7月27日東京本部道場の上祐代表説法会レポート
(2008年08月06日)
会員さんから、先日7月27日に行われた、東京本部道場での上祐代表の説法会のレポートが届きました。
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今回の説法会は藤本部長の気功から始まりました。優雅で柔らかな雰囲気を醸し出すこの気功は、一つ一つの動きは誰にでも出来る簡単な動作ですが、最後の収功(気をおさめる)の段になると、手にエネルギーがあふれてくるのが分かります。
本当に何気ない動作をしているだけですが、呼吸と手・足・身体の動きを合わせることによって30分足らずのトレーニングで気の流れが活発になるようです。
そして、いよいよ儀式ヨーガから上祐代表の説法が始まりました。今回は特別に上祐代表がその意味合いを解
説しながら、儀式ヨーガが進められました。
マントラひとつをとっても、その意味合いを考えながら唱えるのと、ただ漠然と唱えるのとでは効果が百倍から一万倍も違うそうです。
各マントラについて以下のようなの説明がありました。
【釈迦のマントラについて】
さて、最初に唱えるのは釈迦のマントラですが、私たちはまずその釈迦の説かれた法則の価値を認識する必要があります。
法則を知らない普通の人は幸福になろうとして貪り、求めても得られない苦しみや、得られても手放さなくてはならない苦しみ、老い病み死に至る苦しみ、四苦八苦のさまざまな苦しみを感じます。真の幸福の道は、無智、貪り、怒りの三毒を静めることによって得られるのです。
しかし、動物や虫に生まれることの多さを考えれば人間に生まれることは非常にまれです。しかも、人間に生まれたとしても法に巡り会うのは一握りの人間なのです。このことを考えると法縁(法を知り得た縁)があることの価値は非常に大きいことです。
そして、釈迦が生まれなければ、また、釈迦が法を説かなければ、私たちは法に巡り会うことはできませんでした。
次に釈迦牟尼が説いた教えについて別な観点からもお話がありました。
【観音様のマントラについて】
観音様はありとあらゆる法で衆生を救うとされ、すべての人々に化身することが出来るとされています。
そのことから、すべての人々は観音様の化身であるとし、良いことをする人を見本とし、悪いことをする人を反面教師として、私に悟らせるために行っていると考え、他の人に怒りの感情が出ていれば思い直して(懺悔の気持ちも含めて)、すべては観音様が私たちのために行ってくれていることだと考えながら、観音様のマントラを唱えましょう。
【弥勒のマントラについて】
弥勒は56億7千万年後に降誕するとされていますが、人類が生まれて1万年、地球が生まれて46億年を
考えると非常に長い年月です。たぶん、太陽も肥大化して地球には生物
が
住めないような状態になっているかも知れません。
そのような、長きに渡って修行を続け、すべての人々を救うまで涅槃に入らないとした弥勒菩薩は謙虚さの象徴なのです。
弥勒菩薩は仏教修行者を戒める意味で「修行をすれば神に近づくが、一生涯修行を続けても神そのものにはなりません」と不完全さを悟る謙虚さを示しています。
謙虚さを持ちつつ、生涯修行を続けることを意識して皆で弥勒のマントラを唱えました。
【供養】
次は地水火の供養です。
尊敬と感謝の念を込めて、神仏に対する供養を行いました。苦しみを滅尽し真の幸福になる法を知り得たこと、そしてその法のもとに生きることの喜びを神仏に感謝し供養を行いました。
ここで、ガンターやさまざまなベルを鳴らしていましたが、これは神仏に対する感謝のこころを表しています。
【懺悔】
次は懺悔です。
法則に基づいて生きているか? 誰かに依存し、良く思われたいという自分の名誉欲の為に法を実践していなかっただろうか?
