宗教と科学の統合
宗教と科学の統合について
田渕智子
●宗教と科学の統合に向けて宗教と科学の統合というテーマは、今、人類において大きな課題となっているのではないでしょうか。
ひかりの輪の提唱する一元思想は、この宗教と科学の統合にもつながってきます。これまでの宗教と科学は別のものであるいう二元的な考えは、いままでも検討されてきており、さらに今後も改善されていくものと予想されます。
科学研究はますます発達し、従来のニュートン・デカルトの二元論をくつがえすような結果が生じています。特に量子力学の世界では、ノーベル賞をとった優秀な物理学者が何人も、
東洋思想や西洋の一元的思想に傾倒していることは特筆に値します。ミクロの世界では物心二元論が通用しなくなったのです。そこは一元の世界でした。
詳細は別の機会に譲りますが、多くの科学者が全一性を唱え始めました。
すべてはつながっていると、一つであると。
これは2600年前、仏陀釈迦牟尼が説いた教えと驚くほど一致するのです。すべてはつながっていて、何一つ独立して存在するものは何もないという諸法無我や縁起の法と同じことをいっているのです。ニューサイエンスと仏教
田渕智子
●ニューサイエンス登場宗教と科学の統合を語る際にニューサイエンスのことを抜きにしては語れません。
これまでのいわゆるニュートン・デカルト的科学は、物質と精神を別のものと区別して考え、絶対的二元論を打ちたて、意識は脳の内部で起こる物質的プロセスの副産物としてとらえていました。
それに対して70年代に登場したニューサイエンスの特徴は、意識と物質との間に深遠な相互作用が働いていると、捉えていることにあるのです。むしろ、心や意識は副産物どころか、存在そのものに必要不可欠なものと提唱しているのです。
そして全体が一つにつながっており、一見個々バラバラの存在も全体から切り離すことはできないという全一性も大きな特徴です。
これは仏教のすべては心の現われという教えや、独立して存在するものはないという教えに非常に似ています。
ニューサイエンスにはどのようなものがあるのか、ここでいくつか簡単にご紹介します。
パラダイムシフト
量子力学によるパラダイムシフト(1)
田渕智子
●近代科学以前と以降について近代科学が発達する以前、人類は、東洋の思想や古典哲学をはじめとして物質と心を一体のものとして考えていました。(ヴェーダ・東洋思想・古代哲学等)
ところが17世紀にあらわれたニュートン・デカルト以来、物質と心は全く別のものだという「物心ニ元論」が主流となりました。対象を自分とは全く別のものとみることで客観性を保ち、それによって科学は急速に発展してきました。
しかし、精神や心は科学から切り捨てられてしまったのです。
意識や心は機械論的な科学の中では、脳の副産物でしかなく、心理学の分野でも刺激、反応の機械的な面でしかとらえられていませんでした。近代科学の発展は人類発生3万年のうちのたったの300年にすぎないにもかかわらず、21世紀となった今現在でも、この物心二元論はいまだに根強く人々に影響を及ぼしています。
量子力学によるパラダイムシフト(2)
田渕智子
●量子力学の流れ
量子力学の発端は1900年12月にドイツの物理学者プランクが「エネルギー量子仮説」と呼ばれる理論を学会で発表したことから始まりました。このときに量子という概念ができたのです。
光は波だという説と粒だという説とが対立していましたが、当時は光は波だというのが定説となっていた中で、プランクは光が持つエネルギーは量子、すなわち「小さな固まり」になっているという、従来の常識を打ち破る理論をはじめて提唱したのです。
心理学と仏教
心理学の流れ
田渕智子
科学の中でも心理学の分野は、直接心を研究し、一番宗教に近いものがあります。ここでは、その心理学を中心に、仏教・ヨーガとの統合性を探っていきたいと思います。
まず、心理学を分類すると大きく4つに分けられます。
