輪廻転生

第2章 輪廻転生は実証できるか?

1.臨死体験 ~死後の世界はあるか?~

   臨死体験というのは、死に非常に近い状態、心臓が停止した、あるいは死を宣告された人が息を吹き返したり、瀕死の状態を抜け出したあとに、その時その人がした体験をいいます。

   臨死体験が、死後の世界ひいては輪廻転生があることの実証の一躍をになうのは、肉体から離れた意識の存在とそれを含んだ「チベット死者の書」との類似性があげられます。

 

臨死体験での共通する体験

   臨死の体験は、個人差がありますが多くの人に共通した体験があります。
   その共通の体験は

1 平和、幸福な感じ、痛みの消失。
2 自分の体から離れる体外離脱体験。
3 暗闇に入る。トンネルを抜ける。
4 自分の人生をパノラマ的に見る。
5 明るく、慈愛に満ちた、暖かく、魅力的な光の体験。

   ここでいくつかの具体例をあげてみましょう。
  ワシントン大学小児科助教授のメルヴィン・モース博士は、薬物の副作用で意識を失った女性の、次のような体験を報告しています。

   「見おろすと、病院のベッドに横たわっている自分の姿が見えたんです。まわりでは、お医者さんや看護婦さんが忙しく働いていました。機械が運ばれてきて、 ベッドの足元に置かれるのが見えました。箱みたいな形で、ハンドルが二つ突き出していました。牧師さんが入ってきて臨終の祈りを唱え始めました。私はベッドの足元に降りていって、劇の観客のように一部始終を見ていました。ベッドの足元の壁に、時計がかかっていました。私にはベッドに寝ている自分の姿も、時計もよく見えました。午前11時11分でした。その後、私は自分の身体に戻りました。目が覚めた時、ベッドの足元に自分が立っているんじゃないかと捜したのを覚えています。」

   また、ダラス市民病院の医長を勤めたラリー・ドッシー博士の確認によると、手術中の緊急事態で1分間ほど心臓が停止したサラという女性患者は、全身麻酔で意識を失っていたにもかかわらず、手術室の光景を確かに見ていたうえ、手術室から抜け出て他の部屋までさまよったといいます。
   心臓が停止したときの外科医と看護婦の緊迫したやりとり、手術台にかかっていたシーツの色、主任看護婦のヘアスタイル、各部屋の配置といった手術室内部のことのみならず、手術室外の廊下の手術予定表に書いてあった走り書きや、廊下の端にある医師控え室で手術が終わるのを待っていた外科医の名前、麻酔医が左右別々の靴下を履いていたというような些細なことまで、サラの証言はどれも正確なものでした。
   なお、サラは、生まれつき視力がなかったということです。この点も考えると肉体の目とは違う別の知覚能力によって状況を認識していたことになり、肉体とは別の意識の存在を認め得る有力な事例ではないか思われます。

   なお、エリザベス・キューブラー=ロス博士の研究によると、過去10年以上も視力がなく目の見えない患者たちが、臨死体験中に自分を見舞いに来た人々の洋服や宝石の色、セーターやネクタイの色や形までを確かに「見」て、正確に描写することが証明されています。
   さらに、エモリー大学心臓学教室助教授のマイケル・B・セイボム博士は、臨死状態で自分の身体の上空に浮かんで様々なものを見た患者たちについて調査し、「肉体から抜け出している間、本人の意識は、肉体ではなく『分離した自分』の中にあるのだが、完全に覚醒しており意識水準も高く、驚くほど思考が明晰になる。」と報告しています。
 
   肉体から離れた意識が、親族が死者を思い嘆き悲しんでいる姿を見るという「チベット死者の書」の記述と、上記の臨死体験の体外離脱体験の間には、明らかに類似性があります。どうやら、私たちの意識というものは肉体と常に一体のものではないということは真実ではないかと思われます。そして、肉体の死といわれる状態でも意識は継続していることも可能性としては高そうです。

続いて、光との遭遇についての体験例をあげてみます。

   27歳のイギリス女性が心臓停止した状態での体験です。
   「私はしだいに見ることも感じることもできなくなりました。長く暗いトンネルを下っていきましたが、その先にはすばらしく明るい光が輝いていました。私はトンネルを抜けて光の中に出たのです」

