2007年03月

  • 島田氏の中沢氏批判について (2007年03月28日)

     島田裕巳氏が、かつて一時的に松本氏を擁護した中沢新一氏とその著作である『虹の階梯』を批判する著作(中沢新一批判ないし宗教的テロリズム)を近日中に発刊する、という話を聞きました。

     中沢氏は、日本のチベット密教研究者(ならびに修行者)として第一人者であると思います。そして、チベット密教ニンマ派の教義と瞑想修行を解説した『虹の階梯』は非常に有名になりました。

  • 地下鉄サリン事件から12年目を迎えて (2007年03月20日)

                           上祐代表・新団体準備グループ一同

                                 2007年3月20日

     地下鉄サリン事件から12年目を迎えた今日、私たちは、事件のご遺族・被害者の皆さま、そして多大なご迷惑をおかけした公的機関、一般国民の皆さまに対して、あらためて深くお詫びを申し上げます。

     振り返るに、私たちのこの12年間は、事件に対する真の反省からは、ほど遠いものでした。先日、宗教団体アーレフから脱会した私たちも、アーレフにいた長らくの間は、かつての元教祖などへの愛着のあまり、事件から目を背け、ご遺族・被害者の皆さまの苦しみに目をつむり、真剣な反省を回避してきたことを、ここに正直に懺悔しなければなりません。

     一人の人間を神と見立てて絶対視し、「教団を善・社会を悪」と見立てる善悪二元論的な考えにとらわれた結果、私たちは無智と傲慢に覆われ、地下鉄サリン事件のような残虐な事件を引き起こす教団を作ってしまいました。
     さらには、その後も、その考えからなかなか抜けられなかったため、真の反省に至ることができず、ご遺族・被害者の皆さまをはじめとする多くの方々の心を傷つけ続けてきてしまいました。
     
     私たちのグループは、各々の経験や反省に基づいて話し合いを続けた結果、この約2年半のうちに、ようやく上記のような総括の入口に至ることができました。それは、あまりにも遅すぎる歩みでした。この間、私たちは、アーレフの信者全体への説得も続けましたが、不徳のゆえ力及ばず、今般脱会して、過去の反省に基づく新しい道を歩ませていただくこととしました。

     私たちはかつて、皆の力で誤った信仰に陥ってしまい、多くの方々を不幸にしてしまいました。
     ですから、今度は、皆の力をあわせて、外部の方々の厳しいご意見・ご指導を頂戴しながら、かつての失敗を組織的・体系的に教訓化し、決して対立や闘争や事件を生み出さない新しい考えに基づき、行動してまいります。そうすることによって失敗から立ち直り、償いを果たしていきたいと思います。

     そして、まことに申し訳なくも停滞している被害者賠償のお支払いを全力をもって進めさせていただくとともに、許されることならば、ご遺族・被害者の皆さまへの直接のお詫びを進めていきたいと考えております。

     最後に、亡くなられた方々のご冥福をお祈りし、関係者の皆さまに深くお詫び申し上げるとともに、いっそうの贖罪に努めていくことを決意させていただきます。

  • 3月18日 (2007年03月18日)

    3月18日
    昨日は名古屋、今日は大阪に来ています。例によって、信者ならびに道場を訪ねてこられた方と話すためです。
    サイトには、オウムの総括の最初の部分の掲示が始まりました。ご関心あればご一読下さい。今後も内容が増えていく予定です。一度には書ききれませんので。
    新団体発足までには、自分の責任を明らかにするためと、社会全体にお伝えする重要性がある、と思うことについては、だいたいの部分を書き終えなければならない、と考えています。

  • 3月15日の日記 (2007年03月16日)

     今日は、他の宗教の教祖の方と話す機会がありました。いろいろ、学ばさせてもらいました。
     
     高齢の女性で、病弱で学校にも行けず、しかし、20年くらい前に信仰に目覚め、他を許し、他に与えることを中心に実践されているそうです。

     ともかく、男性・大学出・健康体の私とは全く違うキャラクターでした。

     しかし、現在、宗教が互いに争って世界をおかしくしており、宗教が変わらなければならない、という点では、意見は一致しました。その最たるものが自分が没入したオウムでした。

