2008年02月

  • 生と死、そして、輪の思想 (2008年02月24日)

    一昨日は、ある方の質問に答えて、生と死がセットだと思うことを書きました。

    昨日はは、ひかりの輪の長野小諸道場で、会員・信徒の方に、説法会を開いて、
    その中でも、この二つのセットのお話しをしました。

    そして、実は、このテーマは、ひかりの輪の「輪」に関係しています。

    仏教では、不二という教えがあり、それは、普通、
    人が二つに分けて考えるものが、
    本質的には一つである、と説くものです。

    生と死が、その一例ですが、
    これは、単にセットとか、不二いうだけでなく、
    私の考えでは、「輪」を形成しています。

    仏教を含めたインド哲学の輪廻を信じる人は、文字通り、
    生きて、死んで、生まれ変わることを無限に繰り返す様を
    輪廻の輪と呼ぶことをご存じでしょう。

    輪廻を信じない人も、昨日お話ししたように、
    食物連鎖や、人口バランスの維持について考えるならば、
    他の死に支えられて生き、自分の死は、他の生命を支える、という、
    生命体の間で、果てしない生命の与え合い、奪い合いの輪がある、
    と考えることができる、と思います。

    そして、輪といっても、単なる静止した輪ではなく、
    循環する輪ですね。

    人で言えば、生、死、生、死を繰り返す、循環の輪。
    自然で言えば、昼と夜、春夏秋冬の季節の輪。

    そして、仏陀の説いた、楽と苦の輪。
    それは、煩悩・欲望に関する輪。

    欲する物を得た時の快楽があれば、それと当時に、
    得られない時、得たものを失う時、欲しない物を経験する苦しみも、
    同時に生じる。
    この楽と苦のセット、楽と苦の無限の輪。

    私の考えでは、仏陀が説いたことは、
    普通、人が、生や楽として認識しているものは、
    真実は、生と死、楽や苦という循環の輪の一部であるが、
    そうは意識せず、あたかも、死と別の生、苦とは別の楽がある、
    と錯覚しているが、この錯覚を超えて、
    循環を超えた静かな安らぎの境地(=涅槃寂静)を
    真実の幸福、悟り、とした、と解釈しています。

    仏教では、仏陀の教えの象徴として、
    法輪(ダルマ・チャクラ)、というものがあります。
    法の車輪を意味します。
    その形は、ひかりの輪のシンボルマークにも使われているので、
    公式HPをご覧頂ければ、その形がわかります。

    通常の学説では、それは、
    仏陀の法が、車輪のように転がり、
    広まることを意味する、などと解説されるようですが、
    私は、それよりも、ある意味で、重要なことは、
    仏陀の法の意味合い自体が、正に、輪の教えであるから、
    法輪が、その素晴らしい象徴ではないか、と考えています。

    なお、ひかりの輪のシンボルマークは、
    仏教伝統の法輪の形に、虹の色を加えたもので、
    虹の色の部分は、オリジナルですので、
    その点、ご承知おき下さい。

    今日は、東京の本部での説法会、
    ダブルヘッダーで、会員・信徒、一般の方向けのものと、
    いわゆる出家者向けのものが、それぞれ昼と夜にある、
    一ヶ月で一番忙しい日となりますが、
    人の輪を見るのは、嬉しいことです。

  • なぜ人は死ぬのか (2008年02月23日)

    今日、あるミクシィの方から、興味深い質問を受けました。

    それは、死ぬとはどういうことか、なぜ死ぬのか?という質問でした。
    彼は、まず、死ぬとはどういうことか、と問いました。
    そして、なぜ死ななければならないのか、と問いました。

    酒、女、友、学、空、星、花などがある、
    この素晴らしい世界から、あと数十年たつと、
    自分はどこかに消えてしまう。
    これはなぜだろうか、と問いました。

    彼は、「私は死にたくない」と言います。
    これについて、常に悩んで生きているそうです。


    私は、自分の宗教的な実践の視点から、次のように答えました。

    なぜ、あなたは死ぬか。それは、あなたが生きるからです。
    なぜなら、生と死はセットだから。

    生きるために、あなたは、食べ物などで、
    必然的に、他の生命を奪います。
    美味しい食べ物は、他の生き物の犠牲の結果。

    こうして、人が生きる、ということは、他の生命が死ぬ、ということ。
    その業の結果、いつかは、自分の生命も奪われる。
    これは、ある意味で、公平なことです。

    もう一つあります。
    あなたのように、死ぬ人がいるから、
    生まれてくる赤ん坊が、生きることが出来ます。
    人類が、これまで存続してきたのは、
    死ぬ人と、生きる人のバランスがあるから。

    もしそうでなければ、人口が爆発して、
    人類はとうの昔に滅びています。
    大自然の営みは、生と死のバランス、
    生と死の循環によって続いています。

    そして、仏教では、人は死ぬと、生まれ変わる、と説きます。
    老いた体が、死ぬことで、新しい体が、生まれてくる。

    こうして、生と死はセット
    あなたが生きるから、あなたのために死ぬ生き物たちがいる。
    そして、生きるということは、死に近づくこと。

    あなたが死ぬから、、
    生まれてくる人が、生きることが出来る。
    そして、死んでいくことは、新しい生に近づくこと。
    生きていくことは、死んでいくこと。
    死んでいくことは、生きていくこと。

    生と死を超越した、真の幸福は、
    人生の一面だけを見て、一時的な快楽に耽るのではなく、
    生と死、快楽と苦しみがセットである、という真実を理解した後に、
    得ることができる境地だ、と思います。

