【日光レポート3】10月9日 雨の日光東照宮と輪王寺
◆日光東照宮
午後になると、雨はかなり強まってきましたが、それでも多くの観光客で賑わっていました。
「見ざる聞かざる言わざる」で有名な猿の彫刻を見物して、まずは陽明門で、先回りしてライブ中継の準備をしていたスタッフと合流し、USTREMライブ中継を行いました。
録画動画はこちらでご覧になれます。
( 東照宮の人出 )
( 三猿 )
日光東照宮は、江戸幕府を開いた初代将軍・徳川家康を祭神としています。
家康は、自らの遺言に従ってこの地に葬られ、その後、現在にまで伝わる華麗な社殿が造営されていきました。
家康に仕えた天台宗の高僧・天海の説(山王一実神道)に基づき、家康は、本地仏(本体である仏)を薬師如来とし、神号を東照大権現とする神として、神仏習合の形態で祭られています。
ここでは、それまでの戦乱の世を鎮め、世界史上類例のない長期にわたる泰平の江戸時代を築いた家康は、「平和をもたらした神」として位置付けられています。
戦争や内乱を鎮めて社会の安定を実現するといわれる薬師如来が家康の本地仏とされている理由は、そこにあるといえます。
東照宮内に彫られた数々の生き物――例えば眠り猫や、猿、獏(ばく)等は、いずれも平和を象徴しています。
( 眠り猫 )
( 象 )
順に、拝殿、奥の院、鳴き龍と参拝していきましたが、東照宮はしっとりと雨に濡れて、落ち着いた雰囲気の中巡礼でき、なかなかよいものでした。
参加した方からも、雨の日光も素敵ですというご感想が多かったです。
奥の院に続く長い階段の参道の苔や竹林が、雨に濡れて輝いていて、奥の院でも落ち着いた時を過ごすことができました。
( 奥の院 1 )
( 奥の院 2 徳川家康の墓 )
◆日光東照宮とひかりの輪との不思議な縁
上記の通り、家康は遺言を残したのですが、それは「日光の地に自分を神として祭れ、そして私は平和の守り神となろう」という趣旨がありました。
家康は、天の中心である北極星を背景にして、真南にある江戸を守護するために、江戸の真北にある日光の地をあえて選んだと考えられています。
位置関係は以下のようになっています。
〔北〕北極星(天の中心)
↓
日光東照宮(神とされた家康)
↓
〔南〕 江戸(現在の東京)
そして、日光とひかりの輪には不思議な縁があります。
ひかりの輪の本部が入居しているマンション(世田谷区南烏山)は、なぜか、この、日光を象徴する豪華絢爛な陽明門と、その背後にある拝殿・本殿から、ちょうど真南に約120キロ南下した場所に建っているのです。
具体的には、地図ソフトで調べると、東経139度35分56秒の線上に、北から日光東照宮の本殿、拝殿、陽明門、そしてこのマンションが、寸分の狂いもなく一直線に並んでいます。ひかりの輪本部内の、第一道場・第二道場およびその直上の上祐代表の部屋は、家康の墓所である「奥の院」の真南に位置しているという、不思議な偶然があり、また、上祐代表は、以前から徳川家康を尊敬していて、家康の遺訓から学んでいます。
◎徳川家康 遺訓
人の一生は重荷を負(おひ)て遠き道をゆくが如し
いそぐべからず
不自由を常とおもへば不足なし
こころに望(のぞみ)おこらば
困窮したる時を思い出(いだ)すべし
堪忍(かんにん)は無事長久の基(もとゐ)
いかりは敵とおもへ
勝事(かつこと)ばかり知(しり)てまくる事をしらざれば
害(がい)其(その)身(み)にいたる
おのれを責(せめ)て人をせむるな
及ばざるは過(すぎ)たるよりまされり
◆輪王寺(三仏堂)
初日の最後は、輪王寺でした。輪王寺も、奈良時代に勝道上人によって開創されたと伝えられています。
三仏堂の内陣には、日光三社権現の本地仏である千手観音・阿弥陀如来・馬頭観音が祭られています。
( 現在工事中の輪王寺 )
輪王寺は、後に、天台宗の高僧・円仁が来訪し、三仏堂や常行堂などの伽藍を建立し、栄えていきました。
その後一時衰退しましたが、東照宮を造営した天海が住職となってからは復興していき、天台宗の寺院として隆盛を極めました。
ここでも、USTREMのライブ中継を行い、上祐代表は、慈悲の菩薩・母なる仏・観音菩薩に関する講話を行いました。
こちらでご覧になれます。
こうして1日目の雨の巡礼を終え、宿へと向かいました。
( ライブ中継の様子 )
( 2010年10月9日 実施 )






