一元的な意識を経験する修行法
ここで、一元的な意識というのは、説明することが難しいですが、敢えて表現するならば、自と他の区別を超えた広大な至福の意識のことです。
さまざまな宗教が、悟りや解脱の境地や至高体験について、さまざまな表現で説いています。仏教では、空、大慈悲、心の本性、仏性など。ヨーガでは、真我・アートマン・宇宙意識・ニルビカルパサマディなどでしょうか。
実際、こういった体験は、宗教・宗派によって多様であり、客観的に言えば、個人の修行者の主観的な体験ですので、単に専門用語で説明しても、ひかりの輪の修行者が体感するものを正確には説明できていないかも知れません。
さらに、ひかりの輪では、悟りとは、一生求め続けるべきものであり、自分が完全に悟った、と考えることは危険であり、ある意味で、悟っていないことの証明だと考えています。
オウム真理教の麻原元教祖は、他者の審査によらず、自分自身で自己を最終解脱者と位置づけ結果、自己を絶対化し、一連の事件に至った、という問題にも関わってきます。
(2)具体的な修行体系について
こうして、悟り・解脱や、それに関する至高体験といったものに対して、上記のような慎重な姿勢を保ちつつ、ひかりの輪において、そういった瞑想体験をしたり、ないしは日常的にも、その境地に近づくために、どのような修行体系を考えているかについてご紹介します。
もちろん、ここでご紹介するものは、完結した、改善の余地がないものでは全くなく、常に改善の余地があるというのが、ひかりの輪の考え方であることを前もってご承知置き下さい。
①密教・ヨーガの瞑想修行を行うこと
ひかりの輪の考えや体験によれば、密教やヨーガの瞑想修行は、特殊な体操、呼吸法などの身体操作や、特殊な観想・瞑想などを含む、さまざまな行法によって、一時的にではあっても、一元的な意識を体験することができる場合が多くあります。
こうして、一元的な意識を垣間見る体験をすることで、私たちが通常有している意識、すなわち、自我意識・エゴの意識よりも、高い意識・境地があるということを実体験することになりますから、その意味で、貴重であると考えています。
そのため、ひかりの輪では、様々なヨーガ行法に加えて、一定の密教的な瞑想法の実習を行っています。その中では、主に真言を用いた密教的な儀式や、神仏の観想を中心とした瞑想法、さらには、神聖なエネルギーをもたらす密教法具などを使ったエンパワーメントと呼ばれる修行法もあります。
また、そういった体験が生じやすい聖地を見つけて、そこを巡礼して、瞑想修行を行う場合もあります。これらの修行法については、別項をご覧下さい。
そして、これらの修行で得た体験は、本来、一生の間、地道に続けていくべき修行において、その励みとするべきであって、自分が何らかの偉大な達成を得たなどと考えてはいけません。それは、慢心に至り、逆に、修行に失敗する恐れがあることに注意しなければなりません。
②日常的に一元的な思考を訓練すること
ひかりの輪においては、釈迦牟尼の説いた縁起の法などを含めた仏教やヨーガの教義・思想に基づいて、一元的な世界観に沿った日常の物の考え方、行動の仕方について、上祐代表の講話・説法や、無色瞑想講義と題する教材などを使って詳しく解説しています。
これらの教材を日常的に地道に学習することによって、少しずつではありますが、一元的な思考・言動に近づくことが出来ます。そのため、読む教本だけでなく、DVD・CD・その他のデータ媒体の視聴覚教材が、提供されており、自分の条件に合わせて、速やかな学習ができるように工夫されています。
③日常生活で、利他の実践・奉仕を行うこと
多くの宗教・宗派が説くように、自と他の区別超えた広大な意識をえるためには、日常生活において、全ての人々・全ての存在に対する愛を培うことが重要です。仏教で言うならば、慈・悲・喜・捨とされる、四無量心を培うことです。
そして、ひかりの輪では、単に全ての存在の幸福を祈ったり、瞑想したりするだけではなく、具体的に、実際の行為を持って、利他の実践、奉仕をすることが重要だと考えています。
この利他の実践・奉仕の方法としては、さまざまなものがありますが、ひかりの輪においては、大乗仏教の菩薩の実践項目である六波羅蜜の実践や、全ての人々を神の現れと見て奉仕するヨーガにおける、カルマ・ヨーガなどの実践が説かれています。
(3)参考
ここでは、ひかりの輪が参考にしている、インドの聖者(故人)であるパラマハンサヨーガナンダが説いた宇宙意識に至る道について、参考までに、ご紹介しておきたいと思います。
※パラマハンサ・ヨガナンダ『人間の永遠の探求』(167~169頁)
宇宙意識への第一の方法
