聖地巡礼
ひかりの輪で訪れた各聖地のご紹介や、聖地巡礼修行をご紹介しています

2012年7月 出羽三山・特別研修

山伏修行参加者の感想・1〔指導員・スタッフ〕(2012年7月 出羽三山・特別研修)

東北の出羽三山の聖地巡礼では、毎年、外部監査委員の修験道の先達の方のご指導を受け、本格的な修験道の特別研修を行っています。

修験道は、山の思想ともいわれます。

山を仏の母胎と見て、山に入って心身を浄化し、人ではなくて山・大自然から学び、自己を見つめ直し、生まれ変わった気持ちで、世俗に戻るという思想があります。

多くの大切なことを学ばせていただき、参加者一同感謝しております。

今回は、二泊三日の全日程、身体の弱さ等でゆったりの人たちのコース、一泊のコースなど、それぞれに合わせた修行をさせていただきました。参加者の感想をご紹介します。

●水野愛子 副代表 50代女性 東京

昨年は初めてということもあり、修験道の先達に導かれての修行がどの程度のものなのか、また、登山に係わる心配ごとなども周りから聞かれましたが、2回目の今回は、(自分も含め)落ち着いて、修行の準備を整えることができたように思います。

今回は2泊3日とじっくりと修行の日程で、滝行、壇張り、南蛮燻し、座禅、などの本格的な山伏修行もご指導いただきました。

羽黒山や月山は昨年よりずっと楽に登れました。ペース配分しながら、般若心経やひかりの輪で唱えている三仏心経の意味合いを考えながら登りました。

登りで息が上がって苦しくなってくると、不思議と無心といいますか、何も思考していないような状態になります。そこで、ふっと周りの自然の雄大さですとか、他の登山者の方々とふれあった時の、その方の信仰心への畏敬の念などがわき上がってきました。

普段よりも、抵抗なくそれらの感動が伝わってくるように感じました。

自然にいだかれていると、心が安心して、大きな何かに包まれて保護されているようにも感じます。それは、長野善光寺で自分が感じた、仏(=大宇宙)の母胎の中にいるような感覚です。そこでは、宇宙大に広がった何かと自分とが繋がっている感覚がして、仏の慈悲が注がれている全ての存在との一体感まで感じることができます。

また、瞑想中にも感じることが多い、サムシング・グレート(人智を超えた存在のこと、「偉大なる何者か」「大自然の大いなる力」などといわれる)を強く意識させられました。
先生がおっしゃっていた「山へ入れ」という意味が自分なりに感じられたと思います。

滝行では、あまりの水の勢いと冷たさに、何も考える事ができませんでしたが、心が洗われ、芯から生まれ変わったように清々しい気持ちになりました。

湯殿山のご神体は圧倒的なスケールと言葉を失うほどの威厳に満ちており、私は非常に好きな場所です。できればもっと長く滞在していたかったです。

壇張りでは餓鬼行を体験しました。一汁一菜という粗食でも、日中お腹が空いたとは感じなかったのは不思議でした。生命エネルギーが充填されたからではないかと思います。

南蛮燻しでは地獄行を体験しました。みんなが頑張っているので耐えたという感想が多かったのですが、三種の薬草があれほどまでの刺激となるとは想像できず、貴重な体験でした。

これらの体験は六根の浄化に他なりません。早朝から山に入り、読経と瞑想にいそしみ、心を内に向け、粗食で規律正しい生活を送らせていただいたこの3日間は本当にすばらしく、生まれ変わった気がいたします。

都会で生活していますと、パソコンの前で過ごす時間が長く、歩いたり、人とふれあったりする時間が少なくなりがちで、外出していても考え事をして、外の景色が目に入っていても認識しないようなこともあるのですが、それらの、いわば、狂ったはかりを修正するには、一旦は普段の生活を完全に離れて山に入り、自然とのふれあいから、身を以て何かをつかみ取っていくことが必要だと思いました。

