仏教講義
上祐史浩の著した特別教本と、それを解説した講話などの仏教講義をご紹介しています。

【動画あり】21世紀のための仏教講義

第6回 『21世紀のための宗教の革新』
(2011年01月27日)

第三章 21世紀のための宗教の革新--新しい宗教の創造




ここでは、私が現段階で構想している、21世紀のための宗教の革新について述べたい。20世紀までの宗教は、人を救う面があったとともに、例えば、盲信・狂信の非合理性、他宗派・社会との対立・紛争、そして、組織の閉鎖性などといったさまざまな問題を抱えているのは明らかである。そういった問題を乗り越えた、21世紀の人類社会のための新しい宗教のあり方の一例を示したい。

 

1 盲信を超える

--依存・怠惰と傲慢を超える、宗教と科学の融合、釈迦牟尼の教えから

まず、特定の人物を絶対視しないこと。言い換えると、学びの基本は、絶対視せずに、かつ、謙虚に学ぶことである。また、特定の人物(自己の宗派の教祖・開祖)を絶対視しないのと同様に、自己の宗派とその教義などを絶対視しないことである。

誰か他人を絶対視することは、楽して幸福になりたいという依存の欲求と、自分が信じた人を絶対と位置づけることにより、気づかないうちに自分自身の判断能力を絶対視することになり、怠惰と虚栄心・慢心の煩悩が増大する恐れがある。

その一方、絶対視できる相手がいないならば、誰からも学ばないという反動的な考えに陥る場合があるが、それも、形を変えた怠惰と慢心にほかならない。よって、絶対視せずに、謙虚に学ぶという、バランスの取れた考え方が必要である。

これは、一般にいわれる先生と生徒、先達と後輩の関係にも似ている。自分の教えの師(先生)からは、謙虚な心で十分に、その先人・先達の智慧を吸収しつつも、それを絶対視はせずに、自分の知性・理性で、その教えをよく吟味し、自分で納得できたならば、それを修習することである。

これは、釈迦牟尼が説いた学びの方法であった。釈迦牟尼は、「私(=釈迦牟尼)を崇めるな」と戒め、修行者が、自己と法を帰依の拠り所にすることを説いた(自灯明・法灯明)。ただし、これは、他人から学ぶなという意味では決してない。実際、釈迦牟尼は、自ら法則を説いたし、また、仏・法・僧の三宝に対する帰依を説いた。重要なことは、師から教えられた法を、自分の知性・理性でその是非をよく吟味し、自分なりによく咀嚼(そしゃく)して、修習することである。

実際に、インドの仏教の伝統では、自分の師に対する深い敬意を持ちつつ、その師の教えを絶対に正しいと考えることは、その敬意とは別のものだとされてきた。よって、真実を見極める科学者が行なうように、師の教えを客観的に分析・評価し、必要ならば批判する態度も許容されたという。

なお、盲信の背景にある依存・怠惰は、楽して幸福になりたいという欲求である。これは、釈迦牟尼の一元法則である、苦楽表裏、楽の裏に苦があるという教えの無理解から来るといってもよい。教えをよく吟味するのは労苦であるが、目先の楽のために盲信に走れば、後に、盲信による大きな苦しみのつけが回ってくるのである。

なお、盲信をしないためには、客観的な事実に基づかず、単に信じていることと、客観的な事実に基づいて、信じていること(=知っていること)をきちんと区別することが重要である。人は、自分が特定の人物や教義を信じる場合に、客観的に見れば、それが十分な証明・根拠に基づいていないにもかかわらず、それが正しいと思いこむ傾向がある。

客観的には、それは、その人が好きで信じている範疇であるにもかかわらず、当人は正しいと思い込んでいる。これが、いわゆる「はまる」「突っ込む」という状態である。その背景には、上記の依存・怠惰の欲求や、自己愛著・虚栄心・慢心といったものがある。特に後者は、その対象の正しさを信じることが、自分の正しさを信じることと一体不可分に結びついてしまった状態である。

