内観している人に仏の輝きを見た
(2009年04月05日)
広末晃敏
いま、「ひかりの輪」で実践している「内観」においては、ある特定の人について、
①してもらったこと
②して返したこと
③迷惑をかけたこと
を、自分の人生の最初から振り返って考えていきます。
長時間行う場合は、「面接者」に面接をしてもらいながら、内観を進めていきます。
内観をする人(以下、内観者と記します)は、要所要所で面接者に対して、どんな内観をしたのかを3分以内で手短に報告していきます(全部を報告する必要はありません、自分の言いたいことだけ、言っても差し支えないことだけを言います)。
面接者は内観者から話を聞いて、正しい内観が行われるように、お手伝いをします。
* * *
さて、私が今回、外部施設での1週間の集中内観の際に、驚いたことがありました。斬新な驚きを感じたことがありました。
それは、内観者である私に対する面接者の態度が、きわめて恭しい(うやうやしい)ことでした。
面接者は、先日来、ひかりの輪に内観を指導して下さっている社会的地位の高い先生なのですが、私に面接する際は、最初に深々とお辞儀をして「よろしくお願いします」と言い、面接を終えると、これまた深々とお辞儀をして「ありがとうございました」と言って、去っていかれます。
普通でしたら、面接をしてもらう内観者(この場合は私)の方こそ、「よろしくお願いします」「ありがとうございました」と言うべきところです。
もちろん、面接者の先生は、私だけにそんな態度をとられたのではなく、内観者の全てに対して、そのような態度をとられています。
いったいなぜ、面接者はそこまで内観者に対して、最大限の敬意を示す、恭しい態度をとるのか?
内観の先生いわく、「内観をして心を浄化するという、人として最も美しい姿、仏に近づく姿を拝ませていただくのです」とのこと。
また、内観をつくった吉本伊信氏の古い著作によれば、「面接者は自分の内観の不足を、天に代わって内観者から教えてもらう」ということです。
つまり、
「相手の中に神仏を見る」
「相手を自分の投影として教師・反面教師として見る」
という、ひかりの輪において中心的に説かれている教えの実践そのものだということなのです。
* * *
私は、これを聞いて、「頭で」なるほど、と思いました。
しかし、「心で」なるほど、と思うようになるまで、あまり時間はかかりませんでした。
というのも、私は3月21日と22日の2日間にわたって、内観を希望する在家会員さんに内観をお教えし、面接者の役割を務めさせていただきました。
そして、数人の在家・出家の会員さんを相手に、2日間で30回以上の面接を繰り返しました。
そこで実感したことです。
「感謝している人は、美しい……」
これは、本当にそう思いました。
内観をしている方々が、思い思いに、幼少時から現在までを振り返り、母に、父に、兄弟に、先生に、周囲の人々に、してもらったこと、して返したこと、迷惑をかけたことを一つ一つ思い出していく。
その過程であふれ出してくる感謝の念、そして、そこから生じてくる反省の念、恩返しをしようとする気持ち――その片鱗に触れるにつれ、私は、この方々(内観者)の中には、仏がいる!と感じたのです。
これは自然と手を合わさざるを得ない。得なくなる。
面接者が、内観者に対して、恭しい態度をとる理由、最大限の敬意を示す理由が、実感できました。
これは、実際に繰り返し面接をさせていただいて、初めて実感できました。
こうした実感を重ねていけば、全ての人々の中に仏がいるということも、教えだけではなくて、心から納得していけるようになるのだと思います。それが、オウム的な物の見方の偏りを是正していくことに寄与していくような気もしています。
〈※mixi日記から転載しました〉







