指導員紹介
「ひかりの輪」の指導員のご紹介です。

指導員

小林由紀/音楽奉納担当



   小林は、ひかりの輪において、作曲・編曲・演奏活動を行っています。

幼少時から音楽に触れ、「音楽によって人の心を繋ぎたい」という思いが、現在の仕事につながっているといいます。

また、「戦争をなくしたい」という願いで生きてきたのと裏腹に、オウム真理教にはまりこんで、事件となり、やっと抜け出した今、贖罪の人生を送りたいと語っています。




ひかりの輪において、音楽の作曲、編曲、そして聖地巡礼などにおいての奉納演奏を担当しています。また、ブログ関係も担当しています。

もともと音楽を志したのは、3才の頃からピアノを習っていたのもありますが、音楽によって人の心を繋ぎたいという強い思いからでした。

小学生の時、「ビルマの竪琴」という映画を観て感動したのですが、それは今思うと、音楽で人の心を繋ぐことができるということと、戦争などで亡くなった人や苦しんでいる人たちの慰霊、鎮魂をしたいという熱い想いが生じたからでした。その想いは、その後どんなにつらくても生きて行くという原動力になっています。

◎信仰への目覚め

 
長野に住んでいた幼児期は、お寺の保育園に通っていて、お坊さんのお話を聞  いていたせいか「仏さまってどこにいるんだろうな」という素朴な疑問を持ちました。母に質問すると「心の中にいるんだよ」と答えてくれたのを覚えています。

信濃川を見ながら彼岸を感じたり、また志賀高原に行った時には「山の神さまがいる!」と思い、幼心にだんだんと信仰心が芽ばえました。そこには、自然の中にすべての生命が溶け合ったような、生き生きとした、懐かしいような至福感がありました。

◎戦争をなくしたい

小学生の頃は、テレビで戦争などのニュースを見たり、学校で「はだしのゲン」や「マヤの一生」などの教材と出会っては心を痛め、「世界平和の祈り」という言葉を熱心に祈っていました。

父が転勤の多い仕事をしていたので転校ばかりで、小学校だけで5校変わり、人との出会いと別れを多く経験ました。そのたびに無常を感じ、感受性の鋭い子供だったと思います。また、父は宗教は嫌いだったのですが、「人は生まれた時から死に向かっているんだよ」などと、時々意味の深いことを言うような人だったので、私は子供心にいつもそういうことを考えるようになりました。

中3の時の転校では、受験もあり授業の進度が違っていたためにノイローゼっぽくなり霊的になって金縛りに遭ったりと大変でした。そんな状態で自分が何もできないことに苛立ちや無力感を感じていましたが、学校の作文の試験で「私の夢」という課題が出た時、「私の夢は世界中から戦争をなくすことです。戦争に勝って得られるものは、たくさんの哀しみと少しの見栄だけです。」と書き、「これしか夢はない、これは一生の悲願だな」と、固い意思と熱い思いがつのっていきました。

◎自分を変えたい

高校の頃は、宇宙戦艦ヤマトなどのSFアニメが大好きで、人前では漫才をしてみたりイラストや詩を書いたりして「浮遊してて夢見る少女」と言われていました。でもそれは、暗い部分を隠すために演技して作っていた性格でした。

そんな中、音楽で人の心を繋ぐということだけは信じて勉強を続け、短大でピアノを専攻し、披露宴などで電子オルガンを演奏する仕事をするようになりました。

晴れの舞台で演奏していると、仮想世界に入ったようで、暗い現実を忘れることができましたが、世の中の不幸な部分がどうしても見えてしまい、自分もつらい恋愛をしたり、神経症になる中で、演技  の自分と本当の自分とのギャップが開いて行き、友だちは多くても本心は誰にも言えずいつも孤独でした。

◎出家願望

 そのうちにいよいよ人の持っている業が悲しく耐え難くなり、何らかの救いを求めて、いろんな宗教やヨーガの本を読みました。そして、これはお寺に出家して仏道に入るしかない、と思い始めたのは24才の頃でした。尼僧になりたいと思ったのです。でも、どこの寺が出家を受け入れてくれるのかわかりませんでした。

その頃、ちょうど書店でオウム真理教の月刊誌を見つけ、出家して解脱できると書いてありました。「これだ!」と思い、5ヶ月後に入信、その8ヶ月後に出家しました。

出家してからは音楽の担当になり、ほんとうに世の中のためになることをしているんだと思って心も明るく喜んで活動していました。そのうち教団の人数も増え、大きなオーケストラを持ったりして、救済はどんどん進んでいると思っていました。