科学分野の師弟関係では、自分の先生を絶対視しないことは当たり前となっている。その一方で、先人・先達・先輩に対する敬意は深い。ニュートンの万有引力の法則が、その後に現れたアインシュタインの相対性理論に比べて不正確な理論であったとしても、アインシュタインを含めた多くの科学者にとって、ニュートンは、深く尊敬すべき先人・先達であることに変わりはない。ニュートンは、彼らの学びの対象であり、ニュートンのおかげで、その後の物理学の発展があり、その中で、アインシュタインの功績も生まれたのである。

今後は、宗教の教義・思想も、科学の分野のごとく、どのように偉大な先人の教えであっても、それを絶対視せずに、謙虚に学び、それを吸収したならば、それよりも優れた教義・思想を生み出すべく、絶えず努力するべきであろう。こうして、科学の理論と同じように、宗教の教義・思想も、絶えず改善・成長し続けるならば、宗教が、科学とともに、人類の叡智という地位を回復するだろう。

 

2 善悪二元論と闘争を超える

--世界の調和、真の民主主義の実現、観音菩薩の教えから

従来の多くの宗教においては、自分が信じる宗教の世界の中において、「神・仏・聖」とされるものと、「魔・邪」とされるものを、非常に強く区別してしまう問題がある。そして、そのため、異なる宗教・宗派や、宗教と社会の間で、自分たちを神の側、他者を悪魔の側と位置づけて、対立・闘争・戦争が繰り返され、今日に至っている。

そして、これを乗り越える教えとして、第一章で、善と悪、優と劣の区別・二分化を超える観音菩薩の一元法則を解説した。それは、この世の万物には、本質的に優劣があるのではなく、それは、それぞれの個性であり、お互いを助け合う上での役割の違いであって、万物はすべて、神仏の平等な現れ(平等な一部)であると説いた。

しかし、これを本当に実現して、宗教による対立をなくすためには、第一章でも触れたように、自分の信じる宗教の世界で聖とされるものと、邪とされるものの間にも、本質的には、優劣の区別はないという思想にたどり着かなければならない。これができるかが、分かれ道となる。

そして、まさにこれに関連する大乗仏教の教えとして、凡夫と仏を二分化しない「凡夫(ぼんぷ)即仏(そくほとけ)」という教えがある。すべての凡夫は仏性を有し、釈迦牟尼がそうであったように、時とともにさまざまな経験を経て成長し、未来に仏になる存在である。その意味で、仏の胎児であって、仏と本質的に区別される存在ではない(仏の子であるならば、本質的には、仏にほかならない)。

釈迦牟尼も、仏となる前の生には、カッサパ如来(釈迦牟尼以前の仏)を誹謗中傷したこともあったとされる。仏教では、如来の誹謗中傷は、最も大きな罪とされるが、その大罪をなした者が、後に仏になったのである。他にも、999人の人を殺した後に、釈迦牟尼に巡り会い、改心して悟りを得たというアングリマーラや、数十人の親族を呪殺した後に、師に巡り会い、大成就者となったというミラレパなどの成就者がいた。

ここでは、時の作り出す変化(無常性)を理解することがポイントである。すなわち、悪人も時とともに、善人に変わると考えて、善人と悪人を二分化せずに、すべての人々・生き物を未来の仏、仏の子と考えるのである。時はすべてを変えていく大きな力を持っている。

そして、これに加えて、煩悩が大きい者が、未来には大いなる解脱をする可能性があること(大煩悩大解脱)、煩悩が強く悟るのが遅れる者が、悟ったならば大きな慈悲を持つ可能性があることについても、第一章で述べたとおりである。

先に仏になった釈迦牟尼と、後に仏になる弥勒菩薩の間にも、優劣があるのではなく、その違いは、先駆者と普及者といったような役割の違いであって、その違いによって、互いに助け合う・補い合う関係にあると解釈するのである。

さて、これに関連して、凡夫と仏陀を二分化しないことと同じように、大乗仏教には、凡夫の煩悩と仏の菩提心(慈悲の心)を二分化しない教えがある。それを「煩悩即菩提」という。凡夫の煩悩も、それが土台となって、菩提心が生まれる。煩悩による苦しみが、重要な経験となって、菩提心の正しさに目覚めるのである。

