【神在月の出雲6】11月16日 観音菩薩像と聖徳太子ゆかりの飛鳥へ
◆向原寺――36年をへて蘇った観音菩薩像
15日の出雲・神在祭が終わり、宍道湖のほとりの松江に一泊して、今度は一路、奈良・飛鳥へと向かいました。
飛鳥時代の中心地にして日本の故郷、聖徳太子の生誕地、そして、仏教伝来の地・飛鳥。
まずは、わが国で最初のお寺である向原寺に行きました。
6世紀初頭、日本に仏教が伝来したときに蘇我稲目が金銅の釈迦仏を安置したのが始まりとされています。
お目当ては、盗難にあった後、奇跡的に36年ぶりに復活された観音菩薩像の拝観です。
今年9月に、なんと、オークションで見つかったとのことでした。
住職さんは、仏像は必ずお帰りになると信じて、ずっと待っていらっしゃったのですが、本当にお戻りになられたのです。
この仏像は、善光寺の秘仏(日本最古の仏像)とともに、この向原寺の難波の池「難波の堀江(日本書紀)」に、当時の廃仏派である物部氏に投げ捨てられた後に引き上げられたとされる、飛鳥時代のたいへん貴重な仏像です(ただし、善光寺秘仏と違って百済型であるものの日本で作られたものではないかといわれています。)。
以下がその時のニュース等です。
◎寺宝ほほ笑み再び - 盗難から36年“帰郷”【向原寺の観音菩薩像】
2010年9月25日 奈良新聞
( http://www.nara-np.co.jp/20100925105811.html )
◎観音菩薩像が復活!不思議なシンクロ現象
上祐史浩オフィシャルサイト 日記(2010年09月28日)
( http://www.joyus.jp/diary/022010/0128_1.html )
住職さんは、長い旅を終えられてお帰りになられたと、とても嬉しそうにおっしゃっていましたが、その強い信念と仏のご意思なのでしょうか。
拝観させていただくと、予想以上に小さく、けれども、なんともいえず清楚で、美しいお姿です。
「白鳳のほほ笑み」ともいわれる童子のような優しいお顔を間近で拝むことができました。
盗難に遭った後だというのに、寺宝は簡素なガラスケースに入れられただけの無防備さで、「戸締まりは大丈夫・・・か」との声が上がるほどでした。
自由にお写真も撮らせていただくこともでき、ご住職の心の広さに感謝しました。
上祐代表も、ともかく直接見れたので十分という気持ち、と語っていました。
さて、この向原寺は、飛鳥時代は、592年に日本最初の女帝・推古天皇が即位され、豊浦宮と呼ばれていました。
その後約一世紀の間、飛鳥が政治の中心として栄えることとなりました。
そして、その後は日本最初の尼寺となった歴史があります。
10年間豊浦宮が置かれた後、603年に宮を小墾田(おはりだ)に移すにあたり、宮を蘇我馬子が譲り受け、日本で最初の尼寺の豊浦寺が創建されました。
聖徳太子により冠位十二階の制が定められ、604年には憲法十七条が制定された時代でした。
そんな時代の仏像がお戻りになられたのです。
◆甘樫丘
次に、向原寺のすぐ南にある甘樫丘(あまかしのおか・標高148m)へと、美しい秋の田園を散策しながら向かいました。
丘はちょうど紅葉で色とりどりの風景です。
ここは蘇我氏の邸宅があった場所でもあります。
丘の上から、大和三山を含めた飛鳥・大和の美しい風景を眺めました。
360度の美しい展望が望めます。
天(あまの)香(か)具(ぐ)山、耳(みみ)成(なし)山、畝傍(うねび)山という大和三山。
その間に藤原京、三輪山や青垣の山々、西方には二上、葛城、金剛の山々、南に高取から吉野の連山が、東に多武(とおの)峰(みね)の山々を望むことができました。
( 天の香具山(右) )
( 畝傍山(左)と耳成山 )
飛鳥は古代文化の地ですが、都市開発が制限されているせいか、自然の聖地としてもとてもよく、気持ちの良いところです。
この丘は、古来、神の住まう聖地とされていたそうです。
わが国では『古事記』において重要な場面でうけひ(誓約)が行われていますが、『日本書紀』によるとこの丘は、「誓盟(くがたち)(くがたち)の神」の鎮座する神奈備の山で、盟神探湯(くがたち)という、古代日本で行われていた神に神意を問う神明裁判が行われていたと伝えられています。
◆橘寺――聖徳太子の生誕地
そして、最後は聖徳太子の生誕地の橘寺を参拝しました。
今回は本堂で瞑想するとともに、太子が生まれたとされる、馬小屋の跡地に行きました。
周りの田園風景は、安らぎの日本のふるさとのようで、いるだけで癒されるとおっしゃっていた方が何人もいました。
太子は馬小屋で生まれたため、厩戸(うまやと)の皇子と呼ばれていました。
徳と智恵によって国を治めた太子は観音菩薩の化身ともいわれ、神格化されて今でも信仰を集めています。
この生誕のストーリーは、同じ馬小屋で生まれたイエス・キリストと似ています。
現在は馬小屋はなく、記念碑だけがあるのですが、とても気持ちのよい場所でした。
太子誕生の馬小屋の跡には鳳凰のような雲が出ていました。
生誕の地の石碑に、丸く虹があたっている写真も撮れました。
このお寺には、606年、太子が推古天皇のために「勝(しょう)鬘(まん)経(ぎょう)」を説いているとき、庭に蓮の花が1メートルも降り積もったり、南の山に光明を放つ千の仏頭が現れたり、太子の冠から、日月星の光が輝くなど不思議な出来事が相次いだため、天皇が仏堂建立を命じたと伝えられていますが、
そういったことが起こっても不思議ではないような気のするところです。
上祐代表も、「重要な場所に来れただけで十分という気持ち。
これも後で何かに繋がっていく。それが無限の縁。」と語り嬉しそうな様子です。
太子の思想やその慈悲の波動が残っているようにも感じ、訪れる度にそれらに包まれるような感覚を覚える、という人もいました。
最後は、お寺の本堂の
「和をもって尊しとなす。忤(さか)ふること無きを宗(むね)とせよ。」
という聖徳太子の言葉が刻まれた柱をしっかりと見つめて、心に刻みつつ、その場を後にしました。
観音菩薩の化身といわれた太子の最も重要な言葉は、この言葉なのかもしれません。
( 2010年11月16日 実施 )






