日記

聖地巡礼日記6 榛名神社、水沢観音
(2007年07月19日)

今回は、7月12日に参拝した榛名神社の紹介です。
榛名神社は、以前、友人から、パワースポットである、と聞いて、書籍などで読む内に関心を持っていたのですが、今回は、ちょうど参拝する機会が得られました。

この神社が祀る神は、火産霊神(ほむすびのかみ)と埴山毘売神(はにやまひめのかみ)です。火と土の神とされていますが、それ加えて、雨乞いをした神様もいるので、土=地、水、火の三神が揃っています。

また、古来から修験道(山岳仏教)の聖地ともされてきたそうです。
















神社の境内は、林の中を登っていく形で、近くの谷に川が流れており、全体として、評判通り、なかなか気持ちの良いところでした。中には、相当の巨木をもあり、感じとしては、同じ修験道の聖地であった戸隠にも似ています。
















そして、本殿に到着する頃になると、榛名神社の特徴である、たくさんの巨岩が見えてきますが、これが圧巻でした。
















垂直に切り立った、何十メートルもの岩々が、周囲を囲む中で、岩のすぐ真下に、社屋がある構造になっています。
















特に、本殿の真上の岩は、上部がくびれており、そこが折れ、それより上の部分の岩が欠け落ちると、社屋を直撃しかねないスリリングな形です。そのため、この神社は、自分の感覚としては、岩の聖地という感じですね。
















さて、榛名神社の後は、近くにある有名な榛名富士という山と榛名湖に行きました。 榛名富士は1300メートルの山ですが、富士山と非常によく似た形で有名です。

その日は、雨模様でしたが、榛名湖の湖面には、榛名富士の姿が、逆三角形に綺麗に映し出されていて、非常に見事でした。
















また、山頂に登ってみると、最初は、霧が立ちこめて何も見えずに、困っていたのですが、次第に霧が晴れて、周囲の山々が雲海の合間から現れてきました。
















最後は、幻想的な雰囲気になりました。榛名山と榛名湖の周囲には、ちょうど取り囲むように多くの山があります(外輪山とも言われています)。

さて、近くには、水沢観音という寺がありましたので、ついでに参拝しました。推古・持統天皇の時代に出来た伝統的な神社です。
















名前の通り、水を神聖視して、観音様と結びつけていますが、特に自分の目をひいたのが、信者が掲げていた、次の文章でした。これは、自分もよく考えることなのですが、古代の人は、自然を神聖視しましたが、水を含めた、自然のあり方からは、大いに学ぶべき、尊い部分がある、と思います。

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●水の五徳

五徳とは水の五ツの徳を称えたるもので、

1.常に己れの進路を求めてやまざるは水なり。
1.自ら活動して他を動かすは水なり
1.障害に逢って其の勢力を倍加するは水なり。
1.自ら潔くして他の汚濁を洗い而して、清濁併せいるは水なり。
1.洋々として大海を充し、発しては雲となり雨と変じ凍っては玲瓏たる氷雪と化して、其の性を失わざるは水なり。

即ち観世音菩薩の能く世間の苦悩を除き、一切の生命を生かさんとする観音精神より出でたるものであります。

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水の徳性を観音精神と表現しているところに、大自然を仏を結びつける、日本人独特の宗教観が現されていると思います。普段から自分が探求している思想なので、これだけでも、立ち寄った価値がある、と思い嬉しくなりました。
















自分なりに表現すると、水の徳性には、すべてを育む、というイメージがあります。すべての生命が海から産み出され、今も海や川は様々な生き物を湛えており、また、人間も、胎児は羊水に包まれ育ち、穀物の栽培には雨水が不可欠で、自分の体の7割が水であるなど、水と生命は不可分です。

また、すべてを育む徳性がある一方で、水は、一見して柔らかいのに、時には岩をも砕くことがあります。榛名神社の巨岩の形も、長年の雨風が変えてきたのでしょうし、その辛抱強い繰り返しによって、ないしは、時には、水が大量に集ることで、ものすごい力を発揮します。

こうして、愛と力を兼ね備えた水の徳性が、それを地球で最も重要な物質の一つにしており、それ故に、古代人には、神として、神聖視してきたのだろうと思いますし、それは単なる幼稚な原始人の発想ではなくて、現代人の私たちも、何か重要なことを学ぶことができ、感じることができるものだと思います。


私の場合は、こういった大自然との触れあいは、かつてオウム真理教において行った特定の人物を絶対視する信仰から、自分を徐々に解き放っていく手助けとなり、その意味で、確かに、大自然が、自分の新たな師、導き手になったのでした。

さて、次回は、いよいよ、日光を取り上げます。

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