最後に、大乗仏教では、仏教が苦しみの世界とする(私たちが生きている)輪廻の苦界と、絶対の世界とする「涅槃」を区別しない教えがある。また、同じように、輪廻の世界と、仏の集う「仏の浄土」を区別しない教えもある。それぞれを「輪廻即涅槃」、「輪廻即浄土」という。

輪廻と涅槃や、輪廻と仏の浄土は、大乗仏教の唯識思想が説くところでは、本質的に別々の世界ではない。それは、それぞれの人の心(意識と五感)の違いによって、同じ世界が、輪廻・涅槃・仏の浄土といったように、さまざまに違って見える(現れ出してくる)ものである。

この思想は非常に重要で、宗教が対立・闘争する中で抱えている一つの問題が、この現実世界・現世の軽視である。どんな宗教でも、この世以外の世界を認める面がある。しかし、それが行き過ぎれば、この世よりも、あの世の方をずっと重視してしまう場合がある。

すると、オウム真理教のポアのように、「宗教的に対立する他人を殺しても、高い世界に生まれ変わるのだから問題はない」、「現在の悪い社会をハルマゲドンで滅ぼして、その後にキリストの千年王国を作る」という発想や、イスラム原理主義のように、「悪い者をやっつけるために自爆テロをすれば、天界に生まれ変わって幸福になれる」といった発想も生じてくる。

これは、本質的には、オウムやイスラムに限らず、あの世を強調する宗教のすべてに当てはまる潜在的な危険性である。例えば、織田信長との対立では、浄土真宗(一向宗)も、信者に対して、「進めば天国、退けば地獄」と説き、織田信長との戦いに立ち向かうことを求めた。

こうして、この世を軽視したり、この世の生を軽視する教えの場合は、それが、宗教的な対立・紛争の際に、他者を殺したり、信者に命の犠牲を求めるなどして、現実世界を破壊し、地獄にしてしまう可能性をはらんでいる。

そして、これを乗り越えるのが、先ほど述べた、「輪廻即涅槃」、「輪廻即浄土」の教えである。すなわち、この世界が良い世界か悪い世界かは、それを見る人の心によって変わってくるもので、天界から地獄といった世界は、本質的に人の心の中に存在するという思想である。

以上をまとめるならば、①人についての善悪の二分化を超えること、②人の心についての善悪の二分化を超えること、③世界についての善悪の二分化を超えることによって、宗教が、対立・闘争を乗り越えることができると思われる。

最後に、この宗教的な思想は、実は、真の民主主義の土台となるものである。民主主義は、その思想の発祥においては、民が主(しゅ)=神であるという思想がある。

それ以前は、一人の人間=王が、主=神であった。すなわち、王権神授説に基づき、王が神の代理人であったのだ。それに取って代わった民主主義の本来の意味は、一人一人の民が主である、一人一人の民は神の一部であるという意味を持つ。実際、ユダヤ教では、多数決において、多数の方に神の意思が現れるという思想があるそうで、民主主義という政治形態と宗教教義が融合している。

しかしながら、現在の民主主義社会では、投票権においては確かに一人一票とされて、万人が平等に扱われているが、人の心の中では、ご存じのとおり、万人が平等・等価値とは、全くなっていない。優劣の区別が激しくなされ、自己を否定して卑屈に陥ったり、他人を否定する慢心に陥ったりしている。こうして、自分の価値を否定したり、他人の価値を否定したりすれば、すべての民が、それぞれ主=神の一部であるという認識には全く至らない。

これを乗り越える一元法則を普及させることは、投票権に限られた、現在の形ばかりの民主主義ではなく、すべての人が本当の意味で尊重し合う、真の民主主義の社会の土台となる思想である。言い換えれば、良い意味での、宗教的な叡智と政治の融合である。

なお、アメリカ合衆国が、世界初の民主主義国家として誕生し、その後、民主主義を深めるために、黒人奴隷の解放を含めた人種差別を乗り越えてきた歴史があるが、現代社会で民主主義を深めるためには、個々人と社会が、自分の心の中の優劣の二分化の奴隷にならないようにすべきであろう。

 

3 教団と社会の壁を越える

--地球全体に開かれた宗教の実現、弥勒菩薩の教えから

多くの宗教団体は、救われるには、信者・会員にならなければだめだと説き、教団とその外部には相当な壁がある。しかし、実際には、本質的には、信者と非信者に明確な境界はなく、信者にも疑念が、非信者にも何らかの宗教心はあり、教団とその外部は、密接不可分の関係にある。

