2008年提言:21世紀の宗教のあり方―宗教革命へ

前世・来世による神格化・争いを超える
(2008年02月21日)

●偉人の前世や来世を主張する教祖の問題

宗教の教祖は、よく自分が過去世において偉大な聖者・救世主であり、また、来世においても、偉大な聖者・救世主になるということを主張することがあります。

例えば、オウム真理教の麻原元教祖は、日本では徳川家光であり、阿修羅世界の王であって、未来には、未来仏マイトレーヤ(弥勒仏)になるという主張をしており、信者の多くはこれを信じていました。

オウム真理教が破綻した後は、多くの人は、信じるのをやめたでしょうが、教団に残っている者は、まだ信じている人がいるでしょう。過去世や来世のことなどは、証拠を持って合理的に判断出来ないことが、決着がつきにくい原因になっています。

教祖を始めとして、その人が、前世自分は、かくかくしかじかであって、来世はかくかくしかじかになるというヴィジョンを見たとか、神の声でお告げがあったという体験をして、それを信者が信じるだけだから、それは合理的な判断の対象にはできないのです。

しかし、問題は、現実として、多くの宗教の教祖が、自分がキリストの生れ変わりである、釈迦の生れ変わりである、未来のマイトレーヤであると主張するので、それらが、全て本当であるとしたら、沢山のキリスト、釈迦、マイトレーヤがいることになってしまうということです。

マスコミで騒がれた幸福の科学の大川教祖も、たしか、釈迦の生れ変わりであるという主張だと思うし、彼に限らず、こういった事例は、宗教団体の数ほどにあると思われます。

そして、これが、大きな矛盾であることは、ある宗教団体に所属して、その教祖を唯一絶対視している人を除いては、誰もが気づくでしょう。


●オウム真理教の麻原教祖の矛盾

そして、麻原元教祖の場合については、未来のマイトレーヤである、という主張に加えて、もう一つ、他の宗教・宗派の見解と、大きな矛盾を引き起こす事例がありました。

 それは、元教祖が、書籍などではなく、内輪で弟子・信者にだけ主張していたことですが、彼は、チベット密教の大成就者ナローパであり、さらには、ダライ・ラマ5世であったということです。

ダライ・ラマ五世とは、チベット密教の歴代のダライ・ラマ法王の中でも、ひときわ偉大とされる存在(通称、偉大な五世と言われる)であり、ナローパとは、チベット密教の大宗派であるカギュ派の始祖であるマルパのグルという大人物です。

しかし、麻原元教祖は、事件発覚前までは、現在のダライ・ラマ法王(十四世)を初めとするチベット亡命政府や、現在のカギュ派のグループとの交流があり、その関係が壊れないようにするために、このことは公言しないとしていました。もし、公言していれば、チベット密教サイドとの関係が破綻するのは言うまでもありません。


●元教祖の家族にまで問題は波及

さらに、現在のアーレフの中一部で、私たちが脱会してひかりの輪として独立するまでは、反上祐派とされてきたグループの一部においては、麻原元教祖の次男について、チベット密教のナンバー2の存在であるパンチェン・ラマの生れ変わりであるという主張をしていると聞いたことがあります。

これは、元教祖の三女などが見たヴィジョンなどを元に、元教祖が語ったことですが、実際に、ダライ・ラマ法王サイドに、この件について、(自分の次男がパンチェン・ラマの生れ変わりではないか、ということを示唆するような)問い合わせまでをしたのです。

なぜ、法王サイドに、こんな失礼な問い合わせをしたかというと、その背景には、元教祖が交流していた(親交があると言っても良いだろう)チベット密教のある高僧が、元教祖に送った手紙の中に、その高僧の夢として、元教祖の次男が、パンチェン・ラマの生れ変わりかとの印象を受けかねない内容があったからです(この点について、高僧の手紙の真意は、未だに不明です)。

しかし、当然のことですが、ダライ・ラマ法王サイドからは、元教祖サイドの面子を気遣いつつも、パンチェン・ラマの転生先は、あらゆる示唆・啓示が、日本ではなく、チベットであることを示していると明記された手紙が返ってきました。また、先の夢の手紙を送ってきた高僧も、その判断は、ダライ・ラマ法王がすることであるという手紙を送ってきました。

ところが、この事実は、多くの信者には、伝えられず、今現在も、アーレフの中には、元教祖の次男がパンチェン・ラマの生れ変わりであると信じる信者がいる(らしい)ことは、元オウムの幹部として、ダライ・ラマ法王サイド、そして、信じ込んでいる信者も含め、申し訳なく思います。


●チベットにも似た問題が?