このような機会が少なからず与えられれば、現代病と言われる精神疾患やいじめなどの問題も減っていくと思います。また、たくさんの方々と訪れて、修行のすばらしさを共有できたら幸いです。

今年も付きっきりでご指導をいただいた先生に心から感謝いたします。


●細川美香 副代表 46歳女性 東京

今回の巡礼は昨年に引き続き2回目の巡礼となりましたが、今回、特に印象に残ったことは、滝行、そして月山の登山でした。

実は、私は水に入ることが苦手で、滝行と聞いただけで尻込みをしていました。「どうしよう・・・、嫌だなぁ~」と。すでにこの段階で気持ちが負けている状況でした。

実際、出羽巡礼に行くまでは、水に対してできる限り肯定的な気持ちを持とうと、意識的に自分なりに気持ちを盛り上げていたりしていました。

そして、本番を迎えます。湯殿山での滝行です。

湯殿山の前は羽黒山に上りましたが、それまでは太陽が照っており、暑いくらいでした。しかし、湯殿山に着いたころには雲が多くなり、それまで陽が照っていたのが、陰ってしまい、私の気持ちはすでに弱気な状況になっていました。

滝行用の服装に着替え、滝つぼまで行くまでには、川の中を入っていきましたが、その水の冷たいこと。

「冷たい・・・、どうしよう、こんな水の中に体ごと入っていくの?」

さらに気持ちは弱気になっていきます。それでも、何とか自分の気持ちを鼓舞し、高めていきました。

先達のご指導のもと、まずは体を動かし体操を行い、終了後、先達の号令で滝行が始まります。みんなが水に入ることを躊躇しているのを見ると、先達の叱咤がとびました。

私も意を決して、水の中に体を沈めていきました。「怖くない、自分が怖いと思うから怖いんだ。いづれ人は死ぬんだから。何もこれで死ぬわけではない」と。そう思うと不思議と、冷たかったはずの水が、温かいものに変わっていきました。

水から出たあとには、体が温かく、気持ちもすっきりして、体もすっきりしていました。すべては自分の心が作り出すものと言われますが、まさしくそのものので、この滝行はとても印象深く心に残りました。

そして、月山の登山です。初めての月山の登山のときは父の命日にあたりました。今年は、1日前にはなりましたが、自分的には父の命日だと思い、父のことにも思いを馳せながら月山の巡礼を行いました。

そんな関連性があり、月山という山は自分と縁が深い山だと思っていました。今年は、登山のための体力としては問題はありませんでしたが、精神的にきつく感じられました。昨年のことを思い出すと、それなりにきつくもありましたが、精神的には余裕があったような気がしました。

まず、壇張り修行のため食事量が少なかったことは、少なからず精神的に影響を与えていたようでした。先達の「山から学ぶ」という言葉を頼りに、自分の中から浮いてくる雑念を振り払いながら、黙々と進んで行きました。

いろんなことが浮いては消え、浮いては消え、その連続でした。自分を見つめるという意味では、私は今回はおしゃべりをしている余裕などありませんでした。自分がなしてきたことを後悔しては懺悔して、そして、すべてはつながっているのだと、みんなとのつながり、山、自然とのつながりを考えてみたり。苦しくはあったけれど、充実した月山の巡礼となりました。

2泊3日を通して思ったことは、修行は自分との闘いなのかなと、そして自分に負けないこと、謙虚な心が必要であること。自然の中に入ることによって、見守られている安心感と温かさ、しかし、容赦ない自然の摂理と冷たさと。すべては循環して、つながっているんだなと。いろんなことを学ぶことができた巡礼となりました。

来年、また出羽巡礼があった際には、精神的になし得なかったところを、きちんと行いたいと思います。すべてに感謝します。ありがとうございました。


●広末晃敏 副代表 43歳男性 東京

宇宙万物を形成する五大元素(地・水・火・風・空)と直接に接し、実感し、宇宙・自然との一体感を感じられるダイナミックな修行でした。

出羽三山の広大な大地に支えられて歩き続け(地)、滝行で圧倒的な量の水に心身ともに洗われ(水)、湯殿山のご神体や温泉の熱に温められ(火)、山々を流れゆく気や風にやさしく包まれ(風)、はるか展望の開けた広大な空間のもと(空)、息づく自然と呼吸を合わせながら、黙々と歩きつつ自らの内側と自然に集中できました。