     ところで、最近マスコミにも出て、そして、ミクシィを初めて、感じることですが、私が批判されるのは、過去の罪のためとしていいのですが、しかし、私以外の人と人の間でも、互いに批判し合うことが、相当に多いなあ、と思いました。

     私と違って、ミクシィやその他のネット世界に参加されている人は、みな、オウムのようなテロリストではないし、もしかしたら、ちょっと警察に捕まっちゃった経験があっても、私たちよりずっときれいな人たちの集合体ですから、互いをほめ合ってもいい人たちだと思います。

     私たちは、とうていほめられるべき人間ではないのですが、だからこそ、いっそう、他の方々は互いにほめられて良い人間だ、と思うんですよね。

     それとも、ネットだと、批判はしやすいが、称賛はしにくいのだろうかなあ。いや、やっぱり称賛より批判をする方が、パソコン以外の日常生活でも多くて、生活全体が、社会全体が、批判優位になっているのかもしれないな、と思います。

     実際、やってみると、称賛するのは、批判するより難しい面もある。相手の良いところを見つける力がないと、まとまな称賛はできないし、自分にストレス、いらだち、卑屈、嫉妬があると難しい。

     ただ、全く称賛がないと、成長するのが難しい人は、少なからずいる、と思います。自分の団体代表としての反省からそう思います。

  • 記者会見を終えました (2007年03月09日)

    3月9日

    とりあえず記者会見を終えました。

    その記者会見でも説明しましたが、オウム事件の反省を背景としながら、なぜ、解散をせずに、新団体としての再出発となったのかについて、自分の宗教的視点ではなく、社会的な視点から、「新団体について」のコーナーに改めてまとめてみました。大切なことだと思うので、読んでいただければ幸いです。

     今の心境としては、ようやく、新しい道が始まったな、という感じです。今までは、オウム時代の流れを断ち切れず、ある意味で、まともなことは何もできなかった、事件以来の12年間でした。皆さんにも多大な迷惑をおかけしましたことを改めてお詫び申し上げます。

     とはいえ、12年間の間、色々経験しました。男性の一番弟子として、オウム・麻原氏への没入が激しかった分だけ、それから脱却し始めるのは時間がかかりましたが、同時に、それは、脱却し始めるために払った努力も多かったことを意味しており、今後の努力のいかんによっては、全く無駄ではない面もあるか、と思います。

     なお、今後、出来るだけ多くの方と意見交換をしたい、と思い、いま噂のミクシーも始めました。
     URLはこちらです。 http://mixi.jp/show_profile.pl?id=10236634

  • 本日のご報告 (2007年03月06日)

    3月5日

    今日は公安調査庁に行って、まもなく脱会する旨説明しました。
    また、新団体としては、住民の不安の除去を最優先し、
    観察処分に協力する意思を伝えました。

    それから、賠償を行なっている破産管財人にも面会しました。
    新団体としても、賠償を継続することを約束しました。
    新団体設立後に、管財人と賠償契約を結びます。

    その後、同じマンションに同居する住民の方々に、説明会を行いました。

  • 愛著による妄信 (2007年03月04日)

    3月4日

    昨日お話ししたことは、私だけでなく、
    多くの信者もそうだ、と思います。

    信者の中には、元代表が、
    世の中で一番自分を愛してくれた存在だ、
    元代表が、一番自分のことをわかってくれた、
    と思う人が少なからずいます。


    一般の方から見れば、
    それは何とも理解しがたいことでしょう。

    あれほど悪しき事件を起こした
    悪鬼のような元代表に、
    なぜ、信者はそう感じることがあるのか。

    単に元代表に一定の超能力やカリスマ性があり、
    気配りが効いて、面倒見が良い、
    だけで愛著するだろうか。


    私はそうではないと思います。

    私は、アーレフの代表として、多くの信者を見てきました。

    信者の中には、子供の時の傷、家族との傷、学校での傷、
    社会での傷がある人が、当然います。
    少なくありません。
    いや多いと言うこともできます。