ただ、教団が地球上のとても大きなことを動かしているような気がして、ある意味いい気になっていたことも事実です。その中で、世間の情報は一切シャットアウトし、教祖に許可された情報だけを信じていました。閉ざされた世界の中でハイになり、今考えると、悟ることという方向性の軌道からは少しずつ逸して行っていたのです。

◎マインドコントロールからの脱却

地下鉄サリン事件の強制捜査が入った時、私は完全に陰謀だと思っていました。警察は悪に取り込まれ、煩悩によって正しい真理を潰そうとしていると信じていたのです。そして、世の中はおかしくなっていて、一般市民はみな悪の組織に騙されて可哀想なのであって、そこから救わなければならないんだと思っていました。

事件は教団がやったとだんだんわかって来てからも、きっと何か深い意味があるのだと考えて、それ以上考えようとしませんでした。

そういう私がだんだんと真実を見るようになって来たのは、99年ごろに住んでいた住居の地域で住民運動が起ったことからでした。はじめは私も「凡夫は無智だからわからないんだ」と上から見て哀れに思ったりしましたが、本音は食料も入れてもらえなかったり、罵声を浴びせられて恐怖でした。でも日が経つごとに、心の壁があることが嫌で交流したくなり、監視テントの中でいつしか私はまた漫才のように人を笑わせるようになっていました。

私が住民の方あてに長い手紙を書いた時、「これを読んで救われたよ」と言って下さった方がいたり、「あなたたちは今からでもやり直せるわ」と涙を流して下さった方もいました。ほかにも親切にしていただいたりして、一般人は悪に騙されているわけではないのかもしれない、と思いはじめたのです。

そういう方々とのふれ合いの中で、私の心は徐々に開いて行きました。それは、「もういちど、人を信じてみよう」という思いでした。その頃の私にとっては、他愛のない話をすることも異文化との交流のようでしたが、そんな私とも普通に付き合ってくれた住民のみなさんには、ほんとうに感謝しています。

その頃上祐代表が出所し、教団が改革されて良い方向へ向いて来たと思ったのですが、2003年11月頃から、上祐代表が修行に入ってからは、また混沌とした状態になりました。その中で、私の中ではマインドコントロールが解ける過程で、うつ状態になったり、分裂状態になったりしました。

というのは、なぜ自分が、人を殺すことさえ宗教的価値観によって肯定できるような思考になっていたのか、考えることも恐ろしくなって行き、なにか閉塞されたような感覚で、まるで卵の殻に閉じこめられて、産まれるに産まれられない、というヴィジョンに苦しめられたりもしました。まさに、心は地獄でした。

その頃、教団内で何が起こっているか、私は知らなかったのですが、松本死刑囚のことを否定したということで、上祐代表が魔境と言われていることを知ったのは、一年以上経ってからのことでした。

◎ひかりの輪に入って

 上祐代表が自ら修行から出た頃、私も当時の教団の信仰では悟れないと思ったし、周りの人の利益にもならないと思っていたので、考えに賛同し活動に参加しました。そして、教団本体からは「外道」「魔のエネルギー」と言われ、激しい批判と排除を受けましたが、戸隠やあちこちの神社、仏閣、自然の中に行くことによって、だんだんと、本来持っていた信仰心というものを思い出したのです。それはまさに、光が差して来た感じでした。

「幼い頃感じた山の神さまは、私にとっての心の中の仏ではなかったか?」
「母が教えてくれた、仏は心の中にいるとは、こういう意味ではなかったのか?」
「心の中に仏がいるのに、外側の救世主に頼ろうとしたのは、心が弱かったからではないか?」
「私はビルマの竪琴の水島のように、慰霊と鎮魂がしたかったのではなかったのか?」
「僧として、人と人の心を繋げ、世の中から争いをなくすことを切望していたのではないか?」

◎聖地巡礼修行で得たもの

ひかりの輪の聖地巡礼修行を重ねて行くうちに、様々な大自然や神仏、人々に出会って、教団の外の広い世界を見ることになり、仏教で言う「色即是空」ってこういうことなのかな、と感じ始めました。

瞑想の世界では、内的な世界に大宇宙があることは確かですが、それはこの現実の世界にも現れています。現実を否定して瞑想していても悟ることはない、現実を直視しなければ心の解放は起こらない、ということが、だんだんとわかって来ました。そういった意味で、事件に対しても自分の心の現われと見るようになって行きました。

