事件の真相を知るために入信して(Hさん 男性40代・大阪)
私は1996年3月、社会におけるオウムバッシングが続く中、「事件の真相が知りたい」という動機から旧オウム真理教に入信をいたしました。
自分なりに事件を検証するにつれ、第二次世界大戦と一連のオウム事件、天皇制とグルイズム、死刑制度とポア思想など、私の内部でオウムが抱えている問題と日本社会が互いにリンクしていきました。果たして日本人にオウムを批判することができるのか。オウムとはひょっとしたら日本の姿そのものではないのか。
オウムに入信したのは、そのような疑問を抑えることができず、「もっと彼らを知りたい」という衝動に突き動かされたからです。ひかりの輪は一元思想によって自と他の区別を無くす心の訓練を行っていますが、今にして思えば、私にとって最初に自と他の区別を超えられた瞬間はこの入信の時だったのかもしれません。
しかしながら、別に「解脱・悟り」という高邁な境地を求めて入信した訳でもないので、オウムそしてその後のアーレフに変わってからも、熱心に活動する訳でもなく、修行者というよりも傍観者という立場であったように思います。肝心の「事件の真相」についても、教団内部では事件について話しできるような雰囲気ではなく、何一つ分らないまま時間だけが経過していくという状態でした。
そうした中、上祐代表が独自の活動を始められ私も参加するようになりました。事件を直視し、信仰のあり方を見つめ直そうとするこの活動には強く共感を覚えましたし、私自身の信仰の原点が再び見えてきた気がしました。
一元思想を学ぶにつれ、今までは机上の空論でしかなかった「全てはこころの現れ」という仏教教義が実感を持って納得でき、「人生に於いて無意味なものは何一つ存在しない」という確信を得るようにまで至りました。
またそのようなこころの変化に伴い、頭頂からシャワーを掛けたように水が溢れ出しているような感覚を何度か体験するようになりました。あとから聞いたところ、その体験が「甘露」であると知ったのですが、神秘体験に疎かったこの私が、まさかそのような体験ができるとは思ってもいませんでしたので非常に驚いております。
アーレフを脱会し、一年が過ぎようとしておりますが、まだまだ課題は山積しております。事件を反省し、事件は何故起こったのか、こころの背景には何があったのか、それを明らかにしていくことで、二度とオウムのようなテロ行為が再び起こらないよう問題提起していきたいですし、また、そうすることこそが不幸にも事件の被害者になられた方々に対する思想的贖罪を果たすことではないかと考えております。