    それは、生と死によっては、壊れない類の幸福です。
    それによって、死に対する恐怖は和らぎ、
    消えていく、と思います。

    このように答えました。

  • 週刊誌フラッシュにスクープされる? (2008年02月19日)

    今日発売の週刊誌フラッシュを見ると、
    「上祐史浩自称皇族教祖との密談現場を撮った」
    との記事が出ていました。

    そして、なんと、私が、ひかりの輪が立ちゆかないので、
    その皇族教祖と「新団体設立に動いた」という内容。

    実際は、この教祖の方は、
    一教団の教祖というよりも、
    国際宗教連盟という、宗教家や政治家が加盟する
    国際的な連合体のトップである、という紹介を受けたので、

    他の宗教・宗派と融和する、という意味でも、
    お会いすることになった経緯があります。

    自称皇族と表現されていますが、その方によると、
    いわゆる、南北朝における、南朝の後継者だ、
    ということだそうです。

    要するに、南朝の天皇陛下。

    自分は、こういった話しには、門外漢であり、
    ただただ、聞くばかりでした。

    いったい、なぜ、このような縁が出来たのか?

    南朝と言えば、奈良吉野の天川が、
    南北朝時代の南朝の人たちを保護した
    という史実ありますが、

    私は、公式HPにも出していますが、
    天川が好きで、何度も行っているので、そのため、
    こんな風になったのかな、
    と思っています。

    記事内容については、公式HPや、ミクシィなどで、
    私をよく知る方には、あえてコメントする必要がない
    類のものだと思いますが、ともかく、

    少なくとも、教団が危険である、
    という類の報道ではなかったので、
    一安心でしょうか。

     


  • 虹の話 第3回 救いと虹 (2008年02月17日)

    虹のお話の第三回目です。

     

    宗教では、虹は神聖なイメージがあります。
    神、仏陀、救い、といったイメージでしょうか。

     

    旧約聖書では、ノアの洪水の後、
    神が、今後は、人間を滅ぼさないと約束した
    際の契約の印として虹があります。
    その意味で、正に平和のシンボル。

    仏教では、釈迦が、天上界から、
    降りてきた際に、虹が出てきます。

  • 虹のお話の続編 シンクロ現象 (2008年02月16日)

        虹のお話の続編です。

    私が聖地巡礼などに行くと、
    虹がよく出ることは
    以前もお話ししましたが、その中で、
    一つ気づいていたことがありました。

    それは、全てのものは繋がっている、という、
    一元的な世界観に基づく思索をしていると、
    その際に虹が出ることが多い、ということです。

    しかし、この内側の一元的な思索と、
    外側の虹の間には、
    何の具体的な繋がりも見えませんでした。
  • 虹は7色ではなく (2008年02月15日)


    自分が聖地に行くと、虹がよく出るので、自称、虹男である、
    と書いたことがありました。


    そして、最近、虹というのは、平和のシンボルとして、
    世界各地で、戦争反対の運動に使われていることを知りました。

    それを平和の旗と言います。

    虹は、7色と言われていますが、実際は、無限の色を含んでおり、
    各色の間には境界がないことから、多様性の下での統一を意味し、
    調和・平和のシンボルとして用いられるようになったとのこと。

    そして、もう一つ。

    この多様性の中の統一とは、仏教的な一元論の世界観と似ています。

    仏教の説く縁起の法は、その教えの一部に、
    世界には様々な違ったものがあるように見えても、
    実際は、何一つとして、他から独立して存在するものはなく、
    全ては相互に依存しあっている、という見方を含んでいます。



    ひかりの輪は、
    オウムの事件を否定し、宗教宗派、宗教と社会の融合を目指し、
    仏教的な一元思想を掲げています。

    そして、昨年、新団体立ちあげの時に採用した、
    シンボルマークは、仏法の象徴の法輪を用いて、
    それを虹色にしたものなので、
    団体の思想によくあったシンボルマークにできたようで、
    この点、嬉しく思いました。

            ひかりの輪のシンボルマーク

      虹は、7色ではなくて、無限の色を含み、
    しかも、それが連続的で、一体である、
    という視点は、日常の固定観念を超えた、
    とても、興味深い視点だと、と思います。

    関連記事上祐史浩のメッセージ 虹の教え

  • 節分前夜2月2日、天河・鬼の宿へ (2008年02月06日)

      天川に到着して、最初に感じたのは、
      その澄んだ空気とプラーナでした。


                    神事が行われる宮司宅前にて

      その後、鬼神事の儀式に出席しましたが、
      いろいろと自分の内省が深まりました。

      また、儀式に使われる真言や、般若心経の唱和のリズムが、
      心地よく感じられ、学ぶところが多くありました。

      瞑想していると、何と表現したらよいか、
      いきいきとした水の精のイメージと言えばいいか、

      そのようなヴィジョンが見えましたが、
      水の神の弁財天らしい体験でした。
    (→さらに詳しいレポートはこちらへ)


    社殿へ続く参道

  • 年末年始 (2008年02月02日)

    年末年始は、ひかりの輪のセミナーを行っておりました。
    5泊6日の充実したセミナーでしたが、
    ヨーガや仏教の修行や、密教的な儀式を行い、
    さらに、京都・東京の聖地を巡礼しました。

    年末は、京都は、比叡山延暦寺、日吉大社、
    賀茂神社、京都御所、東寺、広隆寺、松尾神社など。
    年越しは、東京の本部に戻って、年末年始の儀式を
    行ない、年越しそばなどを食べ、

    年が明けて、東京で、日枝神社、
    浅草寺、寛永寺、上野東照宮、
    清水観音、増上寺などを巡礼しました。