指導員紹介
「ひかりの輪」の指導員のご紹介です。

支部の指導員

吉田惠子(福岡ひかりの輪の会担当)


   福岡ひかりの輪の会(支部ではありませんが、九州地区の連絡所となっている)を担当している、吉田惠子をご紹介します。

吉田は、病気などのさまざまな苦悩を抱え、修行の道に入ることで、やっと幸福を摑んだかのように感じていました。

ところが、オウム事件によって、それは大きく崩されることとなりました。

その後の内省を経て、真の意味で人生をやり直していこうと気持ちを新たにしています。

 




◎人生の疑問と苦しみと自殺未遂 

「人は何のために生まれてくるのか」、
学校に縛られ、試験に縛られ、
そして大人は
「いい高校にいきなさい、いい大学にいきなさい、
いい会社に勤めなさい、いい人と結婚しなさい」と言う。
そして老いて死んでいく。 わからない!!
いったいなんのためにそんなことをしなければならないのか?
そんなことをずっと考え続けてきました。

自分というものがありながら、何一つとして自由なものはない。
一体何のためにそんなことをしなきゃいけないのか、
何の目的のためにそんな人生を歩まないといけないのか、
死んだらどうなるのか、分からない、分からない、
人生に対して全てが疑問だらけでした。

答えが欲しくて、ある日父にそのことを聞いてみたことがありました。
「お前そんなこと考えているのか!そんなこと坊さんに聞け!」
という返事でした。
私の家は日蓮宗でした。
早速家に来たお坊さんに聞いてみました。
しかし、全ての疑問がバシッと氷解するような答えは返ってきませんでした。
答えは解決しないまま、
取りあえずその疑問は心の片隅に置き去りにしたまま、
目の前の忙しい生活に明け暮れていく日々が続いていきました。

それとは別に私は中学の頃から、
自分をもっと変えたい、もっと高めたい、
精神をコントロールできるようになりたいと強く思うようになり、
いろいろ模索し、通信講座等でいろんなことを学んだりしていました。
当時は今のようにたいしたものがなく、
模索はしてはいましたが、
なかなかこれといったものにはでくわしませんでした。 
しかし、私のこの疑問はピークに達していきました。

高校3年生のとき、
持ち前の負けん気の強さと相反して、
気弱な部分とのバランスが崩れ、
自分で自分を許せなくなってしまい、
登校拒否をするようになってしまいました。
ぶざまな自分を見るのが辛かった。みじめだった。
そしてとうとう18歳の時自殺未遂をしてしまいました。
ずいぶんと辛い日々を過ごしていましたが、
ある日転機を迎え大学受験をし、
教育大にすすむことになりました。

大学時代はもっぱらアルバイトをしながら、
自分で自分の生活をまかないながら、4年間を過ごしました。
その後、長年父が望んでいた教職につきました。
それが父の願いだったので、
そうすることが親孝行だと思っていたからでした。
当時は職業としては安定しているし、給料もいいし、
休みも多いしと、安易な考え方をもっていました。

しかし、赴任してみてその考え方が、
いかに甘かったか思い知らされるこになりました。
そこでであったのは、
人を自殺にまで追い込む人権差別問題でした。
部落差別、国籍の違いによる差別問題、
家庭の貧しさによるさなざまな問題、
障害者問題、父子家庭、母子家庭、
本当にさなざまなことに直面させられたという感じでした。

自分の内面を見つめていかざるをえない職員会議が、
毎日毎日夜中まで続きました。
土曜も日曜もない家庭訪問。
あまりのストレスから胃潰瘍になり、
過労で倒れたこともありました。
病院にも思うように通えない日々もあったほどでした。
苦しい!苦しい!毎日が本当に辛い日々でした。