しかし、次に書くことが、もし間違っていれば、深くお詫びしなければなりませんが、恐れながら、そのチベット密教の中においても、どこかで、これに通じる問題が起きている、という情報が多分に存在します。

 チベット密教のナンバー1であるダライ・ラマ法王や、ナンバー2であるパンチェン・ラマ、そして、カギュ派のトップであるカルマパなどは、転生仏とされており、先代が死ぬと、再び、チベットに生まれ変わるとされています。そして、誰が転生仏であるかを(伝統的な手法で)決定する習わしですが、その際に意見が分かれて、二人の候補が対立することもあると聞きます。

この対立は、よく報道されるように、中国政府とダライ・ラマ法王サイドの間に限らず、これまでに、チベット国内での意見対立もあったと聞いています。また、ダライ・ラマ法王の跡継ぎ問題では、11世や12世が、成人前に若くして、死亡していることなどから、政権内の権力闘争など、研究家によって、色々な指摘があります。


●自分も陥りかけたこと

さて、人のことばかり言うのではなく、自分の反省もしておかなければなりませ  ん。

実は、私も、アーレフ教団において、代表として活動していたときに、似たような矛盾を経験しかけたことがあります。

それは、私の周囲の人で、私が、インドの有名な聖者であるヴィヴェーカナンダという人物と非常によく似ているから、その生れ変わりではないかと言う人が出てきたことから始まります。

 教団には、インドヨーガの聖者についてよく知っている人が多く、そのように考える人が、少なからずいたのです。そして、ヴィヴェーカナンダのことを調べてみると、確かに、教団内部の人から見れば、その容姿・性格・行動パターン・活動などについて、私とだぶる部分が、不思議と多く存在したのは事実です。

だからと言って、私自身が、自分の前世がヴィヴェーカナンダであると断言したことはないですが、一時期は、周囲の人と共に、相当にそのロマンに、自分自身も興味津々であった時期がありました。

また、ヴィヴェーカナンダの話以外にも、オウム・アーレフでは、元教祖の前世が、徳川家光であるとされていたので、私が、その重臣ではないかという話がでたり、元教祖が、チベット密教の聖者のナローパであるとされていたので、私が、その有名な高弟の1人ではないかという話も、アーレフ時代には、よく出た話です。

こういった自分の宗教団体のトップとしての経験・過ちを踏まえて、この問題について、今後、どのように考えるべきかについて述べてみたいと思います。


●実際の前世ではなく、シンクロ体験ではないか?

これまでの私の経験によると、教祖や宗教団体のトップなどが、自分の前世は、こうであるとか、来世はこうであると主張する際には、全く何の体験もなく、単にそう考えて、そう主張することはないと思います。

たいていが、先ほども書いたように、ヴィジョンとか夢とか、神のお告げらしき声によって、前世自分は、かくかくしかじかであって、来世はかくかくしかじかになるといった体験をします。さらに、その過去の偉人の性格・言動などが、今の教祖のそれと似ている、といったことが出てきます。

その意味で、教祖当人や信者たちは、全く何もないところから、前世を主張するのではなく、何か、その偉人と教祖との類似性などを感じながら、そのように信じて込んでいくというパターンを取るのだろうと思います。

もちろん、これは、その宗教団体の外においては、ある意味では、全く滑稽な誇大妄想のように思える。しかし、自己優位であり、自己を特別視したいのが人間であって、自分や自分が所属する教団・集団のことになると、客観的な合理的な判断をするよりも、その刺激的なロマンの世界にはまり込んでいくようです。

そこで重要なことは、その団体の内部においては、その主張がもっともらしく聞こえるという事実です。これを逆に言えば、麻原元教祖は、例えばキリストであり、マイトレーヤであると主張したが、オウム真理教の信者達の集団の中では、ある意味では、そう感じられる側面があったということです。

 これは、外部の人たちにとっては迷惑なことでしょう。しかし、これは、新興宗教などの宗教だけの問題ではなく、つい70年ほど前までは、日本も、天皇を絶対神として、アジアを神である天皇が統治するという大日本帝国・大東亜共栄圏という思想にはまり込んでいた事実があります。