第1は行動主義心理学に代表されます。人間の行動を学習の産物ととらえ、刺激-反応を中心とした客観的かつ機械論的な心理学です。人間はもともと白紙でありその後の学習によって人格が決まってくるという考えです。
第2はフロイトの精神分析を代表とする精神力動心理学。夢や無意識を扱う心理学で、人間の本性は生まれつき快楽を求め、怒り、攻撃性などをもっており、いかにそれをコントロールするかにあるという考えです。
第3は自己実現を追求した人間性心理学。自分のもっている可能性を最大限に追求していき、自己を実現していくことが人生の目標と考えています。
第4はユング心理学とトランスパーソナル心理学。人間の目標は自己を超越して、高次の自己もしくは高次の宇宙意識、アートマンと一体化することだという考えです。
ユング心理学と仏教(1)
田渕智子
●ユング心理学ができた背景ユング(1875-1961)はスイスの精神科医でした。彼の心理学が実験心理学のような客観的な心理学とやや趣を異にしているのは、分裂病の患者の心を治療をしていく過程で彼の分析心理学が打ち立てられていったことにあります。
患者の心の分析や自分の経験などを通じて、無意識の存在を認め、さらに自我が意識の中心であるのに対して、意識と無意識を含んだ心の全体性の中心として自己という存在を唱えたのです。
ユングのいう自己というのは仏教でいう仏性に非常に似ています。ヨーガでいえば真我のようなものかもしれません。自己の概念自体が非常に難解で、ユング研究家も頭を悩ましている部分があります。ユング心理学と仏教(2)
田渕智子
●心の構造ユングの考える心の構造というのは、まず、人の心には意識と無意識があり、意識の中心として自我があり、無意識には個人的無意識と普遍的無意識とがあるとしました。そして意識も無意識も含めた心の全体の中心として自己を打ち出しました。
ユングのいう個人的無意識は個人的な内容で、そこにはコンプレックスが存在しています。コンプレックスは劣等感という意味よりもむしろ観念の複合体で、いわゆるひっかかりのようなものです。コンプレックスにふれると、その人の感情がよくも悪くも、大きく揺れ動くのです。
ユング心理学と仏教(3)
田渕智子
●セルフリアライゼーションと解脱・悟りユングのいうセルフリアライゼーションの過程は仏教の解脱、悟りの過程に非常に似ているように思われます。われわれの意識は自我を中心としてある程度の安定性をもち、統
合性をもっています。しかし、その安定した自我にとどまることなく、その安定性を崩してさえ、より高い統合性へと志向する傾向が、人間のこころの中に認められるといっているのです。これは長年の心理療法で培った経験からユングはそう判断したのです。
この個人に内在する可能性を実現し、その自我を高次の全体性へと志向せしめる努力の過程を、ユングは個性化の過程、あるいはセルフリアライゼーションの過程と呼び、人生の究極の目的と考えたのです。そして、その高次の統合性へと志向させる働きをなすものが自己だと考えたのです。
ユングはわれわれが意識の世界のみを重んじることなく、無意識も大切なものであることを知り、この両者の相補的な働きに注意するときは、われわれ全人格の中心はもはや自我ではなく自己であることを悟るであろうとのべています。
ユング心理学と仏教(4)
田渕智子■マンダラについて
ユングは東洋のマンダラのことは全く知らなかったのですが、自らその「マンダラ」の体験をし、研究することになりました。
それは、ユングが精神的危機状態に陥ったとき、自己治癒の過程で自然に生じてきたものでした。1912年、彼はフロイトと訣別したあと、方向喪失の状態となり精神状態がおかしくなったのです。それは1916年ころまで続いたのですが、幻覚などをともない精神病かと思われるほどだったのです。
そのような状態の中でユングは無意識との対決を行い、自分で治していったその頃、彼は自分の内からわきあがってくるものがあり、わけもわからないまま、円形の図をたくさん描き始めたのです。
