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第1回『釈迦牟尼の教え―苦楽表裏について』
(2011年01月27日)


第一章 一元法則の理解を深める


ここでは、従来から説かれている「三仏の一元法則」の理解をさらに深めることにする。なお、これまで説かれてきた一元法則の基礎は、特に『ひかりの輪2010年ゴールデンウィークセミナー特別教本 一元の法則とその悟りの道程、金剛薩?の内省修行』にまとめられているから、ぜひ読んでいただきたい。ただし、本稿は、それを読んでいない人も、一定の理解ができるようには説明している。

1 釈迦牟尼の一元法則--苦と楽の区別・二分化を超える





1.楽の裏に苦がある

苦と楽は、表裏一体である。楽の裏に苦があり、苦の裏に楽がある。まず、楽の裏に苦があるとは、例えば、快楽に貪りとらわれれば、その裏に、さまざまな苦しみが生じることである。


仏教では、自分や自分のものに対するさまざまなとらわれによって、四苦八苦と呼ばれる苦しみが生じると説く。四苦八苦の中にある最初の四苦とは、生・老・病・死の4つの苦しみである。釈迦牟尼が説いた「十二縁起の法」によれば、人は、意識と五感を通して、何かに愛著してとらわれる結果、この世に転生し、生・老・病・死の苦しみを経験するという。

これを言い換えれば、人は、自分自身やこの世の快楽に対して執着するほど、老い、病み、死ぬことが苦しみとなる。そして、最後の死の際には、一切を失うという苦しみを経験する。

また、次に、四苦八苦の他の4つの苦とは、貪りには際限がない中で、求めても得られない苦、愛著・執着するものを失う(と別れる)苦、奪い合う苦(敵対者と会う苦)など、さまざまなとらわれによる苦しみをいう。こうして、苦と楽が表裏であることを理解し、絶えず貪り求めることをやめて、足るを知ることが重要である。
そして、そのためには、今すでに得ている幸福の大きさに気づいて、それを支えている万物に感謝することが重要である。

 


2.苦の裏に楽がある

次に、苦の裏に楽があるとは、上記と逆のプロセスである。例えば、苦しみの経験を経る中で、それに慣れてくるが、それは、とらわれが減少したことを示している。その結果、その人の苦しみの範囲が減り、喜びの範囲が増える。

一般にも、苦しみ・労苦は、その人の心身を鍛える、愛の鞭である、試練であるなどといわれる。そして、大乗仏教には、六つの完成の忍辱(にんにく)の修行のように、自己を批判する敵対者も、自分の修行を進める教師として、感謝する教えがある。

それだけでなく、苦しみの経験は、慈悲の心を深める可能性がある。それによって、同じ苦しみを持つ人の気持ちがわかり、自分がその苦しみを乗り越えれば、他者がその苦しみを取り除く手助けをすることもできる。そうなれば、その人は、慈悲による幸福を得ることができる。


3.他に優位にある喜びと、他を愛することによる幸福の違い

ここで考えたいことは、喜び・幸福には2つのタイプがあることだ。一つは、現代の社会における一般的な喜びとは、他に勝つ、他に優位に立つことによって得る喜びであって、仏教的に見れば利己的な喜びである。お金持ちになる喜び、魅力的な異性を得る喜び、地位や名誉・権力を得る喜びは、皆が他との競争である。
もう一つは、他を愛することによる幸福感、四無量心による幸福というものがある。四無量心とは、慈・悲・喜・捨という4つの計り知れない大きな心という意味である。慈とは、他に幸福・楽を与える心であり、悲とは、他の苦しみを悲しみ、それを取り除く心、喜とは他の幸福を喜ぶ心、捨とは、分け隔てなく平等に他を愛する心である。

そして、重要なことは、他に優位になって喜びを得ようとする視点からは、苦しみに感じられる事柄が、他を愛して幸福になるという視点からは、逆に、幸福の原因となるということである。例えば、先ほども述べたように、他に勝つことができないという苦しみは、同じような弱者の苦しみを理解し、それを手助けしたり、自分ではなく、他の能力を活かしたりするという力になる。

