【善光寺・戸隠・諏訪レポート3】6月6日 諏訪大社・上社本宮 新しい御柱の参拝
◆御柱祭りの年に
2日目の6日は、戸隠から南下して、諏訪へと向かいました。
諏訪大社では、今年の5月に、御柱祭りが行われ、御柱が建て替えられました。
御柱祭りとは、諏訪大社にて、七年に一度の寅と申の年に、宝殿を新築し、社殿の四隅に建ててある御柱と称すモミの大木を建て替える祭りのことで、諏訪地方の6市町村21万人の人々が、こぞって参加する天下の大祭です。
今年は、上祐代表らが、御柱祭りのうち、4月の上社の里曳きと、木落しに参列させていただき、その想像以上の人々の熱気や祭りの壮大さに、たいへん驚きました。やはり実際に参列し、天下の大祭といわれるそのゆえんを体験させていただいたと思います。
御柱祭りがいつから行われているのかは定かではないそうですが、「諏訪大明神画詞」という古文書には、「8世紀、平安初期の桓武天皇の頃に始まった」とあるそうです。
今年、守矢資料館に開示されていた「御柱祭礼之事並雑記」という起源を伝える最古の文書に、建御名方神が出雲を追われ諏訪に来たときに、国家鎮護のために四本の柱を建てたという記載があるのを知り、とても驚きました。
古事記に出てくる神さまが、国家鎮護を願ってこの御柱をお建てになり、その祭りが現代人に受け継がれ、連綿と続いているとは、なんてすごいことなのだろうと思います。
ほかには、高い柱を建てて神の降臨を願った古代信仰の名残ともいわれています。
諏訪では、この七年に一度の御柱祭りが、人が神と真剣に向き合い、その加護を感じる節目ととらえられているのだそうです。
そして、今年の5月、ちょうど同時期に3周年を迎えたひかりの輪は、諏訪の御柱の建て替えにあやかり、新たな気持ちで立て直していこうと、建て替えられた真新しい御柱を拝見させていただくことになったのです。
◆諏訪大社 上社本宮
まず最初は、上社本宮に向かいました。
鳥居をくぐると、すぐ左に、真新しい一の柱がそびえています。
木の皮がむかれて、木肌になった、つるつるの御柱です。後ろの方は、傷だらけにすり減っていて、長い道のりを曳かれてきたことを偲ばせていました。
一の柱の後ろには、御沓石(おくついし)という磐座もあります。
階段を上り、拝殿を参拝します。
この、諏訪大社本宮は、本殿はありません。守矢山の山自体をご神体としているために、守矢山を仰ぐ拝殿しかないのです。
そして、拝殿の敷地内には硯石と呼ばれている磐座(聖なる岩)があります。
この、本宮の境内には、諏訪七石と呼ばれる磐座の中のいくつかがありますが、諏訪には、山(守矢山)や木(湛えの木などの諏訪七木)や岩(小袋石などの諏訪七石)などをご神体とするようなアニミズム的古代信仰が、この現代にあっても目に見えるかたちで続いている「生きた聖地」であることを感じることができます。
境内をぐるりと一周し、残りの、三の柱、二の柱とまわって、四本の柱すべてを参拝させていただきました。
この後は、ここから歩いて、北斗神社、諏訪大社上社前宮、御頭ミシャグチ総社の参拝です。
◆諏訪大社とは
一応説明しておきますが、この諏訪大社は、全部で四つあります。
御祭神は、公式には建御名方神(たけみなかたのかみ)と、その妃神である八坂刀売神(やさかとめのかみ)とされているのですが、その原初の信仰は縄文時代から伝えられているというミシャグチ神という精霊だといわれています。
今回は、上社本宮と上社前宮を参拝しますが、諏訪大社は、①上社 本宮 ②上社 前宮 ③下社 春宮 ④下社 秋宮という4つの社から成っています。
日本において、これほど大きな4つの大社が接近して一社を成しているのは珍しいそうで、伊勢神宮と諏訪大社だけにみられる形態であることはたいへん興味深いことです(伊勢神宮の場合、内宮は本殿と荒祭宮、外宮は本殿と多賀宮から成る)。
(2010年6月5日~2010年6月6日 実施)






