩薩、左に弥勒菩薩を掲げています。ただし、人を神としないひかりの輪の原則に基づいて、こうして祭壇に掲げていても、釈迦牟尼さえも絶対視はせず、むしろ、釈迦牟尼が「私を拝むまず、自分自身と法を帰依処とせよ」と説いた彼の精神・理念への敬意を示すために、そうしている面があります。

そのため、こういった外側の仏陀・菩薩は、皆、自分達の中の慈悲・仏性を引き出すための神聖な象徴物・シンボルとして位置づけています。

さて、難しい話は別にして、話を元に戻し、自分が気にいっている仏像があって、それは、京都にある弥勒半跏思惟像というものです。国宝の第一号とされ、教科書などにも出てくる有名な仏像です。その美しさは有名で、東洋のモナリザとも言われています。

私は、数年前、その仏像を初めて参拝したときに、非常に素晴らしい精神的・宗教的な体験をしました。それはいわゆる神秘体験とか、変成意識の体験といったものではないのですが、
非常に神聖な意識・エネルギーを感じました。

神聖な意識とか、エネルギーといった言葉だけでは、到底言い表せないもので、なんと言えばいいか、そこには宇宙=コスモスのような無限の広がりと、広大でありながら非常に微細で甘みのある慈悲の波動を感じました。

 

 

それは、オウムでの霊的な体験が中心だった当時の私に、オウムの中での体験を上回るものがあることを実感させてくれ、その後のオウム・アーレフからの独立を可能とした要因の一つになりました。

私は、救済という名の下で、選挙から教団武装化まで、様々な激しい動き・活動が展開されたオウムの中で生きていました。

しかし、弥勒菩薩半跏思惟像は、1300年の間だ、じっと深く思索し、微動だにせずに静かにたたずみ、その神秘的なまでの美しさと神聖な慈悲の波動・エネルギーによって、何も言わないままに、私を含めた訪れた無数の人達の心を救ってきました。

 

 

こういった救済もあるのだなと思いました。それは、私にとっては、救済というもののあり方に関する、ある意味で革命的な意識転換のきっかけをもたらしました。

なかなか、その素晴らしさは言い尽くせませんが、人それぞれですから、自分にあっている仏像なのだろうとも思います。

つい先日、関西方面に行ったときに、再び参拝させていただきましたが、その時は、以前にも増して素晴らしい体験をしました。

 

 

 

 

仏像は、同じ仏像ですから、自分の内面の変化によって、感じ方が変わった、進化・深化したのだと思います。ある意味で、自分の心を、仏性を映し出す鏡のようになっているのだと実感しました。これからの修練を積みたいと感じました。

これが、私のマイブッダ(正確に言えば、マイ菩薩)ですが、皆さんが好きな仏様、神様、仏像様、ご神体などがあれば、是非とも教えていただきたいと思います。

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