そして、他に優位に立つことによる幸福は、その裏にさまざまな苦しみをもたらし、それに加えて、いつかは失う無常なものである。これは、四苦八苦の教えと本質的に同じであり、勝てない苦しみ、さらに負けて失う苦しみ、敵対者を作る苦しみなどがある。そして、老い、病み、死ぬ中で、すべては苦しみに変わる。仮に人生の前半は勝ち組でも、後半は、死に神に負け、すべてを失う。その意味で、この、他に勝つことによる幸福は、尻すぼみの無常な幸福となる。

その一方、他を愛することによる幸福は、その心の修練を積み重ねるほど、成熟していく。老い病み、死ぬことで衰えることがない。自己に対するとらわれも薄まり、死の恐怖も超越する。さらに、心に培った徳性は、死後、来世においても継続するので、死によって失われることはない。その意味で、これは尻上がりの継続する幸福である。

よって、仏陀は、人生が無常であることをふまえ、さまざまな利己的な執着を放棄して、慈悲を培うように説いた。そして、その具体的な実践は、大乗仏教で六つの完成といわれる。


4.苦しみに感謝すること

そして、先ほど述べたとおり、苦しみの経験は、その人の慈悲を深める可能性がある。詳しく言い直せば、利己的な視点における苦しみの裏に、他を愛する視点における喜びがある。この意味でも、やはり、苦しみの裏に喜びがある。

こうして、苦の裏には、とらわれの減少や、慈悲の心の増大による楽・喜びがあると理解することが重要である。そして、それに基づいて、今経験している苦しみや、苦しみを与える存在に対して、感謝することが重要である。


5.万物に恩恵・恩人として感謝すること

以上をまとめると、
① 楽の裏に苦があることを理解し、今すでに得ている幸福と、それを支える万物に感謝し、かつ、
② 苦の裏に楽があることを理解し、苦しみと、それを与えるものに感謝することが重要である。

そして、この2つを合わせて実践すれば、最終的に、森羅万象・万物が、自分にとって恩恵となっており、万人が恩人であることに気づき、万物に感謝する境地が生まれてくる。わかりやすくいえば、自分の経験している「すべてがありがたい」と感じる境地である。

そして、このすべての衆生に対する感謝に基づいた恩返しの実践が、すべての衆生の苦しみを取り除き、彼らに幸福を与えようとする「大慈悲・四無量心」であり、それに基づく「発(ほつ)菩提(ぼだい)心(しん)」、すなわち、すべての衆生の済度のために、仏陀の境地に至ろうとする心である。


《参考》釈迦牟尼が説いた法則--縁起の法

釈迦牟尼が説いた中核の教えである「縁起の法」とは、「此(これ)があるから、彼(あれ)があり、彼(あれ)があるから、此(これ)がある」というものである。これは、事物が相互に依存し合って存在していることをいう。そして、大乗仏教では、これをすべての事物に当てはめて、「万物は相互に依存し合って存在し(一体であり)、他から独立した固定した実体はない(空である)」とした。

そして、人は、この法理を悟っていない無智(=無明)のために、無智に加えて、貪り・怒りの3つの根本煩悩(三毒)を有しており、そのために、さまざまな苦しみが生じる。例えば、先ほども述べたように、無智(無明)に基づく貪り・愛著によって、生・老・病・死の苦しみが生じるプロセスを説いたのが、「十二縁起の法」と呼ばれる教えである。

また、事物が相互に依存し合って存在し、固定した実体がないということは、言い換えると、無常であるということである。この世の万物は無常であり、人も必ず、老い、病み、死ぬものである。よって、それに執着しても、失われるものだから、苦しみを招く。これも重要な釈迦牟尼の教えである。

そして、この無明をわかりやすい言葉で表現すると、楽と苦、善と悪、自と他の区別・二分化などと表現できる。これを乗り越える教えが、ひかりの輪の説く三仏の一元法則である。そして、特に、楽と苦の区別・二分化を超える教えを、ひかりの輪では、釈迦牟尼の一元法則と呼んでいる。これは、上記のとおり、実際には、楽の裏に苦があり、苦の裏には楽があるという教えである。

 

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