聖地巡礼
ひかりの輪で訪れた各聖地のご紹介や、聖地巡礼修行をご紹介しています

2008年2月 天河・高野山

2月4日 空海御廟での瞑想経験

                                                                                        宗形真紀子

    雪化粧をした杉林に囲まれた空海の御廟。深い静寂と澄んだ空気に包まれたその場所で、みなでしばらくの間、瞑想しました。

   そのときの瞑想の感想は、それぞれの個性によりさまざまでしたが、同じような瞑想の経験や、感想を持った人が何人もいたので、同じ瞑想空間での共有の経験も起こっていた面もあったように思います。

【追記】
  私たちは、巡礼した聖地に深い敬意と感謝を示すものですが、特定の巡礼地を神格化・絶対化する意図はないことを念のためお断りしておきます。そして、聖地巡礼をされるすべての方々が、自己の内面の浄化や成長に励まれる中で聖地を訪問されることを願っています。


●慈悲と喜び、明るさを感じた経験

  以下の方々は、慈悲、衆生済度、喜び、明るさ、感謝、仏性などのキーワードが共通している面がありました。


●空の海、そして明るく軽い感謝と喜びの空海        水野副代表

   お廟の前に立つと、明るい軽い、感謝と喜びの気持ちが湧き上がってきて、ずっとそれが続いていきました。また、手に持っている金剛杵の両端から、普段よりもずっと強いエネルギーが手に向かって流れ出ていくのを感じました。

   それから、空海のお廟の前のお堂の中に行きましたが、そこにあった法燈が、既に千年以上絶えたことがないと聞きました。それには比叡山の不滅の法燈と同様に、火を絶やさないということは法を絶やさないという深い意味があると感じ、深く印象に残りました。
その法燈の前で供養の瞑想をしたのですが、よりいっそう嬉しい気持ちになり、明るさや喜びが増していきました。

    その後、弘法大師に供養する食事を運んでいる僧侶の姿を見かけたのですが、自分は供養の修行が好きなこともあって、それがとても印象的で、自分も心のこもった供養をしていこうと思いました。

   なお、前回、同じ高野山に訪問した際も、とても印象深い体験がありました。
  お廟の前に来て、たくさんの方々がご利益を求めて、お祈りをしているのを何時間も見ていたのですが、そうしているうちに、人々の苦しみが自分のことのように受け止められて、仏の救済のお手伝いをするべきだという気持ちが強くわきでてきました。

   前回と今回の違いは、前回はそこの空間は空海の名前のとおり、「空の海」のように感じられ、金色に輝いているように感じられましたが、今回は、先ほど書いたように、この空の海という感覚に加えて、明るさ、軽さ、喜び、歓喜といった要素を感じました。

   ひかりの輪では、聖地に行けば救われるといった考えは安易であり、聖地はあくまで、そこを訪れる個々人の神聖な意識を引き出す呼び水のようなものであって、個々人の日ごろの功徳や求道心によって体験が変わっていくと考えていますが、私の経験はその一例ではないかと思います。


●慈悲と喜びの意識、仏性の覚醒を願う       小宮部長

  お廟の前で法具を持って、その場のエネルギーを感じようと瞑想していると、慈悲と喜の両方の意識が出てきました。
   その直前まで、修行の仕方に迷いがあって、気持ちが暗い面があったのですが、一転して心が明るく軽くなり、自分の中から利他の心が出てきて、「全ての魂が仏性を覚醒しますように」という思いが生じ、発菩提心の詞章が湧いてきて、どんどん軽さと明るさが出てそれが続いていきました。




●慈悲と喜び、仏性を大切にすること       山口部長(名古屋・福岡地区担当)

  私は、このとき高野山に行くのが初めてでした。
  高野山と並ぶ比叡山延暦寺の根本中堂では、強い慈悲の広がりを感じたので、高野山はどんなだろうと楽しみでした。

  お廟の前で、ヴァジュラを持ちながら瞑想していると、心が静まり、慈悲の思いが生じてきました。そして、「すべての魂が救済されますように」という言葉が浮かんできました。
   そのうち、だんだん肯定的な明るい感じになってきて、嬉しさがこみあげてきました。喜びが湧き上がり、知らないうちに顔がニンマリとしていました。

   比較的長い時間そんな状態が続いていると、今度は「仏性を大切にすること」という言葉が浮かんできました。
自分の今のテーマが「仏性」なので、この言葉は納得できるものでした。

   この日、二回目にお廟に行ったときも、慈悲の気持ちと「すべての魂が救済されますように」という言葉が出てきました。その言葉を何回も唱えていると喜びが生じてきました。このときは喜びだけというより、慈悲の思いと喜びが混じった感じで、それがしばらく続きました。
   お廟のデータが自分の深い意識に刻み込まれているなという実感がありました。

   このお廟での体験は、自分が乗り越えなければならない課題を乗り越えるために必要なので与えられたのだと思います。


●衆生済度への強い思いと意識の広がり         斎藤(小諸支部長)

   高野山へは今回はじめて行かせていただきました。
   奥の院へは2回行ったのですが、1回目に奥の院の御廟の近くまで来た時に、とても力強いエネルギーを感じました。

   はじめはそれが何なのかわかりませんでしたが、御廟の前に立った瞬間、深くて力強い大きな空間に呑み込まれ、周りには他にもたくさんの人がいたのですが、その時、そこには自分ひとりだけが立っていました。
   厳しさとやさしさ、力強さと柔軟さ、そんな波動に包まれ、他を思う心、衆生済度に対するものすごく大きくて強い思いが伝わってきました。

   2回目に奥の院へ行った時は、1回目の時に感じたあの力強い波動が、周りの自然ととけあってすべてと調和している、地球の波動と御廟の波動が一体となってすべてを包み込むように広がっているような、とてもスケールの大きなものを感じました。人も動物も、天も大地も、すべてに分け隔てがない、そんな心の広さを感じました。

   広隆寺の弥勒の半か思惟像では、軽くてやさしい宇宙のように広がる意識というものを感じましたが、御廟では、もっと現実的な、直接的な地に足のついた救済のエネルギー、そして意識の広がりというものを感じました。
  今回の高野山ではとても大切なことを教えられたような気がします。 (つづく)

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