    出家した信者は、家族・学校・職場の
    人間関係を捨てた人たちです。

    私自身は、エリートコースでしたから、
    自分の自覚としては、現世に苦しみがあったとか、
    傷があったとは思いません。

    しかし、私の周りの信者には、傷のある人が多くいます。
    だから、自分についても、
    自分で気づいていないだけかもしれません。

    私は、小学生のころから、
    父親と別居する家庭環境にありましたから、
    その結果、元代表が、文字通り、父親代わりになりました。

    元代表がそのように表現していましたし。
    元代表の妻も、
    元代表が私をそのように見ていると語っていました。

    この元代表と私の親密な関係は、
    教団の中でも知られています。
    でも、それは私に特別なことではないかもしれません。


    教団の中で、元代表を
    父親代わりにしている人は少なくないようです。
    いわゆる父性への欲求でしょうか。
    智恵・力・安定・愛への欲求。

    信者の中で、
    一般の人の目を気にしなければならない場所において、
    元代表を隠語で、お父さんと呼ぶ人もいます。

    自分のことはともかく、
    生い立ちに傷がある人の話をよく聞きます。
    家族の問題、学校での問題、社会での問題。

    ともかく、自分たちが経験した、
    家族、学校、社会の中では、
    それが未熟で狭い範囲の経験であったとしても、
    少なくとも、元代表を超えるものがない、と感じたのでしょう。

    もちろん、それは偏った見方でしょう。
    親の愛、学校の先生の愛、
    友人の愛、会社の同僚・上司の愛。

    それは元代表のようなカリスマ性はなくても、
    心から感謝すべきものがあった、と思います。

    しかし、大変申し訳ないけれど、
    事実として、そう感じることができなかった。

    人によっては、元代表に会うまで、
    誰一人として自分を愛してくれない、
    という被害妄想的な孤独感、寂しさを
    感じていた人もいるでしょう。


    そして、彼らにとっては、
    世界の中で、唯一自分を愛してくれた人が、
    ないしは、世界の中で最も自分を愛してくれた人が、
    世界の中で、最悪のテロ事件を起こしてしまった。

    そういう現実が、元代表が逮捕された後に、
    目の前に立ち現れました。


    このような信者の心境を
    ある程度察する立場にある自分には、
    何とも言いようがない状態です。

    そして、元代表以外については、
    親を含めた多くの人が、
    むしろ自分自身で苦しんでいて、
    元代表のようには、自分を成長させることができない、
    と感じてしまった。

    そして、元代表に強く愛著し、
    そうしている自分自身に強く愛著していると、
    元代表と自分がなした悪いことも、否定・反省できなくなる。

    それが、事件を否定できない信者の
    心理の根底にあるものだと思います。

    そう、私は思うようになりました。


    ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎


    さて、今、私のいる世田谷の教団施設では、
    毎日、公安当局の方々が、教団信者を監視しています。

    新団体ができることもあって、
    表情が以前よりも、若干厳しくなったようです。

    私は、あまり接することはないですが、ある信者が、
    最近、あんまり公安の人たちが、挨拶を返さなくなってきた、
    と言っていました。

    公安当局の皆さんが、日本の国民のために、
    教団を監視して、教団の問題点を批判し、
    必要な圧力をかけるのは、当然のことだと思います。


    しかし、信者が変わっていくために必要なのは、
    本当に必要なのは、
    甘えだとは思いますが、
    元代表以上に、彼らを愛してくれる何か、
    そう感じる何か
    かも知れません。

    人は、厳しさだけでは、導けない、と思います。
    悪いことを罰する厳しさ、
    悪いことをしないように見張る監視だけでなく、
    同時に、辛抱強く、愛を持って、
    変化・成長を促し、励ます導きが、
    必要だと思います。


    この点については、私自身の不徳を強く感じます。
    代表派・新団体の構成員は、全教団の2割弱だ、と思います。

    これは、代表である私の力量の不足、
    愛の不足であることは明白です。

    まず、自分の反省と努力が第一です。
    しかし、同時に、オウムの問題を解決するには、
    多くの方々の力が必要なことも事実だ、と思います。

    すべての日本の人々のために、
    信者のためにも、一般の人のためにも、
    皆さんの力を貸してください。

  • 長らく元代表から自立できなかった理由 (2007年03月03日)

