聖地巡礼
ひかりの輪で訪れた各聖地のご紹介や、聖地巡礼修行をご紹介しています

2010年2月 奈良・ヤマト聖地巡礼

2010年2月 奈良・ヤマト聖地巡礼 参加者の感想2


■名古屋 Kさん 男性

◆懐かしい雰囲気の漂う甘樫丘

  車を降りたら、なんとも懐かしい雰囲気の漂う田舎町だった。側を流れる飛鳥川そして歴史公園の  たたずまいが、さらに私の望郷心を誘う。
丘に登ると天香具山・耳成山・畝傍山の大和三山が北方全面に眺められ、藤原京跡が遠望された。
この展望台からこの後訪れる、飛鳥寺は東方に、そして飛鳥浄御原宮跡は、東南方向に、橘寺はほぼ南に眺められた。


◆向原寺

   ここでは、住職が飛鳥の歴史を熱く語って聞かして下さった。
独特の語り口で、歴史的予備知識がない者には、何を語っているのかよく分らないところがあったのではないかと感じました。

向原寺・豊浦宮跡・豊浦寺跡の関係あるいは、蘇我稲目の私邸から推古帝の宮、そして尼寺へ変遷とその考古学的調査にもとづく遺稿から、歴史的事実のご説明という内容でした。

◆飛鳥寺

日本初の和製大仏を拝することができました。同時にさすがに真言宗豊山派の寺ということで線描画の金剛界曼荼羅と胎蔵曼荼羅が大仏の左右に掲げられ、聖徳太子の像もありました。

  推古天皇4年(596年)11月に「法興寺を造り竟(おわ)りぬ」ということで、これから大化の改新(西暦645年)まで、およそ50年の間、  この法興寺(飛鳥寺)の塔は、それまでの古墳時代と異なった一代権力の誇示として役立ったものであるとする見解がある。

この位置に五重塔があることを想像すると、非常に不思議なものを感じさせてくれました。この後明日香村役場近くの橘寺まで足を伸ばすのですが、どこから観ても甘樫丘は眺められるのです。

ここの周辺では甘樫丘以外はすべてなだらかな丘陵地(平坦地)で、ここに聳え立つ五重塔、法興寺とは本当に異様な威圧感と共に荘厳な仏教寺院が皆を威圧するかの如く仏教中心の都があったのだと畏怖を感じさせられました。

◆飛鳥浄御原宮(飛鳥板葺宮)

 天武天皇即位した所でもあり、日本初の大極殿が建てられたという地で、音楽・歌・踊りの供養を行いました。

朝一番に登った甘樫丘から見下ろした明日香の都で、のんびりとした仄かな波動に包まれて甘樫丘・法興寺(飛鳥寺)の方向を向いて供養をしました。

◆橘寺

  聖徳太子誕生の地とされる寺です。
実は私は22年前に正月3ヶ日奈良に滞在し、未だオウム真理教に入信を検討中の最中に、ここを訪れた経験を持つ者なのです。

だから、私自身の宗教遍歴の転換点になった寺でもあり、しかも宗教的負の方向へ雪崩れ落ちる前の私を、思い出させてくれる貴重な寺であるのです。

 「和を以て貴しとなす」

「ひかりの輪」の説法でもよく登場する言葉だ。

この言葉は17条の憲法冒頭第一条から第三条までに

一に曰く、和をもって貴しとし、忤(さから)う事なきを宗(むね)とせよ。人みな党(たむら)あり。また達(さと)れる者少なし。ここをもって、あるいは君父に順(したが)わず。又隣里に違(たが)う。しかれども、上和らぎ、下睦(むつ)びて、事を、論(あげつらう)に諧(かな)うときは、事理おのずから通ず。何事かならざらん。

二に曰はく、篤く三宝を敬え。三宝とは仏・法・僧なり。即ち四生の終帰、萬(よろず)の国の極宗(おおむね)なり、何れの世、何れの人か、是の貴びずあらむ。人、尤(はなはだ)悪しきもの鮮(すくな)し。能く教ふるをもて従う。其れ三宝に帰(よ)りまつらずは、何を以てか枉(まが)れるを直さむ。

三に曰く、詔(みことのり)を承りてはかならず謹(つつし)め。君をば天とす。臣をば地とす。天は覆い地は載す。四時(しいじ)順(したが)、い行いて万気通う事を得。地天を覆わんとする時は、壊(やぶ)るることいたさん。ここをもって、君のたまうときは臣承る。上行う時は下靡(なび)く。ゆえに詔を承りては必ず慎め。慎まずばおのずから敗れん。

この三つの条の冒頭に「和を以て貴しとなす」があるのだが、これはどうみても三つの思想、儒教・仏教・道教の三教一致の折衷主義の冒頭の文言としか理解しようがありません。

この三つ或いは現代では資本主義、民主主義、共産主義といったどれか一つを至上主義的見方に依らず、三者の折衷こそ大事と唱えたとみるのが妥当だと私は思う。

その意味で、人は調和を保って生きていれば幸福なはずなのに、欲によって自分の本来の役割を忘れてその調和すべきを崩して争いを起こすサガがあるのだ、という真摯な自覚が必要であると訴えている感じがする。まぁ代表の説法がここに根ざしていることは納得させられる気がするように思われなくもない。

私自身にとっては、また別の意味で宗教的原点に立ち返るためによき訪れであったと感じている。まぁ実は聖徳太子の摂政時代の像が祀られ、十六才の太子像が安置される本堂(太子堂)より、橘寺は私にとっては、如意輪観音が祀られるお堂の方が安らぎと癒しを与えてくれる存在であったことが何かを示唆的に示している気がしてならない。


◆難波宮跡・大阪歴史博物館

難波宮跡は、そこを見下ろすことができる位置に大阪歴史博物館があります。
博物館10階に大極殿の内部が原寸大で復元されて、当時の模様を鮮明に想像することができるようになっていました。
 これらの復元模様をみて中国のようと語る人がいました。

  まさにそうで、当時律令国家の完成を目指す模範は、隋・唐の律令国家に勝るとも劣らない国家を形成しようとの為政者の意志があったわけで、ほとんど中国文化の模倣といっても言い過ぎではない時代のようです。

明治以後の西欧至上主義とよく似た部分が、この当時、隋・唐の律令制度或いは文化の至上主義の側面が強くあったのでしょう。

その後上祐代表の説法が大阪道場であった。
2月27日の巡礼はこれを以って終わったのである。

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