そうこうしているうちに病気になっていることが分かり、
入退院を繰り返す日々がはじまったのでした。
こんな状態でしたから、何とかこの状態から抜け出したいと、
あっちこっちと救いを求めてさまよっていました。
それまでにも自分を変えたい!変えたい!と一生懸命模索しながら、
分野を問わずいろんなところに救いを求めてていきました。

◎ヨーガとの出会い

26歳から本格的な模索が始まりました。
当時のオウム神仙の会に出会うまで、
6年間いろんなところに行きました。
病気を治したい、自分自身を変えたいという思いから必死でした。
私はこの6年間、いろんな人たちの苦しみをみました。
毎年行く病院では、本当にこんなにみんな病気なの?
と思ってしまうくらい多くの人たちが待合室にいました。
そんな人たちをみる度に、何とかしてあげたいという思いが募ってくるのでした。

またいろんなところで、
人生の苦悩をかかえて相談に来る多くの人たちの姿をみました。
お稲荷さんを祭っている所、方角をみてくれる人の所、
不動明王を祭っている所、易で占って人生相談をやってる人の所、
どこへ行っても苦悩している人たちの姿で一杯でした。
その姿を見る度に
「今は私もこうだけど、
いつかきっとこの人たちを救ってあげられるようになりたい!
助けてあげたい!」
と強く思うようになっていました。

そんなある日、私の恋人がヨーガで解脱をした人がいるよと
「生死を越える」という本を貸してくれたのです。
ヨーガで解脱?何それ?という感じでした。
ヨーガというと、よくテレビでよく見る、
クネクネ体をよじったりする体操のようなものというイメージしかありませんでした。

しかしそこに書かれている内容は、私の心を一気にひきつけていったのです。
そして熱心に道場に通うようになりました。
西洋医学や健康食品の摂取では直らなかった病気が、
インドのアーユールヴェーダの医学と、
ヨーガや功徳の理論を学び、実践するうちに、
眼にみえてどんどん回復に向かっていきました。
それは本当に驚くべきものがありました。

特に功徳の理論を学んでからは、熱心にバクティーヨーガの実践に励み、
お金では買えない心の安定を得ることができました。
さらにバクティーヨーガに励むうちに、
心で思ったことが、 5分後には叶ってしまうということも頻繁に起きるようになり、
本当になんてすごいところに入信したのだろう!!と怖いくらいでした。
心で思ったことが次々に叶いだしたときは、
しみじみ心を浄化しないと怖いなと思ったくらいでした。

 また子供の教育現場においても、真理の法則や仏教の教えは、
どの教育理論よりもすばらしく、子供達をいい方向に変えていくことができました。
生き物に対  して優しい心がもてるようになり、
その結果クラスからいじめがなくなったほどでした。

今までずいぶんと病気や心の不安定さや、
人間関係(特に母親との関係)で苦しんできました。
しかし、修行によって、何もかも全てが解決し、
やさしい恋人もいて経済的にも安定し、
仕事では評価を得るようになり、
人間関係でも、うまくいくようになっていったのです。



◎出家の決意


さあ、これから人生で生まれて初めて幸せになれる!! と思っていたときでした。
私の心にあることが浮かんできたのでした。
自分の心をよくみつめてみると、実は自分が淋しいからそばにいてほしい、
自分かこうしていたいからこうやってほしいと、
常に自分、自分、自分、自分中心に思っていることに気がついたのです。

私って自分のことばっかり考えているんだな。
今私は幸せになろうとしているけれど、
そういうものは永遠には続くものではないし、
心は無常だから彼のこともあきるときがくるだろうし、
そうしたら心は他の人に目うつりするもの。
自分のことばかり考えるのはもういい!本当の愛を返したい!!
この人に本当の愛を返せるようになろう。
私をこの真理の流れに導いてくれた人、
本当に大切なら真の愛を返そう。 
そう思うようになったのです。

