仏教講義
上祐史浩の著した特別教本と、それを解説した講話などの仏教講義をご紹介しています。

(参考)伝統的な仏教講義2 カルマの法則

(6)カルマの法則を真に理解するために
(2008年03月03日)

◎カルマの法則を真に理解するために

さて、こういった「カルマの法則」「無常の法則」「苦楽表裏の法則」を完全に理解したならば、その人は完全に悟ってしまうわけですから、あなたが、これらの法則をすぐに完全に理解できなくても、決して焦る必要はありません。

その代わりに、こういった経典を繰り返し読んだり、さらに詳しくカルマの法則について考えてみて、なしたことが返ってくることや、喜びの裏に苦しみがあるということを焦らずたゆまず考えることが必要です。

先ほど「類は友を呼ぶ」と言いました。これは、確かに仏教的な法則よりも、日本人一般に経験的に受け入れられている可能性が高いものだと思います。

しかし「類は友を呼ぶ」という考え方自体も、本当に百パーセントそうだと感じているかというと、そうではないでしょう。自分が悪いことをしたら、悪い者と縁ができて悪いことをされると実感することは、完全には難しいでしょう。

 

◎エゴは際限が無く、苦しみの範囲を増大させる

よって、カルマの法則を理解するためには、さまざまな側面から努力が必要です。ですから、次に、いろいろな努力の仕方について話しましょう。

一つの簡単な方法としては、心理学的アプローチがあります。これは──先ほど話したこととも関係していますが──一言で言えば「エゴというものは際限がない」という事実に注目することです。

例えば、我々は何かを喜ぶ、エゴを満たして喜ぶと、エゴはさらに膨れ上がるわけです。そうすると、結局ちょっとしたことで満足できなくなってしまう。すなわち、我々は喜びを経験することが、ちょっとしたことでは満足できなくなってしまう苦しみ、これを生じさせているのだということです。

例えば、日本の人は非常に豊かです。大体、世界基準で言えば、毎年、数万ドルの収入がある。日本円で、数百万円の収入がある。

そして、日本人はこの状態に慣れきっていますから、年収がわすか数百ドル(数万円)の開発途上国の人たちが、日本人の生活は、皆が王侯貴族の生活であると思っても、自分では、それが王侯貴族の生活とは感じられません。

たいていは、自分と近い人と自分を比較し、自分は恵まれない、お金がない、貧しい、という苦しみになってしまいます。

 このように、エゴの喜びを満たせば満たすほど、より贅沢になり、欲求が増大するために、苦しみを感じる条件・範囲が、逆に広がっていくわけです。楽を経験するほど、ちょっとしたことが、大きな苦しみに感じられるようになります。

逆に、相当なものでも、喜びとは感じなくなります。これは、楽に対する慣れが増大し、苦しみに対する慣れが減少している、ということですね。

だから、楽の裏には苦があるんだ、ということです。これはたぶん、人間の心理として習慣として、皆さんにより理解できることではないでしょうか。

カルマの法則を理解する他の方法もあります。例えば、こういった教本を何回も何回も読めば、徐々に、カルマの法則に基づいて考える習慣ができるでしょう。その結果として、「そうだなあ」と思うようになる。

これは、論理的に考える方法とは違って、地道な方法ですが、継続は力ですから、非常に有効な方法だと思います。


◎修行が進むほど理解しやすくなるカルマの法則

そして、皆さんがいろいろな修行を進めていくと、徐々に叡智が増大して、カルマの法則がよりわかりやすくなります。それは、自分が何か悪業をなすと、それがすぐに悪い現象として現れてくるという体験です。

自分がなしたことが返ってくる時間の間隔が非常に短いと、なしたことがすぐ返ってくると、「やはり、カルマの法則はあるなあ」と、わかるようになってくるようになります。これは、修行を進めれば進めるほど、カルマの法則がわかりやすくなるということです。

そして、これについて、一つの例を上げたいと思います。

例えば、修行が進んでくると、エネルギーのヨーガによる体験を、カルマの法則を理解するために使うことができます。これは、ヨーガで、クンダリニー・ヨーガと呼ばれているものです。

クンダリニー・ヨーガの修行が進んでくると、悪業をなしたときには、その悪業に対応した部分の気の流れが滞り、気が流れる道筋、これを「ナーディ」ないし「気道」と言いますが、その部分が詰まるという生理的な体験が出てくるのです。

エネルギーがうまく流れなくなるのは、クンダリニー・ヨーガの修行者にとっては苦痛です。例えば悪口を言ったとすると、喉のところにあるチャクラが詰まって、エネルギーがそこで引っかかって痛みを覚える。こういった体験が起こります。

こうして、他人に悪いことを言って苦しめた分だけ、自分がそのナーディ(気道・管)とエネルギー(風)の体験の中で、苦しみを感じなければなりません。まあ、そうやって、カルマの清算をしているわけです。

これも他を苦しめたことが自分の苦しみとして返ってくる体験になるのです。こうやって、クンダリニー・ヨーガの修行を進めることで、カルマの法則をより理解することができるということになります。


