【神在月の出雲2】11月15日 出雲大社の参拝に向かう
神話に思いを馳せながらの宍道湖散策の後は、近くの玉造温泉に立ち寄り、八岐の大蛇の舞台・斐伊川を長めながら、出雲大社へと向かいました。
◆玉造温泉
雨や曇りの天気の宍道湖で少し冷えた身体を、宍道湖のほとりの神話の温泉・玉造温泉に立ち寄り、温めさせていただきました。
温泉に入れない人は足湯。湯量も豊富で、身体にしみいるとてもよい温泉でした。
奈良時代に開かれた玉造温泉は、大国主神とともに国造りをした少彦名神(すくなひこなのかみ)により発見されたと伝わる、日本でも最古の歴史を持つ温泉で、その効能は京の都でも評判だったようです。
「ひとたび濯(すす)げば形容(かたち)端正(きらきら)しく再び浴(ゆあみ)すれば万(よろず)の病ことごとく除こる」(『出雲風土記』)
「湯は、ななくりの湯、有馬の湯、玉造の湯」(清少納言『枕草子』)などとうたわれています。
また、この玉造は、弥生時代から盛んに勾玉作りが行なわれてきた“玉作りの里”で、この地から産出する瑪瑙(めのう)を使い、技術者集団「玉造部」が勾玉作りとを行ってきました。
「三種の神器」の一つ「八尺瓊の勾玉(やさかにのまがたま)」は、勾玉作りの祖と言われる神・櫛明玉命(くしあかるだまのみこと)によって、この地で作られたと伝えられています。
◆八岐の大蛇神話の舞台・斐伊川
玉造温泉で温まった後は、そのまま車で一路出雲へ。
道中では、有名な須佐之男命の八岐の大蛇神話の舞台である、斐伊川(ひいかわ)を、車窓から眺めることができました。
大蛇のようにうねる斐伊川は、なるほど八岐の大蛇を思わせる大河です。この川が、須佐之男命の八岐の大蛇退治の場所なのです。
『古事記』によると、高天原から追放された須佐之男命は、出雲にやってきて、川岸で、八岐の大蛇に8人の娘のうち7人の娘たちを食べられ、最後の娘・櫛名田比売(くしなだひめ)が食べられてしまうと泣いている老夫婦と出会いました。
須佐之男命は策をめぐらし、八岐の大蛇に酒樽の酒を飲ませて酔わせ、美しい櫛名田比売に変装して待ち構え、八つの首を切り落として退治したのです。
そのとき、この八岐の大蛇の尾から長い不思議な太刀が出てきたのですが、それは三種の神器の一つ「草薙の剣」として代々天皇家に受け継がれていくものとなったのでした。
神話の研究では、この「八岐の大蛇」とは、斐伊川そのもののモチーフではないかとも言われています。
治水技術が未熟な当時、豪雨のたびに川は増水し、濁流となって集落を襲い、多くの人命を飲み込んだことは想像に難くありません。
そして、斐伊川の源流部一帯は、古代から砂鉄の産地として有名で「タタラ製鉄」と呼ばれる武器や農具に使う鉄の製鉄が盛んに行われており、砂鉄を採るために山肌を削り土砂を水とともに流したため、それも氾濫の原因となっていたそうです。
八岐の大蛇の尾から出てきた草薙の剣は、このタタラ製鉄で作られた剣ではないかといわれています。
この「タタラ」は、宮崎駿のアニメ『千と千尋の神隠し』に登場するタタラ場のことで、映画は、実際にこの地を元に作られたのだそうです。
『古事記』の舞台が、現代ではアニメに取り入れられて蘇っているのでしょうか。
◆出雲大社の参道をゆく
いよいよ出雲大社に到着しました。駐車場から参道に向かって歩いている途中から、八雲山を背景に鎮座する出雲大社の本殿の屋根が見えました。
とても大きなお社で、現在は平成の大遷宮の最中であるので、白い建物で覆われています。
八雲山は入山が禁じられている神聖な禁足地の山です。
「八雲」とは、この出雲の地が、古代、八つの雲がたなびく地であったことに由来しており、現代でも雲のわき立つ地が出雲なのです。
24メートルもあるたいへん巨大なお社です。
さらに、古代の創建当初にはあの八雲山と同じ100メートルもあった可能性があるというのですから驚きです(2000年の発掘調査により、創建当初の社殿の大きさが現在の社殿の4倍の約100メートルほどあることが現実味を帯びてきている)。
( 本殿の遠景 )
平安時代には、現在の約2倍の大きさの48メートルもあったそうで、平安時代の『口遊(くちずさみ)』(今でいうギネスブック)には、「雲太」(出雲大社)が一番高く、「和二」(東大寺大仏殿)が二番目。
「京三」(京都大極殿)が三番目だと記されているのです。
雲太・和二・京三シルエット 出雲大社本殿:福山敏男監修・大林組設計、東大寺大仏殿:山本栄吾「東大寺創建大仏殿復元私考」日本建築学会論文報告書69号、平安宮大極殿:高橋康夫監修設計図面による(古代出雲文化展http://inoues.net/study/bunkaten.html)
この大社は、『古事記』が描く最初の神社ということになります。
伊勢神宮は、出雲大社よりもずっと後に登場します。
大国主神の国譲りの象徴として建てられたと伝わりますが、これだけの巨大な大社に最初にお祀りされた、大国主神はどれほど偉大な神だったのだろうかと思わずにいられません。
まず、勢溜(せいだまり)から、木製の鳥居をくぐって、参道へと入っていきます。
南の方には、巨大なコンクリートの鳥居が見えますが、古代にはその鳥居のところまでが海だったのだそうで、海辺に建つ巨大な大社の姿が目に浮かぶようです。
( 勢溜の大鳥居 )
この参道は全国でもまれな「下り参道」になっていて、下りながら一気に厳かな神域に入っていくかのようでした。
( 下り参道 )
左手には、祓社(はらえのやしろ)と浄の池(きよめのいけ)があり、そこを通って浄めていただきながら参道を進んでいきます。
そして、聖山・八雲山からの清流の流れる祓橋(はらえのはし)を渡り、松の参道を進んでいきます。
( 松の参道 )
すると、神話をモチーフにした大国主神の像が左右に二つ見えてきました。
( 大国主命と白ウサギ )
上の像は、稲葉の白ウサギの神話の像です。
大国主神が傷ついた白ウサギを助けて癒し、その白ウサギが、大国主神が八上比売(やがみひめ)に選ばれることを予告したお話です。
これによって、大国主神には、医療・癒しの神の御神徳が備わったとされています。
大国主神はウサギ以外にも、動物に助けられることが多く、動物を助けて、動物に愛されるところが、お釈迦様とも似ています。
生き物を大切にすることが健康長寿をもたらすとするインド思想と共通する神話なのかもしれません。
( 2010年11月15日 実施 )






