【日光レポート7】追体験、日光の始祖・勝道上人の慈悲の悟り
日光の巡礼が終わった翌日、上祐代表の日記で、今回の巡礼に関する考察が興味深かったので、この巡礼レポートの最後にも写真を入れて掲載したいと思います。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
日光巡礼が終わった翌日の今日、改めて、今回の巡礼について考えてみたのですが、もしかすると、私たち一行は、日光を開山した勝道上人とシンクロした体験をしたのではないかと感じました。
日光の開山の伝説とは、勝道上人が、日光の中心的な信仰対象である聖山である、男体山(標高2500弱)に登ろうとして、なかなか登れずに17年が経つ中で、大黒天の祝福を受けてついに登頂に成功し、その後、その地を観音菩薩の聖地であると感得したことによる、とされています(千手が浜に千手観音を見た)。
( 男体山 )
そして、その後、男体山は、神道の大国主命と仏教の千手観音菩薩を一体とみて、それをを象徴するものとして信仰されるようになりました(神仏習合の考え方)。
なお、この大国主命は、神仏習合では、開山を助けた仏教の大黒天と同一です(大国主命も大黒天は、音読みするとダイコクになるなどから同一されるようになりました)。
また、日光の大国主命は、厳密には、大国主命の化身の1つであるオオナムチノミコトです。
この神は海蛇であり、大国主命は、龍蛇の神の性質を持ちます。
ここで、龍蛇の神といって、龍と蛇を一体視しましたが、龍という神は、蛇を神格化したもので、元はインドから伝わった信仰です(インドではナーガと言います)。
龍(ナーガ)は天候を司る神で、具体的には、雨を降らせるので、水の神でもあります。
そして、先ほどは述べませんでしたが、日光開山の伝説の一場面には、龍や蛇が、勝道上人を助ける場面が出てきます。
具体的には、勝道上人が川を渡とうとしても、渡れなかった時に、龍が現れて助けたとされています。
こうして龍や蛇が出てくるのも、大国主命・オオナムチノ命が龍蛇の神であることと連動しているとも解釈できます。
オオナムチノ命、自分自身が蛇の神ですが、同時に、自分の御使いとして、蛇を使います。
さて、ここで、神話を分析する学者の方が良くやるように、これらの伝説・神話を合理的に分析して、いったいどのような実際の事実・体験から、このような伝説が生まれたかを推察してみましょう。
まず、17年もの間、男体山に登ろうとして登れなかったことについて、登れなかった理由を合理的に解釈すると、現在のような山道が無かったということもあるでしょうが、それ以外としては、現代の登山が正にそうであるあるように、天候条件が整わなかったこと、すなわち、風雨、風雪などが、重要な理由の一つだったと考えることができると思います。特に日光の冬は厳しい。
この解釈は、この登山の障害が、大黒天の守護で取り除かれたという話とよく整合性が取れます。
先ほど述べたように、大黒天=大国主命=オオナムチノ命=龍蛇の神=天候を司る神です。
すなわち、天候条件が整って登山に成功したことを、大黒天の守護があったと解釈したのではないかということです。
また、勝堂上人が、川を渡れなかった時に、龍が現れて助けたという伝説も、同じような合理的な解釈が可能です。
つまり、雨などによって水かさが増し、川が渡りにくかったのが、それが治まって、渡りやすくなったという事実を、雨・水・天候の神である龍によって助けられた、と解釈したのではないかということです。
このように合理的に神話を生んだ事実を推察してみると、私たちの日光の聖地巡礼での瞑想や体験は、勝道上人の開山の伝説や、その後の日光の神仏習合の信仰と、非常にシンクロしたもののように感じます。
まず、私たちが行なった瞑想、すなわち、雨で巡礼がしにくい状況で、雨を観音様の慈雨と考えて、雨に潤う聖地と一体となって喜び、観音菩薩の心に近づくという瞑想についてです。
( 雨の日光 )
この瞑想は、仮に雨を降らせると神がいるとすれば、その神を観音菩薩と(一体と)見ていることになりますから、勝堂上人以降の日光の神仏習合の信仰において、大国主命と観音菩薩を一体と見て信仰するようになったことと、非常に良くシンクロしていると思います。