それによって、宇宙も自然も自分も一体であり、その中で共に生かされ、共に生きている感覚を得ることができました。

この貴重な出羽の空間、それを守るために営々と努力してきた過去の先人達、そして今回ご指導をくださった先達に感謝いたします。


●田渕智子 千葉支部 52歳女性

昨年に引き続き、今年も出羽三山での修験道の体験修行をさせていただきました。今年は本格的な山伏の修行も体験させていただき、きびしくも充実した内容でした。

羽黒山、湯殿山、月山の三山への登拝と勤行は、昨年と同様で、特に月山の登拝は体力的にも辛いものがありましたが、今年は霧も深く、まさに黄泉の国へと向かっている感じで、死と再生を思わせるものでした。

また、東北大震災の供養碑の前での勤行は大変感慨深いものがありました。このように月山で供養されていることによって、亡くなられた方たちにこの思いが届けばと思いました。

今年新たに加わった滝行と南蛮いぶし、そして夜のとそう行、食事制限などは、心身の浄化をさらに勧めてくれたと思います。

滝行ははじめてでしたが、水がとても冷たく、気合をいれて行いました。水の冷たさをなんとか克服していかないとなかなか大変なものがあります。

南蛮いぶしははじめてでしたが、臭いのとらわれをなくす修行ともいえます。植物を焚いた香りですので、すくなくとも排気ガスの臭いよりはましだと思い我慢しました。自然の香りですから、都会の排気ガスや悪臭にくらべればまだましな香りだと思いました。

夜のとそう行は、夜に林や道を歩きとても気持ちのよいものでした。

また食事は少しの量のごはんと味噌汁と漬物が2切れというものでしたが、不思議と満足感があり、かなり肉体的に体力を使っているにもかかわらず不足感はありませんでした。

一番辛かったのは山登りです。もう来たくないという思いも生じることもありましたが、一歩一歩、なんとか前に進んで終えていった感じです。

しかし、修行が終わってから帰りの車の中で、心身が気持ちの良くなる経験をし、きびしい修行でしたが、これはかなり心身が浄化されたと思いました。

また次の日にあまり疲労もなく、筋肉痛もなく、朝5時からの歩行禅も行うことができ、やはり、出羽山はさすが聖地だと感じました。普通なら山に登った次の日は、筋肉痛と疲労で動けないくらいだと思うのですが、それがなかったのです。これは不思議でした。

昨年もそうだったのですが、やはり聖地での修行というのはその場のエネルギーの恩恵が非常に大きいのだと思いました。出羽山の大自然は本当にすばらしく、汚れがなく、空気が違うのです。この場所にいるだけでも相当な恩恵があると思います。

そして先達にはいろいろご指導いただき、きびしい修行を乗り越えさせてくださいました。特に山から学ぶようにいう言葉が印象的で、頭ではなく体で体験するということを学ばせていただきました。

山は何もいいませんが、何かを発していました。それは神聖な波動とでも申しましょうか。その波動が心身を浄化してくれた感じがします。それは体で感じるしかないものです。

辛くきびしい修行ではありましたが、その分大いなる成果もありました。このような機会を与えてくださった先達に心から感謝いたします。

 

●山口雅彦 名古屋支部・行法担当 54歳

まず、宿坊が、襖を取り払えばすべての部屋がつながり、また、外ともつながっていく古い日本家屋であることが、懐かしく、何か心の奥にある感覚を引き出してくれました。

山は日本人にとってごく普通に心の風景にあるもので、しかも、私は若い頃から山が好きでしたから、山を生と死の関わる信仰の地として修行するということは嬉しいことでした。

