聖地巡礼
ひかりの輪で訪れた各聖地のご紹介や、聖地巡礼修行をご紹介しています

2008年2月 天河・高野山

天河での出来事と気づきなど

                                                                                      宗形真紀子

    天河は、聖地巡礼のツアーとして、今まで会員のみなさんと一緒に何度か訪れた場所の一つで、そのたびに、天の川の清らかな流れや、その土地が持つ聖地としての波動、土地の方々の暖かい人柄などに触れ、さまざまなことを気づかされてきたように思います。

    いにしえから聖地とされてきたさまざまな場所は、訪れた人の持っているものを照らし出す力があるのだと思いますが、今回も内省や気づきがありました。
   今回は、空海と音楽・祭りが一つのキーワードとなっていました。
   今回巡礼した何人かの経験や気づきをご紹介したいと思います。


●写真に写った空海

   今回の目的の一つとして、年末に上祐代表が高野山へ行ったときの空海のお廟での経験と、そこから生まれていった弥勒金剛法具エンパワーメントとの関連で、空海と関係のある土地を巡礼し、瞑想する目的がありました。
    天河は、空海が高野山開山の前に3年間修行した場所でした。

    一つ不思議な出来事がありました。
    祭りの合間に、数人で歩いて行ける寺社を巡っていたのですが、その一つの「大師堂」のことです。
    大師堂は、弘法大師空海を祀るお堂です。天の川にかかる弥山橋のたもとにある小さなお堂です。



   そこの看板には、「天河弁財天の祭が行われていたとき、この川で写真を撮ったところ、はっきりと弘法大師空海とお地蔵さまの姿が映っていたので、お堂を建ててお祀した」と書かれていました。

    私たちは、「へえー、そんなこともあるんですね。誰が撮ったんでしょう。その写真を見てみたいですね」などと話しながら、「あの辺でしょうか」と川の場所を見たりして、その場を後にしたのですが、不思議なことに、なんとその直後、広末副代表が神社に行ってたまたま話をした人が、「昨日、大師堂の写真を撮ったおばあさんにその写真を見せてもらいましてね・・・」と話し始めたそうなのです。

    その人は、昨日たまたま立ち寄った栃尾観音堂でそのおばあさんと出会い、見せていただいたそうで、その写真には、お坊さんとお地蔵さまが光を放って写っていたということでした。

   広末副代表は、その偶然の一致に驚きながらも、なにか空海のお導きのようなものを感じたそうです。
   その印象を強く残しながら、翌日、高野山を訪れることになりました。 空海のお廟の前に座ると、「衆生済度」ということがどんどん浮かんできたので、空海から衆生のために生きるという心を学ばされたように感じたそうです。


●天河で感じたこと

   2人の感想をご紹介します。

◎芳賀(聖地巡礼部長)

   天河はずっといたくなるような不思議な時空の場所だと感じます。
   すべてを包み込む胎内のように感じていたら、天河は風水的に子宮の形をしていることを知り、感じるところがありました。

   今回は祈りと慈悲について考えさせられました。
   今回新年(旧暦の)を迎えるにあたり、自分の内省として節目の旅としたいと思っていました。
   どんな人に対しても我がことのようにその成長を喜び見守るような慈悲の心。そこには自我がなく闘争の心はありません。そのような心が天河にはあふれていて、感じるところがありました。情けないですが(隠れてですが)ずっと涙ぐんでいました。
   このような一元的な波動のある聖地に感謝するとともに、私にとって、そのような心で日々を生きるということが今年の重要なことだと思われました。

   あと、特に今回の護摩法では、祭りの機会において、何かを行って祈りを捧げることにたいへん惹かれました。供物を捧げ、真言やお経や祝詞を唱え、音楽を捧げ、火に祈ったりそこで何か作ったりする行為をその場にいるひとみんなで行うという祭りはとても重要なことと思えました。
   ひかりの輪でも供養などの儀式をすでに多く行っているので、そのときに、祈りの表現としての何かをいろいろ行っていきたいと思います。


◎田実(横浜支部長)

   今回の天川では、「天川は土地も人もあたたかい」ということを感じました。どこのお寺の方もひとなつこく気さくで「親しい来客」のように迎え入れてくださいます。何度も何度も心温まる瞬間がありました。

   天川は人が変わるのを待ち続けてくださる場所だと感じました。
   自分からアプローチして力づくで変えるのではなく、気付くまでずっと静かに悩みながらも待って、相手が気付いた時には「やっと気がついたね」と喜びをもって抱擁してくれる。。

   そこには「人の仏性を信じる心」と「静かな愛」が感じられます。
   何かに似ている。。そうです。弥勒半跏思惟像の姿にだぶります。



    私は自分の業が噴出していましたが、天川の静かなる愛の相制が入り意識が浄化される感じがあり、眠るまでずっとナーダ音が聞こえていました。そしてそれは高野山で一元的な瞑想が引き出されるのに繋がって行きました。

   雪はすべてを吸収し寂静に導いてくれるようで天川が皆を見守っていました。


●天河と音楽

   現在ひかりの輪では、さまざまな音楽が生まれてきているので、今後音楽をつくっていく上でも、音楽・芸能の神でもある弁財天を祀る天河弁財天を参拝したいということがありました。

◎Sさん(音楽演奏スタッフ)

   天河では、自然を大切にし自然から学び、自然に還ることを考えている人々が遠くから集まり、自然を讃える歌を作ったり、踊ったりして、神々に供養することを喜びとしています。

   節分祭ということで、和太鼓から始まり、篠笛も加わっての、節分の儀式がありました。夜は岡野さんという方の音楽の奉納があり、民族楽器を使っての演奏は、昔から続いていて、今もなお新しく、生きている、そんな感じがしました。

    朝、参拝したときに、みなでサラスヴァティーの真言を唱え、笛を供養させていただいたのですが、歌と伴奏の音程がずれてしまい、お世辞にもいい出来とは言えませんでした。少し話し合えばこうはならなかったと思うのですが、「和の心を大切にされている神々は喜ばれなかったのだろうか」と考えさせられ、次は意見を出し話し合ったあと、もう一度供養しました。

    最初は笛2本と歌一人だけの予定だったのですが、周りにいた友人が、感応したのか自然と踊りを踊ったりコーラスをしてくれたりして、今度はとてもいい供養ができました。供養の意味について学ばさせられた、今回の、雪模様の冬の天河弁財天の音楽供養の体験でした。 

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