自分の所属する団体・集団、そして、自分の国のことになると、冷静な判断がつかなくなるのは、ある意味で、人間世界に共通した問題ではないでしょうか。

よって、問題は、オウム真理教の世界の中では、救世主や仏陀のように信者に感じさせる面があった教祖が、それをオウムの世界の中にとどめずに、自分を日本や世界の救世主である、という誇大妄想的な解釈をしたことにあるとも考えられるでしょう。

そのために、麻原元教祖と弟子達は、元教祖を日本の王(キリスト)とするために、教団を武装化して、ある種の武力革命を構想する、という狂気の行動に出て行くことになったのです。

そうではなく、元教祖が、自分の器を自覚し、オウム真理教の小集団の中だけで、救世主であると振る舞いつつも、外部社会においては、そうではないことを承知し、合理的な教団運営をしていたならば、(教団内の信者に関する犯罪は回避できなかったかもしれないが)少なくとも、教団外の一般人に対するサリン事件などのテロ事件は、発生しなかったはずです。

また、絶対神とされた天皇も、その主張が、日本国家の中にとどまっていれば問題はなかったでしょう。問題は、当時の日本人が、大陸に進出する中で、天皇をアジア世界の王・神として担いで、朝鮮を併合して、朝鮮人を(天皇の)臣民にしたり、中国にも、戦火を広げていったことでしょう。

また、元教祖の次男についても、彼が、正真正銘のパンチェン・ラマの生れ変わりというのは、チベット密教に対する非礼であり、非合理的な主張でしょう。

しかし、パンチェン・ラマは、チベット密教のナンバー2という存在であるから、次男について、元代表の跡継ぎとして、次世代のオウム真理教の世界の中で、長男に続いたナンバー2の存在であると主張するのであれば、少なくとも、信者にとっては、それが事実であるから問題はないでしょう。それならば、信者も惑わないし、チベット密教に非礼を犯すこともないでしょう。

もちろん、一般の方が、次世代のオウム真理教などは望んでいないし、元代表の次男がその信者にとって、元代表の後継者として存在することを望まないことは、私は、よく承知しており、次世代を肯定するつもりは全くありません。しかし、上記のようにすれば、少なくとも、外部社会に迷惑をかけず、内部の信者を惑わさないでしょう。

このように考えていくと、様々な宗教集団において、その集団の中では、その信者にとっては、ある一面で、キリスト、釈迦、マイトレーヤ、法王、大聖者のように見え、その意味で、そういった機能を果たしている教祖やトップは存在します。

そして、推測ですが、そういった事実があるために、教祖当人や、その人の周りの人たちが、過去の偉人の生れ変わりである、といった夢やヴィジョンを見ることがあるのではないかと私は思います。そして、現実においても、その性格や言動の一面が、信者にとっては、その偉人と似ているように見えるのです。

よって、こういった体験は、前世の体験なのではありません。その集団の中では、その人が、ある偉人と似た側面があるということに過ぎない、言わば、シンクロ体験に過ぎないということができます。


●沢山のキリスト、仏陀がいる、という考え方

それは、あくまでも、その小集団の中での話であって、客観的な世界の中で、過去の偉人の唯一絶対の生れ変わりではありません。

逆に言えば、世界には、沢山の集団があって、その集団内部の人々の価値観・心理状態においては、その人が、キリスト、仏陀、マイトレーヤに見える教祖やトップが、沢山いるということではないかと思います。

 その意味では、非常に大雑把になりますが、世界には、その(宗教)集団の数だけ、たくさんの、無数のキリスト、仏陀、マイトレーヤがいる(ように感じられる)、と表現できるかもしれません。

最も小さな例にしては、どんな悪人でも、その人の家族、その子供にとっては、キリストや仏陀の如き、救世主であり、慈悲深い、ということがあります。そして、誤解されるかも知れませんが、麻原元教祖が、今や大分減ったとはいえ、彼から恩恵を受けたと思っている信者にとっては、自分の父親であり、救い手であると感じられるのも、また同じことではないかと思います。