山という人間よりも大きなもの中に入っていく(登る)ことによって、人間を超えたもの(それは物理的な山だけでなく、生死というものを含め)を肌で感じることで言葉にはできないものを学ぶことができたと思います。立ち止まって山の景色を見るだけで何かを感じ取り、一歩一歩足を前に出すというそこから何かを感じ学ぶことができます。

それは、生きるということや生命そして死ということが何であるか、また自分というものが何なのかを感覚的に感じ取ることだったと思います。そして、この大きな山が神なんだなあ、と敬虔な気持ちにもなっていきました。

途中の祠などの場所ごとにあげた、般若心経や祝詞も、はじめのうちはしっくりこなかったのですが、回を重ねるごとに唱えていることに神に対する謙虚な気持ちが少しずつ湧いてきたように思います。

夜間、暗いところを歩くことも、人間を超えたものとしての闇を実感させてもらえよかったです。

南蛮燻しでは、じっと我慢というか、集中する訓練をさせてもらったなと思います。変わった修行で面白かったです。

また、地域全体が出羽三山の信仰を中心にしている雰囲気が感じられ、早朝や夜間でもほら貝を高々と鳴らすことができることが素晴らしいことだと思いました。

きっと何日も何日も山に入っていけば、その度、山から学ぶことは多くあるでしょう。その都度、山の姿は変わるし、自分も変わっていますから。ですから、これからも何回も山伏修行を行なっていきたいと思います。

このような修行機会を与えていただいたことに感謝します。ありがとうございました。


●田実恵理子 40代女性 大阪支部担当

初日の湯殿山のご神体から湧き出る湯は、神秘そのもので、生命力にあふれ、実際に触れてみると、まるで生まれ変わり、産湯に使ったような清々しさに包まれました。

滝行は、滝の後ろからの流れが非常に強く、押し返され、何度も滝の真ん中へ入ろうとしましたがとどまることができませんでした。「なんとか水に入ってやろう」「なぜ、入れないの!」(苦笑)などという思いが、心のどこかにあり、自然への敬意を忘れていました。

挑む心では、丹田にも力が入らず、精神と身体は安定を欠いていたのです。幾度も幾度も水に跳ね返され、最後にしみじみと感じたのは、「自然に挑んではいけない」ということでした。

この出来事があり、今回のスケジュールの際難関である、翌日の「月山」登山は、「登らせていただく」という、謙虚な気持ちで歩かせていただくことができました。

すると不思議なことがありました。私は高いところが苦手で、岩と石の多い月山のような山は最も苦手で、いつも(わざわざ)ついてはいけない場所に足をついて、よろけてしまったりするのですが(苦笑)、「次はこの石に足をのせればいい。次はこの石のこの位置にこの角度で足をおろして」。といったことが、まるで山の神様が教えてくれるかのように瞬時にわかるのです。

その通りに行くと身体に負担がかかることもなく、山の神様に導かれてなのか、登りも下りもかつてないスムーズさで、周りの空気を感じながら、風景の美しさを感じながら歩くことができました。

そこは死者が還るといわれるにふさわしい「ふるさと」の山でした。

夜には、南蛮いぶしという煙に耐える行がありましたが、この煙に耐えられるかは、まさしく自我執着がポイントに感じました。初日は、執着から意識をある程度瞑想ではずすことができていたので、さほど呼吸がみだれなかったのですが、2日めは身体に意識が集中してしまい、咳こんでしまいました。

途中から執着を意識的にはずし、呼吸にとらわれなくすることで、だいぶ状態が落ち着いてきました。(ちなみにこのとき、私の前にいた代表、副代表たちは一度も咳もせず、微動だにしていませんでした。)

夜間とそう行では、闇の中、ほとんど月灯りだけをたよりに行脚しました。都会の明るさの中ではできない、本当に貴重な機会でした。

壇張りの準備など、ひとつひとつの動作に集中することも非常によかったです。

また食事が極端に少ない。東北ながら、7月に扇風機もかけない。ということは、どちらも「ないのだから」と、一度心に思うと、面白いほどまったくつらくありませんでした。

人間は自然の一部であって、自然の摂理に逆らって生きることで人間性がそこなわれていく。。「生きるのに必要なものは、全て大自然の中にある」ということを強く感じた出羽三山の修行でした。

