すべての存在に導きを感じる

3月6日

一元論の教えは、旧教団の思想と対極をなします。

旧教団は、麻原元代表という特定の教祖だけを
世紀末ハルマゲドンの際に現れるキリスト、神の化身と見て、
世の中を聖である教団と邪である社会に分ける、
善悪二元論の思想がありました。

しかし、現実には、
オウム・アーレフの信者が、
どのように自分たちを外部社会と区別しても、
外部社会がなければ、
一日も生きていくことはできません。

そして、一連の事件の結果として、
日本社会を傷つけて壊したが故に、
自分たちの教団も破綻し、
そして、崩壊しよう、としています。

さて、新団体の一元の思想は、
崇拝の対象の大転換に結びつきます。

新団体の崇拝の対象は、一人ではなく、全ての存在です。
全ての人々、生き物、そして、大自然、大宇宙全体です。

特定の一人から、全ての存在への大転換ですが、
ある意味で、一人か全てしかない、とも、感じます。

全ての人々、生き物は、一体で、大宇宙の一部であり、
大宇宙を神仏が創造したと考えれば、
全ての存在は、神の創造物であり、その意味で、神の現れです。

神というと、仏教的ではないですね。

しかし、これは、大乗仏教が説く、
全ての生き物に仏性がある(本質は仏陀と同じである)
という思想と違いません。

仏教、ヨーガ、ヒンズー教を生み出した
インドの古代哲学とも一致します。
すべては宇宙の根本原理とされるブラフマンの現われ、
という思想です。

密教にも、大宇宙は全て仏(=大日如来)の現れ
と説く教えがあります。

さらには、神道とも合致します。
神道は万物に神の表れを認めますし、
全ての人々を神の子と見なしますね。

自分は、ここ数年、色々な存在から
色々なことを教えられました。

例えば、日本の聖地と言われるところで、
色々なことを体験しました。

その中には、当然、伝統的な神社仏閣もあります。

そこでは、それまで、
旧教団の中にしか神聖なエネルギーはない、
と考えてきた私たちの固定観念を打ち破る、
素晴らしいものがありました。

もちろん、全てがそうではないですが、
素晴らしいものがあったことは事実ですし、
私が見つけたものを多くの他の信者に紹介したところ、
同様の印象を持った信者が多くいました。

例えば、無限の慈悲、深い智慧を感じさせる仏像がありました。
宇宙大の大きさの慈悲の心と、
限りなく繊細な優しさを兼ね備えていました。

また、非常に壮大、壮麗な仏像もありました。

旧教団の時代には、教団外の日本の宗教性は無視されていました。
その見直しが始まりました。

こうした、日本の様々な至宝に感謝したいと思います。

しかし、聖地とは、神社仏閣に限りません。

むしろ、神社仏閣は、古来から自然の聖地とされていた所に、
後から作られた、というケースがほとんどです。

だから、私は、大自然からも教えられました。

森、川、山、海、空。

仏教は、そもそも自然に育まれた宗教です。

開祖である釈迦牟尼自身が、
菩提樹の下で悟ったのは有名な話ですね。

その悟りの前も、川の畔で、少女の供養した乳粥を飲み、
川で沐浴しました。

日本は山国で、森が多いですが、
仏教も森の宗教と言われています。

森には、当然、木だけでなく、清らかな小川があります。

近くの山々があり、透明な空があります。

川を流れる水のしなやかさ、これから私と私の法友は学びました。

どのような地形にも柔軟に適応し、
怒ることなく、軽やかに流れていく様。

天と地を循環し、全ての生命にとって、
最も重要な要素となっている様。

また、空や海の広大さからも、学びました。

善人も悪人も区別せず、全てを包み、育む、その広大さ。

真言宗開祖である空海が、空と海を自分の宗教名にしたのも分かります。

陽の光からも、学びました。

万人に、分け隔てなく、
自分のエネルギーを注いで育む、その慈愛。

そして、暗闇を照らし、
物事を識別する力を与える、その光。

陽の光をご来光と呼びますが、
それは如来の光という意味でしょう。

また、聖地・自然を巡る間に、
非常に不思議なことも起こりました。

奇跡的というか、偶然の一致というか、神秘的というか。

ユングの心理学やニューサイエンスでは、
シンクロ現象と言われるものですね。

こうして、元代表のみを師としていた私たちにとって、
元代表に代わる新しい師として、
立ち現れてきたものがありました。

それは、全ての人々であり、
全ての生き物であり、
大自然であり、
大宇宙の全て、
でした。

歴史を振り返ると、古来、人間は、
大自然に、大宇宙に神を見いだしていた、と思います。

というよりは、人は自分を大自然の一部
と考えていたのではないでしょうか。

その後、人は、大自然と自分たちを切り離します。

そして、人の中に王と呼ばれる神の化身を認めます。
旧教団の元代表のように、ある特定の人間が、
大自然のかわりに、神となります。

そして、その臣民としての民族・国家が形成されます。

こうして、人類は発展してきました。

しかし、それ故に、同時に、異なる王、民族、国家の間で、
大規模な紛争・戦争が始まりました。

旧教団も同様で、
日本の中に、日本国家の権威を否定する、
元代表という王を信者が認めたとき、
様々な事件が起こりました。

しかし、歴史上、どんな王も、
世界全体を制することはありませんでした。

その中で、21世紀になりました。

今や、人類は、自分たちと大自然の関係を
見直すべき時代だと思います。

人間は本来は、大自然の一部だ、と思います。

大自然から人を切り離し、特定の人を神を認めたり、
大宇宙を敵対関係と見て、
それを科学技術で克服せんとする西洋思想は、
ご存じの通り限界に来ています。

それは、例えば、地球環境問題を見れば、
議論の余地はないでしょう。

自分たちの本来の姿、
すなわち、大自然の一部としての人間を意識し、
それに基づく宗教思想が必要だと思います。

それは、人だけではなく、
大自然・大宇宙全体に存在する神の現れを考えること。
 
私は、最初はあまりこのようなことは自覚せずに、
聖地や自然にふれあう中で、
徐々に、そう感じるようになりました。

もちろん、その体験の中には、
聖地や神社仏閣だけでなく、教団の内外の様々な方に、
様々な形で、お世話になりました。

オウム・アーレフの信者と知っても、
広い心で受容し、貴重な助言を与えてくださった方も、
少なからずいらっしゃいました。

そこには、未だ残っている、
日本人の多様で豊かな精神性、智慧・愛などを
感じることができました。
そういった人々に感謝したいと思います。

しかし、先ほど言いましたように、
全ての人々、生き物の存在に意味がある、
という考えが強くなってきました。

例えば、善をなす人は、私たちの教師として、
悪をなす人は、私たちの反面教師として、
意味がある、と思います。

それは神仏が、私たちの成長のために与えた、
メッセンジャーだと思います。

誤解を恐れずに言えば、元代表も、
自分たち信者が作り出した教祖である以上、
自分たちの反面教師として、
乗り越えるべきだ、と思います。

こうして、色々な経験、思索の結果、
私たちの新たな導き手は、
全ての人々の中に、立ち現れてきました。

そして、人に限らず、木や石で出来た、
ものを言わない仏像の中にも、
聖なる大自然の中にも、立ち現れました。

全ての存在に、導きがある、という考えが出てきました。

これが、元代表に替わる、
私たちの新しい壮大な「師」です。

その意味でも、新団体の目指す、新しい宗教の創造は、
大自然・大宇宙の流れが生み出すもの、

そのように私は感じています。

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