田実恵理子/大阪支部長(関西・広島以外の中国地区担当)
◎学生時代
私は小さな頃から音楽が好きで、高校時代は毎年文化祭でバンド演奏をしたりしていました。どちらかといえば歌詞にメッセージがあり問題意識を感じるバンドに惹かれていました。
通っていた高校はとてもリベラルでした。
お化粧をしたサーファーやロックンローラー、ジャージ姿の運動部、優等生、まるでバラバラな人たちがの違和感もなく一緒に授業を受けており(笑)、非常に楽しかったといえる時代でした。
◎オウムとの出会い
学校をでてしばらくは、自分が何をしたいのか模索していました。 バンドやバンドのスタッフを始めたり、たくさんの友人に出会い、いろんなことを吸収しました。その頃ブルーハーツというバンドのカバーをするため、雑誌でメンバー募集をしたのですが、そこで応募してきたのが、私をひかりの輪に導いてくれた友人でした。
その時の応募は実に50人くらい来て、すでにバンドメンバーは決まっていたため、ほとんどの人とはやりとりだけで直接会うことはありませんでした。なぜそのとき彼女だけ会って友人になったのか、今考えても不思議なことです。
その後、出家にいたるまでレコード屋の店員、ライブハウスの店長、音楽関係のマネージメントなど、10年以上音楽関係の仕事をしていました。一番長かったのはライブハウスで、毎日何バンド、何十人という人と話をしていました。今世にでているバンドのかなりは無名時代に見ていると思います。
あるとき前述の友人に「オウムに入った」ことを告げられました。
私は現世である程度やりたいことができていて「自分の人生は自分で切り開く」という思考の持ち主で、「宗教はすがるものが必要な心の弱い人がするもの」という偏見を持っていたので、正直困惑してしまいました。
しかし「入らなかったら絶交する」というくらいに話され、「形だけ入るけど通わないからね」などと言って、しぶしぶ入会をしたのでした。
その言葉通り入信してもほとんど道場に通わず、そのため松本氏の説法を生で聞いたことは一度もないという状態でした。
◎修行生活~事件
確か1994年の終わり頃だったと思います。たまたま修行してみようという気持ちになり、ライブハウスの仕事が終わったあと南青山の本部に歩いていき、週に数回夜中から始発まで修行する日が続きました。
しかし、それもつかの間、翌年3月に地下鉄サリン事件がおこりました。
私は「陰謀論」というのが大嫌いで、ヴァジラヤーナ的な雰囲気には拒否感がある方だったのですが、このときは、まさか教団が事件をおこしたとは思わず、「陰謀論は本当だったんだ!」と思い込んでしまいました。
しかし私は在家信徒で、テレビも週刊誌も見ることができましたので、「事件に教団がかかわったことは間違いない」と、割と早期に気がついていきました。
疑念を持ちながらも、「弟子の一部が勝手にやったのではないか」など、「教団がやったとは思いたくない」という気持ちが強くでていました。
その頃私は、仕事でマスコミ関係などへの出入りがでてきたこともあり、社会的な心配が強くなり、道場に通えないという時期が、かなり長く続きました。「このままおそらく修行には戻れないのではないか」と思っていました。
◎出家まで
1998年に「完全解脱」という在家信徒のバンドにかかわる活動がありました。ひょんなことからスタッフになりそれをきっかけに再び道場に通うようになりました。私は音楽の仕事は一生続けるつもりだったのですが、さまざまなことがありこの活動をきっかけに音楽の仕事をやめ修行中心の生活とすることになりました。
1999年のある日、師といわれるステージの方に「出家しましょう」と言われました。私は「え、誰がですか?」と思わず後ろを振り返ってしまいました。「私は皆で一緒の生活は絶対無理です。」など理由をつけて断りましたが、その方はひるまず「では家だけはでて在家信徒として道場で生活してはいかがですか」と言ってきました。
そこで私も素直すぎると思うのですが「確かに家に執着しても仕方ない、在家で道場に住めるならいいかな」などとあっさり家を引き払ってしまったのでした。
◎葛藤の日々
そこから私は、「出家希望の信徒」という中途半端な状態を、2年くらい続けました。週6日フルタイムで仕事をしながら、平日8時間、休日15時間修行をしていた時期も長くありました。現世執着がほとんど切れていないときだったので、正直毎日が大変でした。出家希望の信徒は、ほとんど出家者と同じ戒律を守らなくてはならず、ついこの前まで、好きなように普通の生活をしていた自分には、かなり辛いことでした。
私は家族への思いとともに、仕事や仲間への執着が非常に強く、出家をめざす身となりながらも、往生際悪く、なかなか出家の決意を固めることができませんでした。
そんな悶々としたある日、在家信徒だけのセミナーに、私たち出家希望組も参加していいということになりました。このとき、生き地獄ともいえる世界について考えさせられる場面があったのですが、これが私の転機となりました。
人々が修行に入らない一つの原因として、「六道輪廻があると思えない。わからないから」ということがあると思います。