今回の修行のために尽力してくださった先達、そして出羽三山にかかわる方々、準備を整えてくださった団体の関係者の方々に感謝致します。


●宗形真紀子 監事 44歳女性

今回の三日間も、御山に登れてよかった、と心より感じた山伏修行でした。今年は総勢36名での参加で、多くの方とともに山伏修行ができ本当によかったです。

わたしは昨年は病み上がりの体調で参加も危ぶまれる中、やっとのこと登らせていただいた御山でしたので、「次の出羽三山の山伏修行にも参加できること」を目標に過ごしてきた一年でもありました。

結果、無事登拝でき、しかも昨年よりも楽に登れて体力の増進も感じられ、たいへんうれしかったです。

今年は、湯殿山での滝行や南蛮いぶしも初体験し、本格的な山伏修行を行い、少し、御山と近くなれた気がしました。先達がいつも「御山から学ばせていただく」とおっしゃっているので、先達に先達していただくと、そのことがいつも心に浮かび、そんな気持ちで歩かせていただきました。

そして今回は、本格的な山伏修行、とのことで、滝行を再びやってみたかったわたしは(オウムに入る前、十代の頃やって以来なので25年ぶり)、とても楽しみにしていました。

湯殿山で滝に入れるなんてと、感激しながら、その冷たさに一瞬たじろぎながらも、先達ご指導をお受けし、見よう見まねで滝に入っていったところ、滝の圧の強さに驚きました。

ですが、しばらくして、滝にゆだねるような気持ちで奥に入ってみたところ、入ることができたとき、滝壺に包み込まれているような不思議な感覚を覚えました。

滝の音や冷たさはあるのですが、その奥は子宮のように暖かいような静けさに包まれているような不思議な気がしました。どうにかなりそうでナチュラルハイになりました。そして、必死で滝に打たれ、終わったら頭がすかーっと晴れ渡っていて、思わずワハハ!と笑い出したくらいでした。

生まれ変わったような心持ちで、最高に気持ちよかったです。上祐の様子も印象的で、滝行がとても気に入ってしまったようで、「最高だ!快感だ!」と叫んで大喜びしていました。

南蛮いぶしは、身体の弱い私は緊張し、構えながらの参加だったのですが、薬草の燃える音、そして煙が体を刺激して、体をいぶして清めていただいているような気がしました。煙をたくさん吸い込まないよう、こっそり呼吸をコントロールして、あまり息を吸ったりはいたりしないようにしたら大丈夫でした。みんなも呼吸法が慣れているのでそうして凌いでいたようでした。

壇張りも、目にしたとき、とても量が少なくてびっくりしましたが、お米や漬け物が体に染み渡ってとてもおいしかったし、不思議とその量で大丈夫なものなのだなと思いました。御山からパワーをいただいていたからかもしれません。

夜間とそう行は、死者になったような気持ちで歩いていました。昼間思いっきり歩いた後、夜も歩けるのだろうかと心配でしたが、なんとかなるものなのだなと思いました。

夜歩くのもとてもよかったです。町全体が、山伏とともにある様子にいいなあと思いました。

最終日の羽黒山の往復も、無事終えることができ、終わった後、とてもすっきりしていました。「御山から学ばせていただく」という気持ちで、ひたすら、必死にその場その場の行を行い、疲れて眠るを繰り返した三日間でしたが、知らず知らず余計なことを考えない無心の気持ちになっていました。

この山伏修行を、毎年続けていきたいと思います。毎年、こつこつ歩を進めていきたいと思います。今回もたいへんお世話になりどうもありがとうございました。


●吉田惠子 福岡・仙台担当 58歳(月山9合目まで)