それはユングの心の治療に大きな影響を及ぼしました。それは非常にマンダラに似ていたのです。
トランスパーソナル心理学と仏教(1)
田渕智子
●トランスパーソナル心理学の流れ
トランスパーソナル心理学は、自己を超越するという最終的な欲求が、人間の中にあるのではないかということで打ち立てられた新しい心理学です。
アメリカの心理学者マズローは心理学の「第4の勢力」としてトランスパーソナル心理学を位置づけました。
「第1の勢力」とは人間の精神の病理的な側面に注目するフロイトの精神分析、「第2の勢力」とは、人間の生物機械的な側面を追求する行動主義心理学、「第3の勢力」とは人間の潜在的可能性に着目し、自己実現をめざす、マズロー自身が唱えた人間性心理学です。しかし、マズローは自己超越というものを中心にした心理学をつくらないと全体がみえないのではないかということから「第4の勢力」のトランスパーソナル心理学を作ったのです。
トランスパーソナル心理学と仏教(2)
■スタニスラフ・グロフの臨床例グロフはトランスパーソナル心理学の創始者の一人であり、LSD研究からホロトロピックセラピーを開発していきました。30年に渡り、4000件のLSD体験例と2万回以上のホロトロピックセラピーの体験例を研究してきました。その膨大な臨床例に基づいて彼の理論は打ち立てられ、
臨床家の流れの頂点に立ったのです。
グロフはLSDをセラピーに導入し、人間の無意識を深く探ることによって、フロイトの精神分析の枠組みではすべてを解決できないということに気づきました。
彼自身、最初にLSDのセッションを受けたとき、ものすごい無意識の体験をし、個人的生活と精神科医としての生活を根本から変えてしまったのです。ビッグバンを体験し、ブラックホールとホワイトホールを猛スピードで通過したりして「宇宙意識」の体験にきわめて近いことを心の中で確信したのです。
(※今は危険な薬物として法律で禁止されていますので、絶対に真似はしないでください。)トランスパーソナル心理学と宗教(3)
田渕智子
●ケン・ウィルバーの理論ケン・ウィルバーはトランスパーソナル心理学の理論家として画期的な存在です。
1949年アメリカのオクラホマ州生まれで、大学では医学から生化学に転じて、その後広範囲にわたる学問分野を独学でマスターしました。老子の「道徳経」を読んだのが転機となり、東西の思想書を片っ端から読む一方、禅なども実践していった人でもあります。また、アメリカのナーローパ研究所の理事をしたり、カール・リンポチェのもとで修行をしたこともあり、カール・リンポチェに関しては非常に優れた師だと称賛しています。
ケン・ウィルバーはこのように、心理療法という立場より、読破した膨大な量の文献による理論の組み立てと、修行の実践をしていったことから、人間の意識の構造をいままでの心理学と比較すると、より総合的にとらえています。ある意味心理学と宗教の統合がなされているといえましょう。フレデリック・ヴィーダマンの魂のプロセス
田渕智子
●魂の仮説ここで、トランスパーソナル心理学を超えた心理学についてふれたいと思います。これがきわめて仏教的な仮説を打ち立てているからです。
アメリカの臨床心理学者フレデリック・ヴィーダマンはトランスパーソナル心理学について検証し、自己実現と自己超越との間を絶え間なく循環していくプロセスを「魂のプロセス」とみなしました。
彼は魂の仮説を唱えることにより、トランスパーソナル心理学に欠けている部分を探っていったのです。
それは、ダルマ・カルマ・輪廻転生・善・悪の概念を伴うこととなりました。心理学というよりきわめて宗教的な色彩が濃くなっていますが、しかし、全体性という観点からトランスパーソナル心理学の欠けているものを補う方法として魂の存在を提唱すると、それらのものが必要不可欠となってくるというのです。確かに、グロフやケン・ウィルバーはこれらのカルマや善・悪については心理学的に説くことはしてないように思います。