◎カルマの法則を悟る修行法のまとめ

私は、カルマの法則という、仏教の根幹の法則を悟ることは、「仏教のすべてである」とまで言うことができると思います。

しかし、カルマの法則という知識を得ても、日常生活においてそれを十分に悟り切る、実感する、百パーセント確信するにはなかなか至りません。

よって、これまでに、これを悟るために、どのような方法があるかについて、いろいろお話ししてきましたので、まとめてみましょう。

一つ目は、経典を繰り返し読むことです。そうやって、徐々に自分にその教えを浸透させることです。継続は力です。

二つ目は、論理的に考えることです。「類は友を呼ぶ」ということを考えたり、エゴ・煩悩が苦しみをもたらす事実をよく考察すること。

三つ目には、修行しているうちに、なしたことがすぐ返ってくる、という現象が増えてきて、カルマの法則が見えやすくなること。例えば、クンダリニー・ヨーガとか。

こういった、いろんな方法によって、ヨーガ・仏教に共通する、カルマの法則というものを徐々に徐々に理解していくことができます。


◎貪りの結果として経験すること

さて、ここで、少し本筋から脱線して、貪りの多い人は、そのカルマによって、どのように苦しむかについて、少し深く考えてみたいと思います。

まず、貪りの苦しみは、その人の心・人格に現れて、苦しめます。

何かにつけ、今ある物では満足できず、常に、あれが欲しいこれが欲しい、と考えてばかりで、心が満ち足りることはなく、他人の豊かさを見るにつけ、妬みや憎悪が生じます。そのために、絶えず人間関係も悪く、争いが絶えないでしょう。

  また、自分の心の現れとして、例えば貪りの強い人が自分の前に現れます。その結果として、互いに貪り合う、奪われる、盗まれる、施されない、与えられない、という苦しみを経験します。

そして、転生する世界でいえば、餓鬼の世界に転生すると仏典は説きます。そこは、餓鬼の住人が、互いの食べ物を奪い合って、飢えで苦しんでいる世界です。

さて、今現在の人類社会は、人間の世界ですが、ある一面で、貪りによる餓鬼の世界の性質があるのではないでしょうか。

現在の地球では、十億人以上の人が、飢餓や貧困に苦しんでいます。しかし、地球全体で見れば、その全人口を養うに十分な食物があり、問題は、食べ物や富の分配が不平等なことです。実際に、十億人が飢える中で、別の十億人は飽食にふけっています。

これは、世界の飢餓や貧困は、食物やお金の奪い合いにおける敗者の問題であることを示しています。貧しい飢えた国から見れば、今現在の人類社会こそが、餓鬼の世界である、ということができるでしょう。

そして、これについて、飢えているのは、過去世の貪りのためであると考えて、放っておいてはいけないでしょう。

豊かな国に住む私たちは、自覚がないうちに、自分たちの経済力を使って、必要以上の食物を国際市場から集めて、多くの人から食べ物を奪っています。よって、自分たちが、このまま飽食にふけり、飢えている人を全く助けないならば、来世において、自分が飢えることになるしょう。

今飢えている人は、確かに、その人の過去のカルマの結果として、そうなっています。しかし、カルマの法則は、他人や環境を含めた、自分が経験する全てが、自分の心・カルマの現れである、としていますから、私たちは、自分のカルマの結果として、飢えている他人を目撃していることになります。

自分ではなく、他人が飢えていても、その他人を自分が同じ世界にいて、それを自分が目撃・経験しているという事実は、単に他人だけに貪りのカルマがあるのではなく、自分にも、貪りのカルマがあるからだと考えられます。

だとすれば、飢えている他人を救わずに、他から奪い続ければ、来世は、自分が、同じ立場になりかねないと感じることが出来るでしょう。

こうして、他人の苦しみを見ては、それを未来の自分の苦しみを警告するものだと考えて、自分の反省に役立てるわけです。飢えている人たちは、飽食の人たちにとって、全くの他人ではなく、自分たちの可能な未来を映している、仏陀のメッセンジャーであると言うことができるでしょう。

  


◎肉体に貪りが現れる一つの事例:ガン

さて、次に、肉体に、貪りが現れるとどうなるかについて、少し考えてみましょう。

私の考えでは、貪りが強い人の場合は、がんになりやすい面がある、と考えていますが、まず、がんという病気の本質を検討してみましょう。

がん細胞とは、普通の細胞が体が必要なときだけ増殖するのに対して、そのコントロールを失って無制限に栄養を使って無制限に増殖するものです。

その結果、無制限に栄養を使い、生体を消耗させ、各種の臓器を圧迫し、機能不全を招きます。

これはまさに「貪りの細胞」と言えるのではないでしょうか。そして、人が死んでしまうと、がん細胞も死んでしまいます。これが貪りの末路ですね。

また、一説には、ガンはストレスと関係がある、とされています。そして、ストレスが多い、というのは、その裏側には、執着・こだわり・欲求が多い、ということができます。逆に言えば、ストレスが生じやすい厳しい環境でも、修行によって、執着・こだわりを減らすならば、ストレスを減らすことが出来ます。


◎基本的な法則の理解が最後の修行でもある

今日は、基本的な二つの法則、「無常の法則」と「カルマの法則」について皆さんにお話ししました。

しかし、先ほど言いましたように、この「カルマの法則」と「無常の法則」は、これを体得したならば、もう完全に皆さん覚者になることができるというものです。ですから、今日皆さんにお話ししたことをぜひ参考にしていただいて、できるだけこれを深めていただきたいと思います。

仏教の修行体系は、ある意味で面白いのです。つまり、最初にやる修行が、最後の修行という面があります。

例えばこの経典の教えは、チベット密教では準備段階の修行とされています。この後に、さまざまな加行の段階に入っていきます。

それは、礼拝の修行・発菩提心・マンダラ供養・ザンゲの修行その他。それから次に、より高度なヨーガに入り、最後に最終的な悟りの修行に入りますが、この最終の悟りの修行には、深く思索して心を止めたり、心を見つめる瞑想などがありますが、ここでの思索は、当然今習っている根本的な仏教の法則に基づいて思索します。

ですから、皆さんが最初に学んだことが本当なんだということを悟る、これが最後の修行になってくるという面があるわけです。そのために長い長いプロセスがあるけれども、そういったプロセス、この全体を眺めてみると、最初にやっている修行がいかに大切であるかということになります。

 

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