すべての人が感謝の対象 ~東京説法会レポート~
(2008年12月16日)
11月30日に東京本部で行われた、上祐代表の説法会のレポートを、説法会に参加された会員さんが届けてくれました。
今回は、「仏教の基本的な内容」の講義と「浄土真宗の開祖・親鸞について」のお話がありました。
「四正諦」と「勝ち組」「負け組」という観点からの幸福観。
そして、智慧と方便のお話。最後は親鸞の「悪人正機説」についてのお話など、今回もさまざまな視点からのお話がありました。
それでは、会員さんのレポートをご紹介します。
説法会は気功から始まりました。今回はちょっと動きのある気功で1.2.3.の掛け声に合わせてリズミカルに行われます。
そして、気功の終わりは体内に発生した気を静めてから毒素を出す作業を順番に行い、最後は「シュッ」という掛け声と共に毒素を体外に排出して終わりです。これで本当にスッキリした気分になるから不思議なものです。
気功のコーナーはこのあと簡単な瞑想を行って終了しました。その後、代表の説法です。
今回は2つのテーマで話がありました。1つは「仏教の基本的な内容」の講義。2つめは「浄土真宗の開祖・親鸞について」のお話です。
●仏陀釈迦牟尼が初転法輪で表した「四正諦」について
①「この世は苦である」仏教は人間の苦しみについて洞察し、四苦八苦の苦しみがあると説きます。
四苦とは基本的な苦しみとしての生・老・病・死の4つをあげます。次の八苦とはその四苦にプラスして「求めても得られない苦しみ」「得られたとしてもそれと別れなければならない苦しみ」「求めるとき敵対者と争う苦しみ」「すべては苦である」です。
さらに分析すれば、人間の(煩悩的な)幸福はすべて何らかの形で他を押しのけながら得るものであるのが分かります。つまり、他を不幸にしてしか幸福は得られず、この世は苦であるのです。
②「苦しみは何故生じるか?」欲求・渇愛によって生じる。
③滅尽する方法がある。
④滅尽する道は八正道である。そして、自分に執着することを離れる四念処、五蘊無我の瞑想を行います。
ここで小乗仏教においては他を傷つけないことによって幸福を得ようとしますが、大乗仏教に至って他を幸福にすること、他の苦を取り除くことまでを行います。このように自分だけの幸福のみならず、すべてを幸福にすることによって自らも幸福になることを目指すのです。
●「勝ち組」「負け組」という観点からの幸福観について
日本の中では負け組と感じている人も、世界的に見れば勝ち組である。これは仏陀が説く正見=正しく見るとは「全体を見る」ことであり、つまり「人類全体を見る」「人生全体を見る」ことに他なりません。「自分は苦しいと思っているが、もっと多くの人が苦しんでいる。」ことが分かり、慈悲が生じ、対極にある貪りが静まります。
今与えられたものに感謝し、分かち合うことが重要です。
無智からは怒り、貪りからは不満と奪い合いしか生まれませんが、慈悲と智慧の実践・すべてを神仏の表れと見るカルマヨーガにより、感謝の気持ちが生まれ、感謝の輪が増大し幸福が広がります。
●「智慧と方便」について
方便とは利他の実践の手段であり、様々な宗教の目的は同じでも、手段を目的とすることによって争いが絶えません。
目的は智慧・慈悲が増大することであり、手段の奴隷にならないよう気をつけなければならないということを戒められました。ちなみに、智慧と慈悲は死んでも残るということです。
●「親鸞」についてのお話
親鸞は浄土真宗の開祖ですが、自らを法然の弟子として位置づけていたようです。この真宗が起きた理由は、新興宗派の浄土宗が御上の逆鱗に触れ、法然、親鸞がバラバラに流刑され、親鸞が自ら布教を行ううちにその教えが独自のものに変化していった事によるということです。
親鸞は「悪人正機」(=人は自らを悪人と思っている悪人こそ救われる機会がある)を説きました。現代人のように他人を押しのけて幸せになろうと自覚している人は救われる機会は少ないのです。自分たちを良い人・良い国と思っていた先進国の慢心が、地球資源を枯渇させ、飢餓を蔓延させました。
これが幸せの見本だとした先進国のライフスタイルを、途上国が踏襲すれば、さらなる地球資源の枯渇、飢餓を促進させ、国同士の資源の奪い合い=戦争に発展するのは必至です。
この法然・親鸞が浄土宗・浄土真宗を起こした背景には当時の世の中が飢餓・流行病が蔓延し、あたかも末法の世を呈した事によります。つまり、それまでの仏教が一般民衆には全く無力であった事から、民衆を来世に浄土に導く阿弥陀如来信仰を広めたのです。
親鸞は「他力本願」を説きました。阿弥陀如来は自分を念じるものすべてを救うことを本願としており、阿弥陀念仏を1回でも唱えれば救われるとしました。百万遍唱えるではなく、たった1回です。
飢餓に苦しむ人でもたった1回唱えることにより来世浄土へ生まれ変わることが出来るとしたのです。そして、2回目以降を「報恩念仏」とし、救われた事による感謝の念を持って唱えなさいとしたのです。
このようにして感謝の輪を広げていきました。「歎異抄」でも弟子の唯円との対話で人の慢心を戒めています。ひとは既に与えられたものに感謝することが必要です。慢心は自我執着によるものであり、「自分に執着しない」ことは仏陀釈迦牟尼の教えにも通じています。
この時代の方便は現代では空回りしてしまうかもしれませんが、本質は感謝と分かち合いであり、すべての人が感謝の対象であり、他から与えられたものに満足し、恩返しして、分かち合う事こそがすべてを幸福にする道なのです。
このような説法のあと、儀式ヨーガ(三礼、神殿参拝、釈迦・観音の真言、供養、懺悔、弥勒の真言・瞑想)を行い、今日の説法会は終わりました。
(H・O)