   「この光には全く闇がありませんでした。おかしな言い方になりましたが、それというのも、もし光が私たちのまわりに満ちているのでなければ、光のあるところ影がある、というのが普通でしょう。でも、この光はすべてを包み込むような完全なものなので、その光を見たのではなく、光のなかにいたのです。」
(マイケル・セイボム著『「あの世」からの帰還』より)

   上記の体験は、「チベット死者の書」の感覚の衰弱から暗闇という死のプロセスそして原初の光の体験と類似性があります。

   次は、第一部の閻魔様の審判のところでもみましたが、生前の人生のパノラマ的回顧の体験についてみていきましょう。
  
   アメリカのアイオア大学精神科のラッセル・ノイエス博士が報告したボーフォート提督の例です。提督は1795年ポーツマス港で溺死寸前に助かったのでした。

   「私の感覚はなかったが、心は死んではいなかった。心の活動はいままでのどのときよりも活発であった。考えが次から次に浮かんでは消えた。自分の家庭のことと結びついた何千という事件が思い出された。
   次に、思い出はもっとひろがった。この前の航海、さらに前の航海、難破、それから学校時代、子どものころの冒険。このように過去にさかのぼり、いままでの人生のすべてが逆行的に出てきた。
   しかし、この思い出は、単に事実だけが羅列されるのではなく、そのまわりの光景などがはっきり見えていた。つまり、自分の全人生がパノラマ的に自分の前に展開したのだ。そのすべての行為が善悪の判断をともない、原因と結果も明らかだった。実際、もうとっくの昔に忘れていたささいな出来事が頭を満たし、しかも、それらがつい先ごろ起こったかのような新鮮さをもっていた」

   このように人生のパノラマ・ビジョンを見ることは臨死体験において通常あることですが、ある女性は「人間関係の波及効果」とも言うべき仕組みに関する貴重な教訓を見せられたといいます。

   「そこには、人を傷つけてばかりいた私の姿がありました。そして、私が傷つけた人たちが、今度は別の人を同じように傷つけている姿がありました。この被害者の連鎖は、ドミノ倒しのように続いていって、また振り出しに戻ってきます。最後のドミノは、加害者である私だったのです。ドミノの波は、向こうへ行ったかと思うと、また戻ってきます。思わぬところで、思わぬ人を私は苦しめていました。心の痛みが、耐えられないほど大きくなっていきました。」

   臨死体験の一つの体験だけでなく、共通して「意識の鮮明さ」を報告しています。
   「肉体から抜け出している間、本人の意識は、肉体ではなく『分離した自分』の中にあるのだが、完全に覚醒しており意識水準も高く、驚くほど思考が明晰になる。」あるいは、「心の活動はいままでのどのときよりも活発であった。」など。
   このことは、「チベット死者の書」において死後の意識が生前より鮮明であるということと共通しています。

   さて、ここで臨死体験は体験している人の夢や幻影であると批判的にみる人がいますが、すでにみた体外離脱体験の内容からみても単純に夢や幻影であると片付けることは難しいと思われます。さらに、以下の報告によっても夢や幻影であるいは願望の投影と見ることは難しいのではないかと思われます。

   末期の病を患っている子供たちに「誰に一番会いたいか」「誰に一緒にいて欲しいか」と尋ねてみたところ、99%の子供が両親を選んだにもかかわらず、その後に生死の境をさまよって臨死体験をした子供うち、実際に親のヴィジョンを見たのは、親がすでに亡くなっている子供のみであったといいます。もしも、否定論者が言うように、臨死体験が単に本人の願望の投影である(子供たちには臨死体験の知識はないため実際には願望も生じないだろうが)とすれば、99%の子供は死に際して親のヴィジョンを見る可能性は高いはずです。

   この結果を受けて、キューブラー=ロス博士は、自信を持って断言します。

   「何年も研究してきたが、(親が先立っている子供を除いて、臨死体験の時に)誰一人として親を見た子供はいない。なぜなら、両親はまだこの世に存在するからだ。誰に会えるかを決める要因と言うには、例え一分でも先に亡くなっている人で、死にゆく人が心から愛していた相手だと言うことなのである。」
したがって、「臨死体験は幻想であり、死にゆく者の願望が表出したものにすぎない」という否定論者の見解は、成立しないことになると言えるのではないでしょうか。