人間の意識を宇宙意識まで拡大するには三つの方法があります。
その第一の方法は社会的方法、つまり、社会生活の面で自分のことを考えずに全体のために生きる方法です。
友人に対しては信義を重んじ、だれに対しても博愛の心を持ちなさい。神があなたに家族を与えられたのは、あなたが、自分以外の人たちのために尽くすことによって自分の意識を拡大するためです。
家族をもつことによって、われわれは親しい人々への愛や自己犠牲を学び、ある程度意識を拡大します。しかし、その程度ではまだ不十分です。
特定の関係にある人だけに注ぐ愛は、狭小で排他的です。
そうした特定の関係を超えて平等に人を愛するとき、あなたの意識はほんとうに拡大するのです。
ですから、博愛の心を養いなさい。そして、だれに対しても家族に対するのと同じ愛をそそぎ、自分のためにするのと同じように人にもしてあげなさい。すべての人に対してこのように振る舞うことが、宇宙意識に至る社会的方法です。
神は、われわれ子供たちを平等に愛しておられます。人はみな神の家族であり、神の愛は普遍的です。神の子たちも、それと同じ愛を互いに与え合うべきです。それが神のご計画です。それを忘れるとき、苦悩が生じます。今や、世界中が考え方を変えなければならない時です。真のあなたは普遍的な存在です。すべての人はあなた自身なのです。
私の楽しみは人に与えることです。人が喜ぶのを見ることは私の最大の楽しみです。他人を愛し、他人を深く思いやるとき、すべてのものがそれに応えてくれます。イエスは「多くの人々の代償」として自分の肉体を捨て、宇宙意識に至る社会的方法の模範を示しました。あなたがたもイエスのように、すべての人々を自分自身と思ってそれに尽くすべきです。
宇宙意識にある人は常に幸福です。彼は、自分の愛を狭く限定してほかの人々を拒むようなことはしません。あなたも全世界を自分の家族にしなさい。このことを忘れないでください。私はいつもそういう意識の中にいます。私にはカーストも国家もありません。すべてを自分のものとして感じています。すべての男性を自分の兄弟として、すべての女性を自分の姉妹として、すべての年長者を自分の両親として愛しなさい。そして、全人類を自分の友として愛しなさい。
第二の方法
宇宙意識に至る第二の方法は自己訓練です。何事にも節度を忘れてはなりません。
物事を楽しんでも、それに執着しないことが大切です。執着に束縛されない自由な心を養いなさい。楽しく行動しながら、しかし、節度を失わないよう自分を制御しなさい。悪い習慣の奴隷にならず、いつも自分が正しいと思う信念に従って行動できるようになりなさい。宇宙意識に入るには、自己制御ができ、寒さと暑さ、苦しみと楽しみ、病気と健康、などの二元性を克服しなければなりません。どんなことにも興奮したり動揺したりせず、心の平静が保てるよう自分を訓練しなさい。
「いかなる事にも執着せぬもの----喜ばしきものに対して興奮せず、悪しきものにも妨げられぬものは、英知を確立したものである。」(バガヴァッド・ギーター2・57)
第三の最高の方法
第三の方法は霊的な方法、すなわち瞑想です。瞑想中、自分の呼吸を意識している間は、まだ肉体から抜け出していないことを意味します。宇宙意識に入るには、師から教わった瞑想の技法によって肉体の束縛を断ち切らなければなりません。
水を入れたびんに栓をして水桶に入れると、びんの中の水はまわりの水から隔離されたままですが、びんの栓を抜くと、びんの中の水はまわりの水と混じり合うことができます。普通の人の意識は、このびんの中の水のように、無知という栓で肉体に封じ込められているため、神と隔離されています。
しかし、正しい瞑想によってこの栓を取り除くと、からだの内にも外にも神の平安を感じることができるようになります。時間をかけて瞑想を深めてゆくと、平安もまた深まり、泉のように湧いてくる常に新たな喜びが感じられるようになります。瞑想以外のどんな方法を試みても、そのような聖なる意識状態に入ることはできません。
神は、至る所に遍在してあなた方を取り巻いておられますが、あなたがたはそれを感じていません。あなたは無知という栓を取り除いて、自分の意識を神の意識の中に溶け込ませ、まず自分の内に神を発見しなければ、外に遍在する神を感じることはできません。あなたの意識は、物欲に溺れると窒息して死んでしまいますが、神の海に溺れれば永遠に生きるようになります。
ひとたび神を見つけさえすれば、あなたは、永遠不滅の真の満足を経験します。人間の友情は断絶することがありますが、神があなたをお見捨てになることは決してありません。たとえ、あなたが、すべての人から見捨てられても、神を「もっている」かぎり、すべてはあなたのものです。