中でも、広隆寺の弥勒半か思惟像に出会った時は衝撃でした。突然涙が溢れ、嗚咽が止まらなくなってしまったのです。その時の想いは「今まで私は何をやって来たのだろう」というものでした。長い長い人類の歴史の中で人類が繰り返して来た悲しいあやまち、それを私も犯して来たのだ、なんという悲しい業を持っているんだろう、ということ。善だと思ったことが悪になり、それに気付かないという無智、高慢さ...。
まさに、事件は私の心のあやまちの現れでした。ほんとうに申し訳ないと、魂の奥底から感じています。

そういったあやまちを経験し、今世の中を見ると、人は同じようなあやまちをまた犯すのではないかと思えてなりません。自分の宗教が正しいと思うがあまり、異宗教を排除する、あるいは弾圧され報復する...。私たちのように、集団化してことを起こしてしまう前に、人は癒されなければならない、と思います。二度とオウムのような宗教テロが起こらないよう、人は、善と悪を隔てて悪を排除するといった考えから離れなければならないと思うのです。

そういう意味で私は、生きとし生けるもの、そして大自然、大宇宙、そのすべてが溶け合ったひとつのもの、そういった世界に、聞く人の心を少しでも近づけることができるような音楽を作ること、それが私の生きている  意味だと思うようになりました。それは決して「聖なるもの」を上から与えるというものではなく、ありのままにあるもの、その流れを表現するものになるでしょう。

 他にも聖地巡礼修行においては、乗鞍では太陽に大日如来を感じたり、天川では水の流れを見ながら弁財天を感じ、奈良の東大寺では華厳経と大日如来の世界を、高野山では空海、比叡山では最澄の心を感じたり、他にもさまざまな神仏と、それぞれを信仰する人々の想いを感じることになりました。

また天川は、音楽、芸能の神であり、スピリチュアルな世界に興味のある人やミュージシャンが集まる場所でもあるわけですが、いろいろな方の活動を見て、自然を癒す音楽、そして、気負いがなく心のこもった音楽を作ることが大切だということを学びました。

◎鎮魂の祈り...贖罪

「慰霊と鎮魂」これはずっとやりたかったことですが、事件のことで現実問題として賠償という重い責任があります。これは、まぎれもなく自分の業ですから、賠償は、僧としての生き方においても一生をかけて行っていきたいことです。また、未熟さと不徳のために非難を受けたとしても、それも業です。今まで自分が苦しめて来た人や生きものが癒されるためにも、淡々と贖罪を続けることが生きる道だと思っています。

  同時に、音楽で人の心を仏性とひとつにすること、自然を癒すこと、これを願ってこれからも曲作りをして行きたいと思っています。人や自然を癒すこと自体が鎮魂であり、その祈りを込めて、自然の神や神社や仏閣に対して、音楽を捧げ続けていきたいです。それは、それが自分の心の病を癒し罪の贖罪にもつながるという実感があるから  でもあります。

ひかりの輪の活動や瞑想には、私が幼い頃に感じていた仏や、時々垣間見る宇宙意識に至る道が存在し、また自分の業に合っているものだと思っています。そういう意味で私は、ひかりの輪のメンバーとして、外部のいろんな宗教者の方や同じ考えを持つ方々とも協力しながら、輪を広げて行くことができたら嬉しいと思っています。

今だに世界中で争いやテロが絶えません。人には、カルトを作らないような教育が子供の頃から必要だと思います。そのために、私は経験者として、あるいはサンプルとして、何がカルトを作るのか、そしてどういう子供がカルトに引き込まれるのか、カルトを必要としない人になるためにはどうしたらよいのか、ほんとうの悟りとはどこにあるのか、そういった情報を少しでも世の中に発信し、人が健全に安心して生きてゆける生き方を提唱してゆく活動ができるようになりたいです。とは言っても私の力は微々たるものですから、今後、一般の方々の客観的なご意見を聞くことが不可欠だと思いますし、宗教研究や心理学などの専門家の方々とも協力して進めて行くことができればと思っています。

そして、いずれ歳を取ったら、さまざまな業に疲れ苦しむ人たちが心を癒すことのできる駆け込み寺を作りたいと、実はひそかに、思っています。

◎オウムの総括

小林由紀個人の、オウムの総括文書は、
オウムの教訓サイト
『オウムの事件と病理の総括』で、ご覧いただけます。

◎略歴
1963年1月、長崎県佐世保市に生まれる
2才の時長野に移住、その後、全国10ヵ所以上を転々とする。
4才の時ピアノを始め、小学校時代から作曲を始める。
1989年1月に出家。作曲、編曲活動に専念、おもに歌の伴奏を担当。
2007年3月、アーレフを脱会、現在に至る。

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