日記

聖地巡礼日記9 日光・観音信仰の発祥地 千手が浜
(2007年07月25日)

今回ご紹介するのは、勝道上人が、観音菩薩を見た場所として知られる、中禅寺湖の、千手が浜です。
この千手が浜と言われるのは、勝道上人が見た観音菩薩が、千の手を持つとされる、千手観音の姿だったためです。

そして、この地で、勝道上人が観音菩薩を見たからこそ、日光を観音の聖地として開山して、今日に至るわけですから、ここは、日光の貫の信仰の発祥の地とも言うべき聖地でしょう。

さて、前回、ひかりの輪と日光の不思議な地理的関係についてお話ししましたが、千手観音と言えば、ひかりの輪が祭壇に掲げいてる三つの仏陀の一つです。釈迦、弥勒、観音の三仏を掲げていますが、観音は、千手観音の御尊像を飾っています。


さて、では、千手が浜のご紹介をしましょう。

千手が浜は、マイカー規制など、特別に自然環境が保護されているエリアにあるため、遊覧船か、専用バスではなければ行けません。 そして、行ってみればよく分かりますが、ともかく美しい所です。















ただし、ポイントは、千手が浜の中でも、バスターミナルや船着き場から20分ほど歩いて行った、勝道上人が観音菩薩を見たとされる場所が最高です。そこには、以前は千手堂と呼ばれる建物があったのですが、今では跡地になっています。

















私が行ったときには、そこには余り観光客が来ず、静かでした。そして、湖の水は、エメラルド色でとても美しく、所々に、小川が流れていました。

 
















また、湖の浜のすぐ近くまで、豊かな森林がせまっていて、その中には、一部には、花畑のような所もありました。



















さらに、湖畔から眺める男体山などの山々も非常に美しく見えます。
















こうして、湖、小川、森林、花々、山々、と、自然の美が、全て揃ったような場所で、雰囲気としては、まるで、おとぎ話に出てくるような場所のように感じる人もいることでしょう。


















私は、ここの小川が流れ、花が咲いてる場所で、瞑想しましたが、心が解放されるような体験をしました。また、湖畔で瞑想している時には、大きな暖かいエネルギーが感じ、これが観音菩薩の心かなあ、とも思いました。
















ともかく、私が、これまでの訪れた聖地の中で、美しさにしても、雰囲気にしても、特級の聖地です。

それから、ひかりの輪のスタッフのOさんは、ここで瞑想している間に、不思議な体験をしました。彼女は、千手観音のヴィジョンを見たのですが、その姿が、その翌日に初めて見学した中善寺の有名な観音像とそっくりだったのです。

実は、この観音像は、勝道上人が、千手が浜で見た観音菩薩の姿を木に彫って造ったものとされていますから、Oさんは、1300年前の上人と非常に似た体験をした、ということになります。
 
















もちろん、Oさんは、ヴィジョンを見る前に、中善寺の観音像を写真でも見たこともありません。今後とも、しっかり修行すれば、ひょっとすると、勝道上人のようになれるかも?しれませんね。

さて、ここでは、興味深い人との出会いもありました。この千手が浜に長年住んでいるIさんです。彼は、ここの自然環境を守るために、訪れる人に熱心に語りかけ、理解を求める活動をしています。
















Iさんが言うには、鹿の害が、日光では問題なのだそうです。鹿が、多くの木々を食べてしまい、木や花が減っていき、また、木を巣とするウグイスが減って、ウグイスが食べる毛虫が増え、日光の自然のバランスが崩れてしまうのだそうです。野生動物の保護や自然環境の保護に関する政策が、ある意味で裏目に出ている、ということです。


















Iさんの話を聞く前なら、不殺生を説く仏教を実践する私は、狩りを禁止して、鹿などの野生動物を保護する政策に賛成でした。しかし、彼の話を聞いて、政府の政策として大規模に行う場合には、何ごとも、自然の微妙なバランスを理解する智恵が必要だ、と思いました。

例えば、鹿を殺さないこと自体は良いことだとしても、鹿を食べずに、かわりに、家 畜の牛や豚を殺して、その肉を食べるのであれば、同じように殺生となります。そして、鹿が草木を食べれば、草木の生命は失われます。


















そして、草木の減少は、日光の美しい自然は元より、少し理屈っぽくなりますが、地球温暖化問題を加速させる要因となります。また、鹿の替わりに、牛の肉を食べることを増やせば、牛を飼うために森林を切り開いていることが、温暖化問題を加速していることもあります。

こうして、人間の観念的な見方や偏った見方で、動物保護や環境保護政策をとり、大自然全体のバランスを見失えば、逆効果になる場合もあるのでしょう。ましてや、観光地としてアピールせんとする商業主義的な思考がその背景にあれば、なおさらでしょう。
















ミクシィのコミュニティでの議論でも、私は、ひかりの輪が重視する理念・教義として、バランスというものがあるとしていますが、今回は、その具体的な例を実体験したように思いました。

なお、釈迦は中道思想で有名で、聖徳太子は和の思想で有名ですが、これは両方ともバランス・調和のことだ、と私は考えています。そして、仏教た説く悟りの「智慧」とは、物事の全体を直感的に捉える智恵だ、とも言われることがあります。

最後に、Iさんの話で、もう一つ印象に残ったことがあります。それは、勝道上人が、日光を観音浄土と感じたのは、美しい山や湖の自然のためだったんではないか、ということです。というのは、華厳経で説かれる観音浄土のポタラは、山の上に湖がある美しい世界として描かれているのです。


















彼によると、かつては、男体山に美しい花々が咲いていて、そこに行くと、その場を去りがたいほどだった、と言います。もちろん、日光の伝統的な見解は、勝道上人が、観音様の姿を見た、ということになっています。しかし、Iさんの見解は、非常によく分かるような気がしました。それが千  手が浜でした。



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