10月11日――長野・善光寺と、戸隠神社奥社・宝篋印塔へ
●長野・善光寺へ--お戒壇巡りと大日如来
10月11日の午前中、最初の巡礼地、長野市内の善光寺に到着しました。伝説によれば、善光寺は、6世紀半ばに朝鮮半島からもたらされた日本最古級の仏像である、阿弥陀如来像をご本尊としているとされ、古代から篤い信仰を集めてきました。
よく晴れて、善光寺の本堂が青空に映し出され、どっしりとした存在感が感じられます。この善光寺は、創建以来、なんと11回もの火災に遭いながらも、その度ごとに、民衆の善光寺如来をお慕いする心によって復興されてきたという、驚くべき歴史を持ちます。
まずは、本堂前でお香の供養を行いました。
そして、本堂に上がり、焼香を献げて参拝しました。広い畳敷きの参拝スペースは、つい最近、明治時代までは、全国から何日もかけて巡礼の旅をし、たどり着いた人々のための宿泊スペースだったといいます。人々は、「一生に一度は善光寺参り」ということで、やっとのことでお金をため、お金がたまらなければ、次世代に引き継がれてお参りを行っていたといいます。
それだけの信仰を集めた善光寺。その地下には、真っ暗闇の空間があります。それは「お戒壇巡り」と呼ばれる一種の行を行う空間です。
これは、本堂地下の暗闇の通路を通って、ご本尊の真下に設けられているという鍵(密教法具の独鈷(とっこ・プルパ)の形を手探りで触り、ご本尊と結縁するというものなのですが、いったん闇の世界に入って仏と出会い、光の世界に戻ってくるというプロセスが、「死と再生」を象徴するものともいわれています。
本堂で参拝後、皆で「お戒壇巡り」を行いました。
そして、お戒壇から地上に上がってくると(=再生を果たすと)、背後で大日如来像がお迎えをしてくださる構造になっていました。
これは、今まで何度も善光寺に参拝していますが、今回はじめて知った構造でした。一見、真っ暗闇で何も見えなかった空間の上では、実は、大日如来が見守ってくださっていたようです。
また、以前お参りした比叡山延暦寺の不滅の法灯火よりも以前から、千数百年間にわたって灯され続けているという「不滅の法灯」を見学しました。この法灯のことも、今回初めて知ることができました。
ところで、今年は、善光寺が、チベット仏教徒への弾圧を続ける中国政府に抗議して、オリンピック聖火リレーのスタート地点を辞退するという出来事がありましたが、実は善光寺とチベット仏教とのつながりは、今
年突然に生じたのではなく、今から40年以上前にまでさかのぼるということを知り、驚きました。
なんと、チベット仏教ニンマ派の高僧ケツン・サンポ・リンポチェらが、チベットからの亡命直後の、1964年、東京オリンピックが開催された年に、善光寺を訪れ、善光寺の裏山に、世界の平和を祈念して、ある仏塔を建てていたそうなのです。
チベットからインドへ亡命直後の時期に、日本の長野に来られたこともたいへんまれなことだと思われますし、しかも、あれだけの弾圧を受け、国を追われた境遇で、「世界の平和」を祈ることなど、並大抵の精神ではできないことでしょう。
チベットの精神の深さに触れた気がして、頭の下がる思いがしました。
この塔では、今に至るまで40年以上もの間、ひっそりと世界平和の祈りが捧げ続けられているそうです。
そして、この仏塔のモデルとなったのは、戸隠奥社にある「宝篋印塔(ほうきょういんとう)」という塔だったそうなのです。
●戸隠神社奥社、宝篋印塔へ
善光寺を後にした私たちは、一路戸隠へと車を走らせ、戸隠神社の奥社を訪れました。ここも、ひかりの輪でも繰り返し訪れてきた場所です。
戸隠奥社・随神門
戸隠神社は、「神社」といっても、以前は、神仏習合で「顕光寺」として全国にその名を知られ、修験道場として、比叡山、高野山と共に「三千坊三山」と呼ばれるほど多くの修験者や参詣者を集めたところです。
近くの善光寺とも関連を強め、参詣者は一度に両寺を共に参詣することが多かったといわれています。明治時代の廃仏毀釈運動のため、顕光寺は寺を分離して神社となりました。
そのため、奥社内には、多くの仏教遺跡が残されており、その痕跡を知ることができます。
奥社への参道は、まっすぐ続く約2kmほどの杉並木ですが、この杉並木は、霊気に満ちた素晴らしい聖地です。今回は、紅葉シーズンに真っ最中で、非常に素晴らしい彩りを見せていました。
今回は、奥社内でも、初めてのエリアを訪れました。それは、奥社への参道から少し脇にそれたところにある、先のチベットや善光寺とも関連のある、宝篋印塔(ほうきょういんとう/お経が納められた仏塔の一種)が建てられている広場でした。
この塔は、鎌倉時代のたいへんな高僧・法燈国師(ほっとうこくし)の生誕にまつわる観音堂の跡に建てられたもので、上記のケツン・サンポ・リンポチェらがこれを見て感動し、同型のものを善光寺の裏山に建てた、元となった仏塔です。
それにしても、40年以上を経て、今年になり、チベットと長野・善光寺のつながりや運動が起こってきたことは、なんと不思議な、感慨深いことなのでしょう。
上祐代表は初めて訪れたこの場所について、以下のように感想を述べていました。
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その場所の雰囲気は、非常に神聖で、奥社全体が神聖なのですが、その中でも、ここは格別であり、私なりの表現を使うと、仏陀の大慈悲を感じるところでした。11日~13日まで、三日にわたって参拝しました。
仏塔の前には、周りの木と比べて、格段に大きく、非常に存在感のある、一本の杉の大木がありますが、恐らくは、それをご神木と見たのだろうと感じました。
近くには観音菩薩像もあります。今回行くことのできなかった皆さんにも、機会があれば、是非訪れていただきたい、仏教的な聖地であると共に、格別の霊的スポット、癒しのスポットだと思います。
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ここでは、仏塔の前で、お香や真言や音楽・踊りなどを献げたのち、しばらくの間、思い思いに瞑想して静かな時を過ごしたのでした。
●戸隠での説法中継開始!
午後には、キャンプ場内のコテージで、上祐代表の講話が始まりました。今回は、『悟りへの道と大乗の教え』という教本が伝授され、それに沿って、上祐代表による熱のこもった解説が行われました。
そして、聖地からの初の試みとして、遠方などの事情で戸隠まで来ることのできない方のために、戸隠から、上祐代表の講義を、全国の各支部に中継するという試みが行われました。
この講話は、半日遅れで、各本支部道場へ中継されるというしくみで、夜には、各本支部へ中継されます。
さて、夜の中継は成功し、スタッフ一同、準備万端にしてはいたものの、ほっと胸をなでおろしました。全国各支部をネットで結んでの質疑応答も行われ、戸隠と全国で共に仏教の修行をしているという一体感が感じられる一夜となりました。
つづく






