すべてを受け入れられる教団に~一元の教えの素晴らしさ (Oさん 女性30代・横浜)
オウム→アーレフ→ひかりの輪と移り変わってきた中で、一番の大きな変化は教義そのものではないかと思います。
オウム・アーレフでは、まずはグルイズムありきといった傾向が強く、その偏りが故に「グルは善、グルに反対する者は悪」と無意識に善悪に分けてしまう風潮があったように思います。
ひかりの輪ではこれらの反省点を踏まえ、グルそのものを置くことをやめ、心の拠り所を釈迦・観音・弥勒の三仏、もしくは宇宙全体とすることとしています。
ここがまず大きな違いと言うことができます。
またひかりの輪の教義においては、一元思想を根本として展開しており、釈迦の説いた「十二縁起の法」についても、「すべては相互依存して存在し、独立しているものはない。すべては繋がっている」という解釈がなされ、これが一元思想の教義の重要な部分を占めています。
ここで言う「すべてが繋がっている」という意味あいは、敵も味方も、善も悪も、すべては繋がっていて、すべては自己の心の表れなのだということです。
実を言うと旧教団にも「すべては自己の心の表れである」という教義はあるにはあったのですが、グルイズムの傾向が強かったためにその教義を生かしきれず、結果として、教団の反対者については自己の心の表れとして見ることはできなかったのではないかと感じています。一元思想にのっとり、これからは善悪すべてを受け入れられる教団になっていけたらいいなあと思います。
また、旧教団では、「グルへの帰依」「極限」といったキーワードの下で、かなり無理のある活動をしてきた感があります。
物事の結果を急ぐあまり、知らず知らずのうちに、悪イコール敵、攻撃の対象、切り捨てるべき対象、という短絡的な考え方に陥っていたことは、反省すべき点でした。
それに対し、ひかりの輪の一元思想においては、善悪を明確に分けることはしていません。悪も善へ移行するプロセスの一部ととらえる面があり、時には「善業に転換するまで辛抱強く待つ」という方法を用いることもあります。
確かに何事においても、「一瞬頑張って短期間でやめる人」と「少しずつでも長く継続する人」とでは、長い目で見れば後者のほうが勝っているということができます。
これからは、各々のペースで長く宗教活動を続けていくことができるのではないかと期待しています。






