2010年4月10日千葉説法会レポート
(2010年05月02日)
今回の代表の説法の主な内容は、ゴールデンウィークセミナーについてと、一元の法則の切り口についてです。
今回の上祐代表の説法を聞いて、会員さんから次のような感想がありました。
それぞれにいろいろと普段の自分を振り返り、見つめ直すよい機会となっているようです。
日常生活で生起する感情をよく分析していけば、他にたいする不満や嫌悪をずいぶん減らすことができるのではと思いました。
●「楽に偏った現代社会で初心を忘れず、緩みすぎない事。」 というのが身にしみました。
今回の説法は、ゴールデンウィークセミナーに対する期待を十分に感じられる説法でした。
では、その上祐代表の説法の内容を簡潔にご紹介します。
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1.ゴールデンウィークセミナーについて
代表一行は、今年の4月2日、3日に諏訪の御柱祭に参加した。
御柱祭の関係者のご好意によって、御柱祭に参加でき、前宮の2の柱、本宮の1の柱を引くことができた。
この前宮の2の柱、本宮の1の柱はともに、ひかりの輪と縁がある柱である。
前宮の2の柱は、前宮で聖水を汲んだところのすぐそばにある柱である。
また本宮の1の柱は、以前この柱の前で瞑想したときにミシャクジ神と思われる魂のイメージの体験をしたことがある柱である。
諏訪の神様であるミシャクジ神の「シャ」は風神、雷神のことで、ヒンズーのマハーカーラ(大黒天)と関係がある。
また雷と密教のヴァジュラサットヴァは関係があるので、ミシャクジ神とヴァジラサットヴァも関係があるということになる。
そして日本古来の神様で、雷と関係が深いのは、鹿島神宮の武甕槌命(たけみかづちのみこと)である。
そう考えると、今までのひかりの輪の聖地巡礼の巡礼地とつながりが出てくる。
ヴァジュラサットヴァとは強固な智慧と慈悲の象徴で、ひかりの輪とヴァジュラサットヴァとは縁がとても深いものがある。
智慧(悟り)を得るためには功徳が必要でる。
そして、その功徳を積む修行が方便である。
今度のゴールデンウィークセミナーでは、方便を使って功徳を積み上げる修行について行う予定である。
その修行のひとつが「金剛さったの内省修行」である。
今度のゴールデンウィークセミナーで金剛さったの内省修行などを行って、しっかしと自分を見つめて、弛みを修正して、悟りの道程に入って行けるようにしてもらいたい。
今回、千葉道場の四方に修法した柱を立てて結界を張った。
この結界の本来の目的は、もともとは国家鎮護であり、すべての人に慈悲を振りまくというものである。
邪気を寄せつけないという意味ではない。
2.一元の法則の切り口について
(1)三仏の法則
一元の法則の切り口のひとつに、三仏の法則がある。
三仏の法則とは、釈迦牟尼の法則、観音菩薩の法則、弥勒菩薩の法則のことである。
釈迦牟尼の法則とは、苦楽は表裏であり、苦は楽と、楽は苦とつながっており、それぞれは独立していず、絶対的なものではないということである。(縁起の法)
観音菩薩の法則とは、この世に善悪の絶対的な区別はなく、善悪は比較によって生じ、相対的なものでということである。
この世には良い行為、悪い行為というものは存在するが、悪い魂というものはない。
そして、すべての魂は神の化身であるので、自分も含めてすべての魂は平等に神聖である。
さらに、すべての魂は仏陀へ至る過程にあるので、未来の仏陀となる魂である(仏性論)。
弥勒菩薩の法則とは、自分と他人の区別はないということである。
例えば、自分の体を構成している物質はどんどん外界の物質と入れ替わっている。
つまり今まで自分の体を構成していた原子・分子が他人の体の中に入り他人の体を構成したり、他人の体を構成していた原子・分子が自分の体の中に入って自分の体を構成するということが絶えず起きている。
このように物理的に自分と他人の境、区別はない。
そして心も同様で、自分の心の中にあるものが外界に現れ、外界にあるものは自分の心のなかに存在する(唯識)。
物理的にも、精神的にも自分と他人の区別はない。、
(2)三乗の法則
もうひとつの一元の法則の切り口として三乗の法則がある。
その三乗とは、原始仏教、大乗仏教、密教のことである。
原始仏教の法則とは、すべては縁起しているということである。この世に他から独立して存在しているものはひとつもないという法則である。
大乗仏教の法則とは、万物は仏の現れであるということである。よってすべては善であって、善悪の区別はない。
密教(時論)の法則とは、万物は循環するということである。自分も他人も循環し(入れ替わる)、絶えず他人と入れ替わっている。
よって絶対的な、固定した自分と言うものは存在せず、自と他の区別はないということである。
自と他の区別をなくしていくためには、その前に苦楽の区別、善悪の区別をなくしていく作業が必要である。
まず苦楽の区別について考えてみる。
善業を積むことは、(煩悩にとっては)初めは苦痛に感じられる。
しかし善業は将来の喜びにつながる。
逆に、楽は将来の苦しみにつながる。
この実践を正しく行うためには、実際の行為と、その行為の理論的な裏づけとなる智慧と功徳が必要である。
またこの実践を行うときは、苦にも楽にも偏り過ぎないようにバランスをとりながら実践することが大切である。
この実践がゆるみすぎると、善悪の区別をなくすことも、自と他の区別をなくすことも進まなくなってしまう。
今のひかりの輪は、ここがゆるんでいるように見える。
人間の性質として、一度ゆるむと、どんどんゆるんで行ってしまう傾向があるので、ゆるみには注意が必要である。
善悪の区別は、何かと何かを比較することによって生じる。
この比較は、この世に自分が生まれてからずっと修習していることなので根深いものがある。
よってまず、回りのものはすべて仏の現われであって、すべて神聖であり、もともと比較できないものであると考える必要がある。
そして、自分自身の幼少期から振り返って考えて、内省し、修正する作業が必要である(金剛さったの修行)。
他と比較することによって、自分が優れていると考えると慢心になり、自分が劣っていると考えると卑屈になってしまう。
どちらにも偏らないようにしなければならない。
吉野の金峯山寺の金剛蔵王権現は、背景に真っ赤な炎があり、体は青である。
この赤が智慧を現していて、青は海、慈悲を現していると言われている。
智慧と慈悲の実践の目的は、すべての幸福を分かち合うことである。
またこのときの方便と慈悲は、それぞれ男性原理と女性原理にあたる。
同様に男性原理と女性原理のセットのものは次のようなものがある。
(女性原理)/(男性原理)
空 / 四無量心
智慧 / 慈悲
智慧 / 方便
教学、思索 / 功徳、行為
などがある。
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以上が、上祐代表の説法でした。
千葉支部の説法会は、毎月一度行われていますので、お気軽にお越しください。