法則では真理に導いた人が出家をし、
多くの人を幸せにするお手伝いをしたら、
導いた人に大きな功徳が返ると言われています。
私は思い切って出家を決意したのです。

しかし出家を決意した理由は他にもあります。
これこそ大きな私の根幹にかかわる大きな理由でした。
世界中には自分と同じようにいや自分以上に病気や人間関係や、
精神的苦悩をかかえている人はたくさんいる。
そういう人たちが苦しみから解放されるようにお手伝いしたい!!
真理の法則や徳の理論を布教して、
もっと多くの人達を助けたい、そう思ったのでした。

しかし、出家の道はそうそう甘くはありませんでした。
いろんな自分の弱さや煩悩との闘いの連続でした。
しかし、この出家の動機ゆえに、何とかくじけそうになりながらも、耐え続けていました。

◎事件と人生のやり直し

そうこうしているうちに95年になって、いきなり強制捜査のラッシュが続きました。
最初はどうしてこのようになったのかの理由さえ知りませんでした。
教団からは宗教弾圧だと教えられ、すっか信じ込んでいました。
世間でいうようなそんな酷いことなどするわけがない。
何かの間違いに違いない。
そう固く信じていました。

しかし上祐代表等、何人かの真実を知っている人たちから話を聞くにつれ、
だんだん心が大きくショックを受け始めていました。
どうして?どうして?虫も殺してはいけないといいながら、
なぜそんなにたくさんの人を、無残にも殺さないといけないの。
私は多くの人達の苦しみからの解放を、
お手伝いしたいと思って出家したのに、
知らなかったとはいえ、真実はまったく反対のことを、
間接的手伝いをしていたという現実に、
大変なショックを覚えたのでした。

この20年間私は一体何をやってきたのだろう。
私の人生返して!いつしか心の中で叫んでいました。
ある意味私も被害者だとも思いました。

しかし、自分で選択した以上、誰のせいにするわけにもいきません。
上祐代表等が開催する勉強会に参加していくにつれ、心が痛むことがありました。
それは被害者の方々のことでした。
ノンフィクションでの、
被害者の苦悩していらっしゃる姿を見たとき愕然としました。
事件以来12年間、一体私は何をやってきたのだろうと思いました。
どんな言葉を言えばいいのか、全く言葉もありませんでした。

自分の思いとは裏腹に正反対の人生を私は歩んでいたのです。
この事実を知った以上は、一生かけても償っても償いきれるものではありませんが、
精一杯やれることをさせていただくしかありません。

今年3月教団を脱会し、これから真の意味で人生をやり直し、 
これから先の人生、一生悔いが残らないよう、
精一杯初志貫徹できるよう頑張りたいと思います。

よくよく考えてみれば仏教は「全ては心の現われ」と言います。
あの事件も私達の心の汚れが生み出したものだと思います。
自己保全の心が強いと、
どうしても事件にかかわった人たちだけを責めたくもなるわけですが、
それでは本質的な解決にはなりません。
私達一人ひとりが、もう一度自分の心の中にメスを入れて、
見つめなおしていかないといけないと思っています。

新団体ではいろんなヨーガ指導や、
多くの方々の、心のケアーも含めた道場活動の実践を
より深めていきたいと思っています。
どうかよろしくお願いいたします。

◎オウムの総括

吉田恵子個人の、オウムの総括文書は、
オウムの教訓サイト
『総括』で、ご覧いただけます。

◎経歴

1954年生まれ
1978年小学校教諭として勤務
1987年オウム神仙の会に入会
1989年出家、出家者の子供の学習指導、道場活動、他さまざまな奉仕活動に従事
2005年上祐派で活動
2007年アーレフ脱会

担当: 福岡ひかりの輪の会
携帯電話  080-6583-5869
窓口電話    092-661-8211
メールアドレスfukuoka@hikarinowa.net

<<< 前へ【田渕智子/千葉支部、教材制作部長】

次へ【斎藤友希/長野支部長(長野・群馬・北陸地区担当)】 >>>