    3月3日

    なぜ、これまで、元代表から自立できなかったのか。
    これを一言で説明することは難しい。

    まず、元代表は、私のかつての宗教的な、精神的な父親です。
    元代表は、あれほどの悪しき事件を起こしました。
    しかし、私にとっては、私を愛してくれた、
    評価してくれた存在でした。

    個人的な対応においても、
    教団での評価においてもそうでした。
    私は、男性の弟子の中で、最高位にあり、
    特別な宗教名を与えられました。

    よくよく考えたあげく、私は次のように思うようになりました。

    私は、私にとって、最も私を愛してくれた存在だと思うが故に、
    元代表を否定することができなかったのではないかと。

    しかし、こう一言で表現できるようになったのは、
    ある意味、最近のことです。

    ながらく、私は、元代表に帰依することが正しいから、
    私は、帰依している、と考えてきました。
    帰依することが正しいから、私は正しいことをしているのだ。

    しかし、実体は、まず、最初に、元代表の愛著に基づいて、
    自分がしたいことが、
    元代表を肯定することだったのだと思います。

    その後に、元代表が正しいという論理を作り出す思考が生じます。
    もちろん、元代表には、面倒見の良さ以外に、
    カリスマ性がありました。
    いわゆる超能力とか、神秘力と言われるものです。

    しかし、高弟たちは、元代表が神ではなく、
    人であることを知っています。
    全知全能ではなく、
    事実に反する推察をする場合も経験しています。
     
    高弟たちだけでなく、すべての信者も、知っています。
    例えば、元代表の預言が成就しなかったことを知っています。

    よって、客観的には、元代表のカリスマ性は、
    人を殺すまでのことを正当化する理由にはなりません。

    しかし、超能力のある人、神秘的な人でも、
    人は人であり、神や神の化身ではない、
    という理解がありませんでした。

    超能力・神秘力のある元代表=神の化身である、
    という構図になったのです。

    それは、超能力、神秘体験、瞑想体験、宗教に
    対する無痴でしょう。
    未熟で免疫がなかった、ということもできるでしょう。

    いや、本当の理由は、そうではないかもしれません。

    本当の理由は、経験不足、免疫の不足などではなく、  
    元代表に強く愛著した私たち信者は、
    元代表を否定したくないために、
    元代表を絶対化、神格化したように思います。
     
    本当は、絶対ではないと知っている面があっても、
    絶対であってほしかった。

    よって、信者が、
    元代表の超能力、神秘力というものを口実に、絶対化した。
    ないしは、信者が、
    自分たちの得た宗教的な体験を肯定するために、絶対化した。

    元代表を絶対化したいから、絶対化した。
    否定したくないから、否定しなくていいように、絶対化した。

    それは、突き詰めれば、自分を愛しているからです。
    自分を否定したくないからです。

    人が最も愛しているのは自分自身。
    自分自身の実践した宗教を否定したくない。
    自分自身を最も愛してくれたと感じる教祖を否定したくない。

    これが、事件を起こした理由。
    そして、長らく、それを反省しなかった理由だと思います。

    これが、今になって思うと、感じることです。

    もちろん、元代表が私を愛してくれた、という言葉の意味には、
    今思えばですが、元代表が私のエゴを満たしてくれた、
    という部分が多分にあることに気づきます。

    自己の存在意義を求める欲求。
    愛情、名誉、地位・権力への欲求。
    超能力や神秘的な体験、宗教的な瞑想体験への欲求。
    そして、世紀末世界の救済といった、一種のロマン。

    自分が最も愛する「自分」の
    様々な欲求を充足したのが「元代表」でした。

  • 20年目の独り立ち (2007年03月02日)

    3月2日

    一時代前でも、オウム・アーレフでは、
    個々人が脱会することはありました。
    しかし、今回ほど、多くの信者の集団が、
    脱会することはありませんでした。

    しかも、元代表のすべての教材や、
    その信仰システムを捨ててです。

    ましてや、新しい宗教、思想を目指すことは考えられませんでした。
    それは、教団が破綻しようと、考えられませんでした。