4月27日 南方熊楠記念館と浜辺での儀式
●南方熊楠記念館
白良浜・熊野三所神社から、海岸線を通って進むと、絶景で有名な円月島がバスの中から左に見え、自然造形の不思議さに彫刻家の会員さんも驚いている様子でした。
次の目的地は、この地が育んだ世界的な博物学の巨星・南方熊楠(みなかたくまぐす)の記念館です。
南方熊楠は、私たちが学んでいる一元思想を探究した人物で、特に、植物・菌類の採集・研究等を通じて、人間と自然とのつながりを重視し、「エコロジー(生態系)」の言葉を使った環境問題の先駆者として著名です。
記念館は小山の頂上にあるので、様々な植物が生き生きと生い茂っている道を上っていきました。
途中には、1つの記念碑が建てられていました。
「雨にけふる神島を見て 紀伊の国の生みし南方熊楠を思ふ」
これは、熊楠の死後、昭和天皇が南紀行幸した折に白浜の宿から神島を眺め、33年前に出会った熊楠を追憶し、詠んだ歌として有名なものですが、天皇が一民間人の名を歌に詠むなどということは普通なく、これが唯一だとされています。
この、生物学者でもあった昭和天皇(1901~1989)が、南方熊楠の粘菌学の進講を受けた神島にある記念碑には、熊楠が進講の日の感激を詠んだ「一枝も心して吹け沖つ風 わが天皇(すめらぎ)のめでましゝ森ぞ」という歌が刻まれているそうです。
これらのことから、生物学者でもあった昭和天皇と粘菌の研究者・南方熊楠の生物学者同士の交流のさまをうかがい知ることができました。
この、南方熊楠記念館には、熊楠の、文献・標本類・遺品が保存・展示されていました。
記念館屋上に、神島を遠望することができる360度のパノラマがあると聞き、上ってみると絶景が広がっていました。
●記念館近くの海辺での儀式
記念館の見学が終わった後は、近くの海辺に出て、儀式を行いました。
この海辺では、上祐代表らの下見の際、聖音演奏を捧げると、太陽の周りを囲む虹の輪が現れたところでした。
その虹の輪が現れたことと、少し奥まったところにあるため、他に誰の姿も見えない落ち着いた海岸であったので、この場を儀式の場に選びました。
ここでは、鮮やかな青色の海を眺めながら、神仏への供養などの儀式を行い、雄大な海と空と溶け込めるよう瞑想しました。
真言を唱え、歌と踊りやお供物を海に向かって供養し、懺悔の瞑想、菩提心の祈願を心を込めて行いました。
最後には、最近発表された新しい聖地聖音演奏が行われ、それを聴きながらの瞑想を行いました。
この聖音演奏は、最近ネパールにて入手した、美しい音色の法具等を組み合わせた演奏で、波の音や聖地の波動に合わせて演奏するものです。
この演奏は、即興でその聖地に合わせて行うもので、海で演奏するのと、山で演奏するのでは、不思議と曲の趣が違ってきます。
なぜかここの演奏は祭りのようなものになりました。古代から、もしかするとこの岬で、海辺の祭りが行われていたことに感応したのかもしれませんね。
波の音や風の音と合わせた演奏は、これまでとはまた違った自然との一体感を感じさせてくれるものでした。
海や風との一体感を感じながらのこの海辺の瞑想は有意義なものとなり、白浜の地に感謝しました。
帰りがけに、その浜で、都会では目にすることのないウミウシなどの珍しい生きものと遭遇するということも。
次は、熊楠が後年を過ごした地でもある田辺へと向かいます。
●《参考》南方熊楠(1867年~1941年)について
南方熊楠から、特に私たちが学ぶべきところを挙げると、宇宙全体のことを考えた、その一元的思想にある。
熊楠が生涯をかけて追求したのは、合理思想を越えた、はるかに未来的な世界観で、西洋の合理思想では発見できないような関係、例えば宇宙と人間、生と死、そして関係がないもの同士に結ばれた関係、などという哲学や宗教に関わる問題も含まれた、とても大きな発想だった。
そのため、熊楠は、大量の読書、自然物の採集、人間社会の古い言い伝えを聞き集め、それを材料に、宇宙の真相、宇宙全体のつながりを探求した。
このような、熊楠の知の探求は、明治の日本人、西洋人の常識を遥かに飛び越えていたたもので、時間を大きく飛び越え、21世紀を生きる現代人に大きな影響を与えることになり、今も注目を集めている。
◎エコロジーの先駆者
その一例に、日本で初めて「エコロジー(生態系)」の言葉を使った環境問題の先駆者としての熊楠がいる。
エコロジーの発想は、自然界は持ちつ持たれつの関係から成立しており、ごく小さな何かがだめになると、それが回りまわって、大きい全体もがだめになってしまう。
一つの島に茂っている森で、木を一本切り倒すと、その木に生きていた動物が死に、日当たりの具合が変わり、それがまた島全体の死滅につながっていく。一本の木を伐れば、島全体の死につながるのだ。
◎自然保護の先駆者
このエコロジーをよく説明する島が、田辺湾に浮かぶ小島、神島だ。
神島は、ここにしかない植物も多い、亜熱帯性の植物に富む、菌類、粘菌の宝庫である島で、熊楠の保護運動の甲斐あり伐採を免れ、昭和11年(1936)和歌山県の天然記念物に指定された。なお、神島には、田辺の龍神山(りゅうぜんやま)から龍神が渡ってくると信じられている。
熊楠のその活動は、当時の人々に見えなかった、目に見えぬ自然の関係性、エコロジーを保護するための活動だった。まだ環境問題が一顧だにされない明治・大正時代において、周辺の無関心と偏見の中で「変人」と嘲られ、利権と政治が絡む紀伊半島の樹木伐採に猛烈な抵抗をして、神社合祀反対運動を繰り広げ、多くの巨木・古木の保存や白浜近くの神島の自然保護に成功した。
◎幽霊までも研究
面白いエピソードがある。熊楠が那智の山に入ったとき、幽霊を見るようになり、普通の人なら怖がって山を降りるところ、熊楠は幽霊を観察し、研究・分類するということを行っている。本物の幽霊と幻覚の違いの研究結果を残している。
◎世界的生物学者
動物と植物のつながりを示すかのような、動物と植物の中間的生物である粘菌の研究で世界的に有名。帰国後、田辺に居を構えると精力的に粘菌の研究に打ち込み、その採集のため熊野の山に分け入り、数々の新種を発見。「ミナカテラ・ロンギフィラ」という新種の粘菌は自宅の庭の柿の木で発見した。帰国後は、自宅、闘鶏神社、熊野の森という身近な場所を生涯のフィールドとした。
◎民俗学者
柳田国男と並ぶ日本の民俗学の創始者。柳田国男と交流し、日本の民間伝承、自然信仰の研究の先駆者。
◎世界的博物学者
日本が近代化に躍起になっていた明治から昭和の初期という時代にあって、早くに外国に渡り、18ヶ国語を解し、様々な分野の学問を行き来し、森羅万象を記録・研究し異能を発揮した世界的博物学者。
(参考・抜粋『南方熊楠』解説「世界の熊楠・日本の熊楠」荒俣宏)