なお、誤解がないように説明しておきますが、私は、そういった信者の精神にとって、元教祖が好ましい存在だったと主張しているのでは全くありません。

しかし、彼らは、サリン事件の被害者と違って、元教祖から被害を受けたという認識はなく、恩恵を受けたと感じているというのは事実です。そして、もし、それから本当に脱却させようとするならば、自分の体験上は、彼らの気持ちを完全に無視して、元教祖を単純に批判するだけでは、心が通じ合わないために、鼻っからたいてい拒絶されてしまい、失敗する可能性が高いでしょう。これは、脱会カウンセリングの専門家が、よく主張することです。

むしろ、脱却させようとする側が、信者にとっては、元教祖が、信者の小世界の慈悲深い父親であり、キリストであると感じられた事実を受けとめてあげた方が、彼らの頑な心が和らいで、彼らの方も、外部社会が、元教祖が、世界全体のキリスト・仏陀であるとは決して認められない事実を受け入れる可能性が高くなると思います。

そして、子供が父親から自立するように導いた上で、自分が、歪んだ心、依存、愛著などによって、大変な盲信をしていたことを自覚するように促すべきではないかと思います。

そして、ここまでのところをまとめるならば、

①世界の中の様々な集団において、その集団内部の人にとっては、過去の偉人のように見えるリーダーが存在する場合が少なからず存在します。

②オウム真理教のように、宗教集団が、自分の教祖こそが、世界でただ1人のキリスト・仏陀であり、他の宗教の教祖はそうではない、偽キリスト・悪魔である、と強く主張するのは、宗教宗派、宗教と社会の対立を招きます。

③一方、信者に対して、その宗教の外部の人が、やみくもに、その教祖を否定するばかりでは、問題はうまく解決せず、いったんは、信者の考え方や気持ちを受け止めた上で、相手の柔軟な考えを引き出して、健全な考え方に導く方がよいのではないか、

ということになるでしょう。


●シンクロ現象について

 ところで、なぜ私がシンクロ(共鳴・共時性)現象と言ったかというと、その背景には、全体とその部分の間には、ある種の繋がりがあるという思想を背景としています。

それは、部分が全体に、全体が部分に投影しているという考えです。

例えば、人間の身体全体の情報が、その細胞の一つ一つにDNAとして潜在的には格納されており、クローン技術を使えば、一つの細胞から、元の人間の身体全体を作り出すことが出来ます。

よって、人間の身体という全体と、その一部に過ぎないある一つの細胞の間には、全体が部分に、部分が全体に投影されているという関係が成立しています。

こういった事例は、この世界に他にも相当発見されており、ニューサイエンスの世界では、複雑系という名前で呼ばれている理論です。

また、仏典の世界では、華厳経の思想において、一即一切(一は一切であり)、一切即一(一切は一である)といった表現で出てくる考え方です。

さらに、仏教の唯識派は、その人が外界に経験する人は、その人の心・深層心理が投影されたものであるとして、人間の内部と外部の相互投影の関係を主張しています。

その意味で、地球人類の全体世界に対して、ある宗教集団は、その小世界であり、この小世界は、(もちろん全ての意味ではないが)、ある側面においては、すなわち、その宗教集団の信者にとっては、全体世界のミニチュアになっている面があると考えられます。

その意味で、それぞれの小世界において、その世界の中の人には、キリスト・仏陀と見える存在がいるということも出来るのではないでしょう。

だとするならば、たいていの教祖が主張する、過去の偉人の生れ変わりであるという主張は、やはり、シンクロ体験に過ぎず、過去の偉人と一対一に対応する、本当の前世の体験ではないと思うのです。


●ヴィヴェーカナンダに敬意を表して

このような解釈と何かしら関係しているのかと思わせる聖者の言葉があり  ます。

その聖者は、先ほど、私の失敗談で出てきた、ヴィヴェーカナンダ、その人であり、彼は、生前に、「何千、何万のヴィヴェーカナンダが現れるだろう」と語っています。

まさか、未来際において、自分の唯一の生れ変わりであると主張する人物が現れるのを避けるためではないのでしょうが、非常に興味深い話です。

今現在の私は、ヴィヴェーカナンダが自分の前世であるとは考えていませんが、ヴィヴェーカナンダの思想は、非常に好きであり、オウム・アーレフから脱却する上でも、非常に参考になります。

そのため、今現在も、私がもっとも崇敬する聖者の1人です。その意味で、21世界の中の無数の集団の中で、無数のヴィヴェーカナンダ的な人が現れることを期待するくらいなら、彼に怒られることはないのかなと思います。

 

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