2.前世療法 ~過去生への退行催眠~

   アレクサンダー・キャノン博士によって、生まれ変わりの科学的研究が始められました。催眠を用いて、1300人以上の被験者を紀元前何千年という昔の記憶にまで退行させることに成功したキャノン博士は、1950年にこう結論づけました。
 
 「何年もの間、生まれ変わり仮説は私にとって悪夢であり、それを否定しようと、できる限りのことを行った。トランス状態で語られる光景はたわごとではないかと、被験者たちとの議論さえした。あれから年月を経たが、どの被験者も信じていることがまちまちなのにもかかわらず、次から次へと私に同じような話をするのである。現在までに1000件をはるかに越える事例を調査して、私は生まれ変わりの存在を認めざるを得なかった。」

    キャノン博士は、過去生への退行催眠によって、被験者たちの精神症状(原因不明の恐怖症など)が治癒されることに着目し、1970年代から80年代にかけて、何千人もの恐怖症患者を治癒しました。この事実が「過去世療法」として知られるようになり、臨床心理学者のイーディス・フィオレ博士によって「もしも誰かの恐怖症が、過去の出来事を思い出すことで即座かつ永久的に治癒されたら、その出来事が実際に起きたに違いないと考えるのが理にかなっている。」と支持されたように、生まれ変わり仮説の信憑性が徐々に研究者たちからも認められていったのです。

   臨床心理学者のヘレン・ウォムバック博士は、何百人もの被験者に退行催眠を行い、被験者たちが報告する、当時の人生で使用していた衣服、履物、食器などは、どの時代のものについても、みな歴史的事実と一致していたと報告しています。この統計的研究の結果、ウォムバック博士は、「道路の脇のテントにいるあなたに、1000人の通行人が『ペンシルバニア州の橋を渡った』という話をしたならば、あなたはペンシルバニア州には橋があるという事を納得せざるを得ないでしょう」という例え話を用いて、生まれ変わり仮説の客観的実証性を認めたのです。

   ジョエル・L・ホイットン博士(トロント大学医学部精神科主任教授)は、ハロルドという被験者が、退行催眠によって過去にヴァイキングであった人生を想い出しながら口にした、その当時の言葉を書き留めておきました。ハロルドは、自分が思いだした22の語句について、どれも理解できませんでした。そこで、専門家に 鑑定を依頼してみたところ、アイスランド語とノルウェー語に詳しい言語学の権威が、それらのうち10の語句について、ヴァイキングが当時使用した言語で現代アイスランド語の先駆となった古い北欧語であることを確認しました。他の語句については、ロシア語、セルビア語、スラヴ語から派生したものであり、ほとんどはヴァイキングが使用した海に関する語句であることが確認されました。
   これらの語句はすでに現存しておらず、一般人であるハロルドが今回の人生で知り得たはずもないため、退行催眠によって導き出された過去生の信憑性を証明する強力な証拠となります。退行催眠で過去生を思い出しながら、今回の人生では知り得ない言語を喋り始める被験者は数多いですが、その言葉は世界中の広範囲に広がっており、古代中国語やジャングルで使われる方言までもが含まれているといいます。

◎退行催眠による「中間世」バルドの検証
   また過去世だけでなく、ホイットン博士は、多くの被験者たちが肉体を持たず意識として覚醒している「中間世」、いわゆる生と生の狭間の記憶を残していることを認識しました。そして、臨死体験及び「チベット死者の書」のバルドの記述との間に類似性を見出しました。

    中間世への旅はたいてい死の場面からはじまります。ホイットン博士は催眠状態に入った被験者をまず前世へと連れもどし、その人生の最後の場面をざっと見てから、ソファに横たわっているその人をバルドの境界へと到達させます。ときどき「今どこにいますか」「何が見えますか」と質問しながら進み具合をチェックしていきます。典型的な例では、被験者はその前世の体とおぼしきものの中で息をひきとり、それから徐々に臨死体験の対象研究を行ってきたレイモンド・ムーディー博士やケネス・リング博士、マイケル・セイボム博士らの医師の集めた体験談とそっくりな話をしはじめるということです。