自分の意志の力によって法則を学び、考え、実践していくことが必要です。私たちは論語読みの論語知らずとまでいかなくとも、法則を知っていてもなかなかそれを自分に当てはめて実践出来ていません。
懺悔によって法則を自分の行動に照らし合わせて、実践出来ているかを思索す
ることが必要です。(今度の夏のセミナーは法則に基づく思索と実践のセミナーとなります。)
また、懺悔によって、無智、貪り、怒りの三毒を静めることが出来ます。
たとえば無智の例として、善悪二元論によって「私たちには法縁があり善人であり、一般の人たちは法縁が無く凡夫であり悪人である」とするのは、傲慢であり、自他の区別の無智なのです。
次に怒りについては、自分のこころの現れとして、自分にも同じようなところがないか、神仏が私に気付かせるために、周りが見せているのだと考えるのです。
このように法に照らし合わせた絶え間ない懺悔の実践を続けることが大切です。
【発菩提心】
次は発菩提心です。
この詞章の中に「光り輝く法界...」と出てきますが、智慧が生じてくると、その智慧の光が無智の闇、外界を照らし現象界が光り輝く法界となります。法を実践し、智慧の光を強めましょう!
さて今、私たちは自然の中で修行することを行っていますが、これは健全な悟りを得るために必要です。自分と外界、自分と自然、自分と宇宙などと、自分と対比して考えるのではなく、人間は大自然の一部として、大自然と再融合することが必要です。
修行で神秘体験をしたとき、宇宙が自分だ!神の化身だ!と自己を肥大化して魔境にはいってしまうことがあります。
しかし大自然の中で修行することにより、大自然そのものが謙虚さと調和に満ちていて貪りが無い、つまりあるがままに生きているという叡智を感じ、大自然に対する畏敬の念と自分を育んでくれる感謝の念を持ち、そして自分がその大自然の一部であると感得することで健全な悟りを得ることが出来るのです。
[第二部]
ここでは、「感謝と分かち合い」についてのお話がありました。
現代人は欲求と奪い合いの世界で生きています。そして、このことが地球環境問題も生み出したのです。
今必要なものは「貪りを遮断し、感謝と分かち合い」をすることです。「もっともっと」ではなく、今持っている幸せに満足することが大切なのではないでしょうか?
ひかりの輪では途上国支援を利他の実践の観点で考えています。以前から進めているパキスタンへの支援です。
細川部長の話によれば、NGO団体を通じて、こちらで集めた古着を市場より安い価格で買い取ってもらい、その利益で学校教育を受けることの出来ない貧しく生活のため働く子供たちに対して、教育における自立支援を行うそうです。
ここでは、支援をやらせていただいていると考えることによって、私たちの貪りの遮断に協力してもらっていることに気付くはずです。
「貪り」という観点からみたものを整理すると、1.他(貧しい国)から奪い取っている先進国の一員として奪った物を返すといった贖罪の行為であること。 2.貪りの遮断をすることで貪りから離れ、執着の生み出す苦しみに強くなれること。 3.豊かな日本という国に生まれた感謝の念を持たず、今あるもので満足していなかった無智を遮断出来たこと。などがあげられます。
また、「テロ」という観点から考えると、1.今、原理主義の学校が自爆テロリストの育成機関となっていることから、教育の自立支援は世界のテロが静まり、自分たちの防衛策にもなっていること。2.オウムや先進国の行ったテロに対する贖罪である。などがあげられます。
このように他人から奪えば不幸になり、他人に与えれば幸せになるのです。資本主義、や社会主義では仏陀の法には至りません。しかし、私たちの前には法という宝があるのに、まだまだ使い切れていません。
真の幸せになるために貪りの遮断と布施の実践が必要です。自分と他人、自分と途上国、共に分かち合うことでみんなが幸福になるのです。
そして、この布施の中で一番の布施は法の布施です。教えることで、一番深く理解するのは、それを準備して、話をする自分自身に他なりません。法の分かち合い、法を布施しても法は減りません。
今、財を成し勝ち組と思っている人も、すべては死の時には負け組となります。すべての人々が幸せになる、真実の幸福への道、仏陀の法を広めていくことがこれからの社会には一番大切なことだと思います。
説法の中で上祐代表が説かれたように、教えるものが一番学ぶものだ、というのは本当だと思います。法のなかなか根付かない私ですが、多少は理解が深まったと思います。また、このような機会を与えていただいたスタッフの方々に感謝したいと思います。(O。H)