昨年と今年で2度目の参加をさせていただきました。もともとわたしは、山は大好きで、今回の出羽巡礼は大自然がまさに神といった感じでした。

今回は、滝行や南蛮燻しや一汁一菜など地獄:餓鬼:動物界の住人たちの苦しみを味わうということもあり、そういう修行もさせていただきまして、本当によかったなと感じています。

日頃の修行の不足を実感いたしました。特に滝行はまさに私の日頃の修行不足を感じることができ、こんな今の自分では、いけないなあとつくづくおもいました。

お山の懐に抱かれ、包み込まれ、自分という器の小ささを痛感しました。もっともっとしっかり、日頃からの鍛錬を強めて行かなくてはいけないと実感した次第です。

いろいろ学ばせていただきました。本当にありがたい修行をさせていただいたと思っています。感謝いたします。
今後とも、ご指導を賜わることができれば幸いです。よろしくお願いいたします。


●斎藤友希(ゆったりコース) 40代後半女性

今回の出羽山の修行では、月山や湯殿山での滝行などには参加できませんでしたが、山に入ると山の息づかいというか、山が生きているような感覚を覚えました。人が山とともにある、神様とともにいるような、落ち着いた気持ちになれました。

床固めでは、虫の声がとても心地よく、あっという間に時間が過ぎていて、3日間は静かな心で過ごすことができました。


●DK 40代男性 東京

ひかりの輪とは違った修行でしたので、いろんな意味で新鮮でした。羽黒山、月山の参拝も思い切り自然に親しめたという感じでした。

段張りと言われている食事、南蛮いぶし、滝行といったものがもちろん初めての経験でした。

一番印象に残ったのは滝行でした。はじめ、足を入れただけで飛び上がるくらい冷たい水でしたが、そこに体ごと入れ、というのはとても無茶な気がしました。

しかし、先達の方は平気で入っていかれ、滝に打たれながら般若心経を唱えられているのを見て、さすが、と思いました。とても入れない、と思った水でも、頑張っているうちに、三回目くらいで冷たさがなくなる、という経験をしました。これは思わぬ発見でした。

この滝行で、仏教で言われている苦楽は絶対的なものではない、ということを体験出来たような気がします。自然から学ぶ、というのはこういうことでしょうか?

南蛮いぶしも印象的でした。前評判に反して、私の場合は、頭がとてもすっきりした感じがありました。

段張りもとても美味しかったです。ほかにも様々貴重な体験をさせていただきました。

去年に引き続き、今年もとても素晴らしい巡礼となりました。先達や奥様にはとても感謝しております。ありがとうございました。

●TO 46歳男性

今年は出羽巡礼は、去年に続き2回目でしたが、より本格的に山伏修行をやらせていただくことができました。「とそう行」といって歩く修行が多かったですが、特に月山は長時間で充実感がありました。

地獄の苦しみを味わうという「南蛮燻し」は、最大限慎重に呼吸しないと咳き込みそうです。終わる頃にくしゃみが出たら、喉から胸にかけて煙がしみて鼻水が出てきましたが、終わった後鼻をかむと、大量の鼻水が出て非常にスッキリしました。

食事は「壇張り」といって餓鬼の体験、また体、顔を洗わない、歯を磨かない、ひげもそらないという畜生の体験、と三悪趣の体験の修行がありました。

また、滝行は水の冷たさが思ったより厳しく、1分も水に入っていられませんでした。これは日頃の生活で甘さがあるのだなと一番強く感じる修行となりました。

色々、初めて体験する修行で、日常受けている恩恵、反省点を見つめ直す機会になったと思います。ありがとうございました。


●OS 60代男性 東京

出羽巡礼は、肉体的には疲れたものの、精神的にはとてもすがすがしいものでした。景色も最高でした。

特に、滝行はすっきりしました。最初は寒かったけれども、後から身体が温かくなってきて、手応えを感じました。


●MT 大阪 60代女性

羽黒の宿坊の壇張りは、食事の量が少ないのに驚き、日頃
食べられることへの感謝が足りないと思った。「餓鬼のように早く食べる」ということで、慌てて、隣の人も前の人も、お箸やおわんを間違って他の人のものをすすいだりしていた。