また、現在の宗教団体は、精神的・物理的・地理的な制約によって、その信仰・修行の実践の場が、多かれ少なかれ、万人に開かれたものだとは言い難く、一部の教団では、その施設内部のみで、修行・信仰が行われ、隠された形となっており、外部の人にとっては、それも障害・不安となっている。

そこで、教団の内外の区別をなるべく和らげた、開かれた宗教を実現する。そのために具体的には、信者・非信者を問わず、誰もが参加できるネット空間や、公の聖地・施設を、思い切って、その修行・信仰の実践の場とすることが考えられる。


特に、ネット空間を大胆に最大限に活用することによって、それは、地球全体に広がる精神的な向上のためのネットワークとなる。世界中どこにいても、信者にならなくても、オンライン参加者として参加できる。名付ければ、グローバル・スピリチュアル・ネットワークとしての、ひかりの輪の創造である。

このひかりの輪のネットワークは、21世紀の社会のための新しい宗教の創造であり、宗教の革新と、社会の価値思想の革新を促すものである。具体的には、一元の法則という新しい幸福観・思想と、その実践方法を普及し、なおかつ、上記のとおり、その具体的な実践の場、今までにない新しい開かれたシステムを構築する。

なお、ネットに加えて、自然豊かな聖地に集まって修行を行なうことも有益であろう。ネットも聖地も、特定団体に属さない、万人の共有物であり、これは、地球・宇宙全体が、真の教団である、という思想に合致するものである。また、公の施設を使って行なうイベントも活用していく。

これは、自と他の区別を超える弥勒菩薩の法則の実践であり、言い換えると、真の自己は宇宙全体であり、真の家族は宇宙のすべての衆生であり、真の自分の教団・社会・国は、宇宙全体である、という思想である。

 

《付記》今後、ひかりの輪が構築する予定の、具体的な新しい修行の場・システム

今後構築する具体的な新しい修行の場・システムとしては、例えば以下のものがある。

1 ネット上で、講話や儀式・他の修行を自宅に頻繁に生中継する(Ustream)
2 ネット上で、複数の人の自宅を結んで、勉強会や個人面談を行う
(NetTV会議システム)
3 道場以外の場として、オフ会や聖地修行に、一般の人も参加できるようにする。
4 教材や法具も、ネットを通じて購入できるように整える。

なお、現状のひかりの輪の公式HPは、上記のネット教団の前段階のものであり、すでに、以下の機能を有しているが、今後その機能を拡充・改善する。

1 代表の支部道場での講話の生中継(Ustream)、代表・指導員の講話の動画、
2 法具聖音・瞑想音楽の音声データ、ヨーガ等の行法・聖地修行の動画・テキスト、
3 代表・指導員による法則のテキスト、会員や一般の方々の修行体験談、
教材・法具の紹介
4 各支部道場や指導員のご紹介など

 

《付録》 関連教材リスト

以下は、今回の講義に関連する、これまでのひかりの輪の特別教本のリストです。
ご活用ください。

『一元の法則とその悟りの道程、金剛薩?の内省修行』(2010年GWセミナー)

『現代人の一元の法則』(2009~2010年末年始セミナー)

『循環の法則と密教加行』(2009年夏期セミナー)

『内観、唯識、縁起のエッセンス』(2009年GWセミナー)

『仏教講義・悟りの道程1 縁起の法』(2008年9月)

『仏教講義・悟りの道程2 悟りへの道と大乗の教え』
(2008・2009年 年末年始セミナー)

『大乗仏教・六仏の教え』(唯識、内観の部分)(2009年2月)

『ひかりの輪 密教加行の儀式次第』(2009年8月)

 

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一般の方のために
ポータルサイト
総合入口ができました。こちらからどうぞ。
動画コーナー
ネット生中継
ひかりの輪 ネット道場
会員でない方も、どなたでも、支部道場での、教えや修行法を、ネットを通じて、ご自宅から学ぶことができます。
21世紀の宗教・思想の創造「ひかりの輪」