日記

国立博物館で大徳川展を見て(2007年12月6日)
(2008年01月29日)

12月1日に、上野の国立博物館に行って、大徳川展を見ました。
「大」徳川展と銘打たれ、二度は無いという宣伝でしたが、確かに、各地から取り寄せた、徳川家の物品が展示されていました。
その中で、一番印象に残ったのは、徳川家光が見た、徳川家康の霊夢を家来に書かせた絵でした。

何故、印象に残ったかというと、それが、12月17日という自分の誕生日に書かれていたものだったからです。
もちろん絵は何枚もあり、他の日付のものもありましたが、12月17日付けのものだけは2枚あり、同じ日に二つの霊夢を見たようです。

なお、家康の命日が4月17日、家康を崇敬したと言われる
家光の誕生日が7月17日なために、家光は17日が好きで、
12月以外にも、1月や5月の17日の霊夢の絵がありました。

家康が生存中の絵は、当然の如く人間家康を意識したものでしょうが、
家康の死後の霊夢は、死んで東照神宮という神に祭り上げられた
家康のイメージを投影したものだと思います。
(なお、仏教的には、家康が、戦国の世を終結させたこともあり、
東照神宮は、薬師如来の化身とされます)

以前にも書きましたが、家康の墓の日光東照宮の真南に、
自分の住むマンションが位置していることなどがあり、
今回の誕生日と同じ日の霊夢の絵も含めて、
家康には、 何かと関心をひかれます。

さて、上野の博物館を出ると、
徳川家・江戸時代にゆかりのある神社・仏閣が多く存在しています。

上野の寛永寺、そして、上野の東照宮など。
徳川時代に江戸を守護するために、
江戸の鬼門(東北)にあたる上野には、
京都(の東北)を模して、多くの宗教的施設が作られました。














寛永寺は、京都の比叡山を意識したもので、
東叡寛永寺と言いますし、琵琶湖の弁財天社を模した、
不忍池の弁財天や、清水寺を模した清水観音もあります。














ただし、上野東照宮は、日光東照宮との関連ですね。
また、少し足を伸ばすと、賑やかな浅草寺の観音様があって、
この地域は、なかなか興味深いものです。














家康の話しに戻りますと、彼について、私が一番好きなのは、
やはり、 「人生重き荷物を背負いて、 遠き道を行くが如し、
急ぐべからず、不自由を常と思えば、 不足無し」
という有名な彼の遺訓です。

この日も、上野東照宮を参拝した際に、この遺訓の写しを見て、
深く感じるものがありました。
旧団体の事件の賠償の返済も、これからですので、
辛抱強くやっていきたい、と思います。

なお、大徳川展自体は、12月2日で終了してしまった、
と聞いています。関係者皆様の労苦に感謝致します。

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