滝行のときは、滝行の場所に行くまでの、川の中を歩くのに、「こんなに冷たいのに心臓は停止しないのか」と考えてしまった。あまりの冷たさにビックリしながらも、一回目は滝の近くまで行った。川から上がった途端、全身がポカポカ温かくなった。そのぬくもりが長く続いたのが嬉しかった。

2回目に入った時も、水の勢いに体が流され、滝の中心に行けなかった。Sさんが、流されないよう私の腕をしっかり捕まえてくださって、首まで水に浸かっていたら、身体が浄化されるのを感じました。

全ての行程には参加できなかったけど、月山の8合目から9合目までの歩きも、私なりに修行になりました。

南蛮いぶしは、吐く息を長くして、咳こまないようにしたけれど、咳が出た時は喉が少し浄化されたように感じた。思い切ってもっと息を吸い咳をしたほうがいいかとも思ったが、勇気がなく吐く息を長くすることを続けた。

先達が、指導してくださったから、どの人もそれぞれに修行になったと思います。
湯殿山のご神体を含め、山の自然の神の偉大さが、とても新鮮でした。


●FS 50代女性 東京(ゆったりコース)

今回の修行ではたいへんお世話になり、ありがとうございました。

滝行はイメージとちがい、滝までたどりつくこともできませんでしたが、滝つぼの一瞬ですが、深い冷たい水にひたることができ、感激でした。

壇張りの食事は質素でよかったです。夜真っ暗い林を歩いたり、月明かりだけのなかをもくもくと歩くというのも、めずらしい経験で、とても神秘的でした。

月山の山登りはきつかったですが、霧がすごいなかを登るのはよかったです。今後すいすい登れるように日ごろから、足を鍛えようと思いました。

宿坊に猫さんのトイレもあり、猫さんがあたりまえのようにいっしょに生活していて、先生の全て平等にという、心の広さを感じることができ、うれしくなりました。

夜ねるときも、窓を全開にして寝るなど自然と一体になろうという姿勢を感じました。


●YK 40代女性 東京(ゆったりコース)

出羽において、先達のご指導のもと、修験道の修行をさせていただけたのは、ほんとうに有意義なことでした。

私はゆったりコースで、月山には登りませんでしたが、湯殿山の神秘的な御神体や宿坊での生活は、深く印象に残り、初参加の方やオウム時代からの人も含め、皆が平等に、はじめての修行、同じ修行を頑張っているということがとても嬉しかったです。また、どの修行も、先達が見守ってくださっているので安心感がありました。

一番大変だったのは、滝行でした。冷たい水の川を滝のある場所まで歩くのがまず大変でした。また、いよいよ滝行という時には、もともと泳げない私にとっては、転んだら溺れそうで大袈裟に言えば半分命懸けという感もあり、滝までたどり着けず、水も冷たいのですぐに出てしまい情けない状態でした。

そこのところ、初参加の方が、一生懸命滝まで行こうと長い間水に浸かって頑張っていたので偉いなと思いました。

この出羽巡礼は、いろんな意味で一生忘れられない経験になりました。先達には本当にお世話になりました。今は病気があり体調のすぐれないことの多い私にとっては、いろんな方のご協力があって参加が実現できたことです。本当にありがとうございました。

また機会がありましたらぜひ修験の修行に参加させていただきたいと思います。


●MI大阪支部 40代女性(ゆったりコース)

とにかく先達のおおらかさ、また出羽の自然に癒され開放されました。

誰かれ区別なく、大きな部屋でみんなで一緒に寝たり、窓が夜中開けっ放しだったり宿坊には、何かとても懐かしい感覚になりました。自然の中に人も共に暮らせば、本来人とは大らかになるものだと思います。

湯殿山の御神体にはびっくりしました。自然の不思議を感じました。南蛮いぶしでの喉の痛みも今となっては、懐かしいです。

体調不良の為、完全には参加できませんでしたが、また機会があれば、きっちりと修行し山を感じてみたいと思っています。

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