聖地巡礼日記1 奈良東大寺
(2007年07月10日)
本日より、ひかりの輪で行っている、聖地巡礼の旅を日記にしたいと思います。
見ようによっては、人が忙しい間に、遊んでいるのではないか、という
ご批判を受けるかも知れません。しかし、ひかりの輪としては、松本氏から脱却した思想・宗教を古来からの聖地・大自然に求めて、真剣に取り組んできました。 この点、よろしくご理解願いします。
さて、今回は、7月5日に行った、奈良東大寺を取り上げます。
東大寺とその大仏が出来る前は、仏教寺院というと、貴族のためのものでした。
初めて、庶民、万民のための仏像・寺院として建造されたのが、この東大寺・大仏でした。
時の為政者である聖武天皇と、民衆に広く支持されていた僧である行基などが協力し、多くの民衆が工事に参加したとされています。
民衆の士気が低下し、工事が停滞した時には、聖武天皇が行幸し、自らの手でしきりに土を盛る様を見せて、民衆が鼓舞されたという感動的なエピソードもあります。
さらに、東大寺には、私が、特に縁を感じる不空羂索観音という仏像があります。
これは、多くの姿を持つ観音様の一つの姿です。 そして、羂索とは、「けんじゃく」と読み、ちょっと(ネットの)検索に音が似ていますが、その意味も、あみとつなという意味で、英語で言えば、正にネットになります。 ネットの観音様、となれば、面白いと思いませんか。
とはいえ、今回は、奈良の大仏と不空羂索観音の参拝という本題に入る前として、皆さんのリラックスのためにもお伝えしたいのが、鹿の話しです。
鹿は、仏教では聖なる動物とされます。釈迦が初めて法を説いたとき、五人の男性と鹿がその法則を説いた、という伝説もあります。そのため、鹿野苑という言葉もありますね。
そして、今回ご紹介するのは、東大寺 を含む、奈良公園にたくさん棲んでいる、
かわいい鹿達です。
彼らは、特別に保護されているのだと思いますが、至るところにいて、そのため、少々困るのが、鹿の小さな丸い糞も、たくさん転がっていました。 私は、鹿とコミュニケーションを試みました。
ここの鹿達は、普通の鹿よりもずっと人間に慣れていて、怖がることが少ないのですが、下記に掲載した携帯写真は、私が、徐々に鹿に慣れ、コミュニケーションに成功?する様子を示しております。
1日目の聖地巡礼日記は、宗教的なことに関心のある方には、拍子抜けかも知れませんが、スペースの関係上、残念がながら、これでおしまいとなります。
次回は、もうちょっとシリアスに、宗教的に、神秘的に行きたい、と思います。
予告すると、「聖地巡礼日記2 東大寺、奈良の大仏の神秘と慈悲」というタイトルとなります。
それから、見ると、かわいい鹿についても、自然環境保護と絡めて、深い話しがあって、次回以降に、そのお話をしたいと思います。