私もその時まで、そういったものをリアルに感じたことがなかったのですが、「人間として生まれても、業によって耐え難い苦しみの世界にいってしまうことがある」ということに、非常に衝撃を受け、「本当に輪廻転生というものがあるならば、家族や友人だけではなく、どんなに嫌いな人であっても、苦しみの世界に人がいくのは耐え難いことだ」という思いがこみ上げてきました。
「自分は修行を体得して、縁ある人の役に立ちたい」という強い思いが生じ、「そのために修行が早く進む出家の道を選ぼう」と、そこでようやく出家の決意が固まったのです。
◎アーレフへの出家
2001年7月にようやく私は出家しました。「毎日が合宿にきてるみたい!」これが私の出家生活の印象でした。。在家時代にかなり苦しんでいたため、出家してからしばらくは、まったく苦しいことがなく、「こんなに毎日が楽しくていいのだろうか」と思っていました。
それなりに修行や、教団内のワークといったものを行い、日々が過ぎていきました。当時はわからなかったのですが、その頃の自分は、自分で自分を徐々にマインドコントロールしていったと思います。
教団の多くの人は、松本氏を「絶対神」と考えていました。多くの人が(その人にとっての)「古きよき時代」という感じの、オウムファミリーを心のよりどころにしていて、松本氏のおこしたことを冷静に見つめることはできていませんでした。社会の意見を受け止めることは、「皆のアイデンティティが崩壊することであり、してはならないこと」という感じでした。
◎ひかりの輪へ
2005年の初冬に、私は数日、教団を飛び出したことがありました。「心の成熟を求め修行し、人の心を扱うのが宗教のはずなのに、心を置き去りにしているのではないか」と感じてしまったのです。
そんな頃、ひかりの輪の前進である、「アーレフ代表派」への勧誘がありました。諸々あり、上祐代表のグループ(以下「代表派」)の活動に参加することになりました。
代表派の始まりは、まず「事件を知る、見つめる」ということから始まりました。地下鉄サリン事件を扱ったプロジェクトXや、再現のテレビドラマの上映、遺族の方の手記、教団内で当時事件にかかわりのある部署にいた人の話、ディスカッションなど、ことあるごとに行われました。また松本氏に対して、教義に対して、何がおかしかったのかを考える作業が行われていきました。
同じ価値観の狭い世界の評価だけで松本氏を見ていたこと、松本氏が完全ではないという当たり前のこと。意識が段々フラットになっていきました。なぜ私たちがはまってしまったのか、そこに選民意識や、「グルが絶対である」と判断できる叡智を自分が持っていると思ってしまっている過信、傲慢さ、様々なことに気づき、考えさせられていきました。
被害者の方、社会を震撼せしめたことへの償い、奉仕をどうしていくのか、二元の極致であった私たちが、どのように考え、生きて変わっていくのか、そういったことを話し合う中で、ひかりの輪という団体が生まれたと思っています。
◎ひかりの輪の修行
ひかりの輪では、「自と他の区別を越えた一元の意識」というものを、修行のひとつの大きな目標としていますが、そこに至るための様々な方法が模索され、研究されています。ヨーガ行法、瞑想など、一歩一歩積み上げて、内面を変化させていくことのできる修行ができてきています。また、いろんな聖地をまわり、様々な信仰や、大自然の中から学ぶということを行っています。
今年に入ってからは、多くのスタッフ、在家会員が自分のエゴに慙愧の念を生じさせ、慈愛、慈悲、利他心、宇宙意識の片鱗を垣間見るといった経験が増えているように思います。
私自身ひかりの輪になってから以前より多忙で、修行時間がすごくとれているわけではないのですが、それでも、修行や奉仕の中で、変化身が光の空間に入るといった体験や、意識が広がり周りに溶けあうような意識状態の経験など、大きな心の変化、そして瞑想経験が徐々に深まっているのを実感しています。
世界中にさまざまな素晴らしい教えというものがあると思います。
そして、それぞれの環境や業によって、その人にあった教えを選んでいくのではないかと思います。
ひかりの輪の修行は、代表の書いた「無色瞑想」ひとつとっても、現代の日本人に適した、わかりやすく効果的な修行、いろんな興味から入って進んでいくことのできる効果的な方法があると思っています。
ヨーガ、気功など健康面や、精神的な悩みストレスを緩和するようなものから、瞑想修行まで、いろんな方々のニーズにあった修行法があります。活動が進むごとに、「より効果的な修行を与えていただいてるな」ということを実感しています。
事件の総括、被害者の方への謝罪・賠償ということを大前提に、社会に少しでも恩返しができる活動、安心をしていただける活動をしていければと思っています。
まだまだ未熟な自分ですが、どうぞ宜しくお願いいたします。
◎オウムの総括
田実恵理子個人の、オウムの総括文書は、
オウムの教訓サイト
『オウム・アーレフ時代の総括と、なぜひかりの輪に参加したのか』で、ご覧いただけます。
◎経歴
1993年オウム(現アーレフ)に入会
2001年アーレフに出家
2001年以来、支部活動担当
2007年アーレフを脱会して、ひかりの輪へ
担当者携帯電話:080-6797-4772
支部窓口電話 :06-6762-1293
メールアドレスosaka@hikarinowa.net