そして、その瞑想を始めると、天気予報に反して、雨が止んで晴れ上がり、勝堂上人が観音菩薩を感得した千手が浜に無事に行くことが出来たことは、上人が、大黒天(=大国主命)の守護を受けて登山に成功し、その後、観音菩薩を感得したことと、よくシンクロしているように思います。
( 千手が浜 )
その千手が浜では、非常に気持ちの良いお天気雨がぱらぱらと降って、明るい日差しの中の温かい雨に、まさに観音菩薩の慈悲の涙を感じた、という参加者の方もいました。
そして、良く思い出して見ると、私たちが体験したシンクロ現象は、これだけではないように思います。
その瞑想と講話を初めて、雨が上がって晴れるまでの数時間の過程自体が良くシンクロしています。
まず、私たちは、雨が止む過程で、中宮祠をお参りしました。
実は、ここには、男体山の登山口があって、大国主命が祀ってあり、私たちは人生の成功を妨げる内外の障害からの守護を祈願しました。
( 二荒山神社中宮祠 )
その次に、私たちは、勝堂上人が彫ったという千手観音菩薩の仏像と、上人を助けた大黒天を祀っている中禅寺を参拝しました。
そして、そこからは男体山がよく見えるのですが、その時は、山を横切るような長い雲が、とても美しくかかっていて印象的でした。
( 中禅寺 )
そして、実は、このような細長い雲は、形が龍と似ているので、龍雲とも言われることがあります。
実際、雲が雨を降らすので、雨を降らす神と龍を一体視するのは自然ですね。
実際に、参加者の中で、雲が龍に見えた人もいたそうです。
( 男体山と龍雲 )
その後、華厳の滝に行きました。
そこでは、いよいよ日差しが強くなって、滝の前に虹がかかりました。
この虹は、天かける龍という信仰があり、虹という文字も、虹が蛇(龍)と関係があるために、おなじ虫へんとなったという説もあります。
この虹に、とても感動した参加者の方がいましたね。
( 華厳の滝の虹 )
こうして、私たちの体験が、勝堂上人の開山伝説に出てくる要素と非常にシンクロしたものだとすると、その理由は何か。
勝堂上人と私たちは、同じ日光に行った、同じ仏教を奉じる者として、日光の聖地が持つ、慈悲の教え(観音菩薩の教え)を、時代・時空を超えて、共有したのだろうか。
いや、それはおこがましい考え方であって、苦節17年を経て、日光の開山に至った勝堂上人の観音菩薩の慈悲の悟りが、未だに、その聖地に波動として残留しており、私たちは、その恩恵に授かったのではないか。
すなわち、降っている雨を、観音菩薩の慈悲の涙と考え、自然と一体となって喜び、観音菩薩心に近づこうと考えたことや、その後に、急速に天候が改善していったという体験は、もしかすると、勝堂上人が得た、大黒天の守護と観音菩薩の悟りと繋がったものではないのか。
その恩恵を受けたのではないのか。
勝堂上人は、17年の苦闘の修行の中で、雨を嫌がるような人間の利己的な心の働き・視点を乗り越えて、多くの生命を無差別平等に育んでいる水や雨、陽の光、大地といった大自然の中に、人間が忘れがちな慈悲深き本質を見いだしたのではないか。
( 静寂な千手が浜 )
その結果、上人自身の慈悲の心が深まり、その心の現れとして、慈悲の心から生まれたとされる観音菩薩を見た、すなわち、観音菩薩の慈悲を悟ったのではないか。
こうして、日本の土着の自然信仰や神道信仰と、外来宗教である仏教の仏の慈悲の信仰が、
一体となって結実したのではないか。
このような思考が浮かんできました。
いずれにせよ、何か時代を超えたシンクロニシティを感じます。
最初は自分で気づいた瞑想だと思っていましたが、本当はそうではなくて、聖地日光から、勝堂上人から、与えてもらったものだったのだろうと今は思います。
こういった体験や気づきは、正に聖地修行の醍醐味です。
ここに何か重要な真実があると感じます。最後に改めて、日光の聖地と、仏道修行の偉大な先達に、心からの感謝と敬意を表したいと思います。
( 2010年10月10日 実施 )