   被験者たちは、繰り返しこう述べるということです。身体から抜け出した後、下に横たわる自分の身体を「見」てから、トンネルのような円筒状のものを急速で通過していくというのです。
   そして、時間と空間のない光の領域の体験をします。その体験は筆舌につくしがたい強烈なもので、はじめてそこを訪れる者は言葉を失い、畏れおののきのあまり顔をひきつらせ、あたりのすばらしさを表現しようとしてもただ唇を震わすばかりだということです。ある被験者の話はこうです。

   「あんなに良い気分になったのは初めてです。この世のものとは思えないような恍惚感。ものすごくまぶしい光。私にはこの世で持っているような身体はなく、かわりに影の身体、アストラル体があって、宙に浮いていました。地面も空もなく、境界のたぐいはありません。何もかも見通せます・・・」

   また、ホイットン博士の被験者たちの証言は、みな「裁判官」の存在を裏づけており、ほぼ全員が、3人や5人、まれに7人の、年老いた賢人(のイメージでヴィジョン化された魂)の集団の前に出て、一種の裁きを受けたといいます。まさに、閻魔様の裁き、審判です。

   彼らは姿が不明瞭な場合もあれば、神話に出てくる神や、宗教上のマスターの姿として見える場合もあるといいます。これらの指導役の魂たちは、目の前の人物に関して知るべきことは何でも直感的に知り、その人物が終えてきたばかりの人生を評価するのを助けてくれます。被験者たちは、「彼らと一緒にいるとわが身の未熟さを痛感する」と証言します。

   指導役の魂たちは、今終えてきたばかりの人生を回顧するよう促し、目前でパノラマのように、その一生のヴィジョンを見せてくれます。そのヴィジョンを見ながら、終えてきた人生における後悔や罪悪感、自責の念が心の底から吐露され、被験者たちは、見るも無惨なほど苦悶し、悲痛の涙にくれるといいます。他人に与えた苦しみは、あたかも自分がその苦しみを受けるかのように身に沁みるということです。ある被験者は、「まるで、人生を描いた映画の内部に入り込んでしまったかのようです。人生の一瞬一瞬が、実感を伴って再演されるのです。何もかも、あっという間に」と表現します。

    この人生を再現する ビデオテープのようなヴィジョンから、魂は細大漏らさず意味をくみ取り、厳しく自己分析を進めていきます。魂は初めて、自分が幸福を棒に振った時のこと、他人を傷つけてしまった時のこと、命にかかわる危険の間際にあった時のことなどを理解します。私たちの誰もが、終えてきた人生における言動の説明を求められますが、その際に問題とされるのは、我々一人一人の誠実さ、道徳性のみであるといいます。恋人ののどを切った被験者は自分ものどを切られたように感じ、不注意で子供を死なせてしまった被験者は、鎖につながれた自分のヴィジョンを見せられました。生前に裏切り行為をしたある女性は、「あまりの恥ずかしさに、その3人を見上げることもできませんでした」と回想しています。
   このように退行催眠では、過去世を思い出すだけでなく、生と生の中間・バルドの体験もしているようです。

   このように、退行催眠によって「中間生」を思い出した被験者たちと、臨死体験によって「あの世」を垣間見た患者たちとの証言に、極めて共通性があることは注目に値します。被験者たちが思い出した「中間生」と、患者たちが見た「死後の世界」とが同じものを指していることを示唆すると同時に、双方の証言内容が、互いの信憑性を高め合うことになるためです。そして、さらに「チベット死者の書」の記述との共通性も考え合わせるとその信憑性はかなり高くなります。


3.過去生を記憶する子どもたち

   ヴァージニア大学医学部精神科主任教授のイアン・スティーブンソン博士は、過去世の記憶を偶発的に語った幼児の事例を世界中から収集していました。例えば、身体のどこかに「あざ」を持つ200人以上の子供が過去生の記憶を持っており、彼らは一つ前の過去生(前世)において、あざと同じ箇所に弾丸や刀剣などの武器が貫通して殺されたのだと証言したのです。そのうち17の事例について、子供たちが「前世ではこの人物だった」と主張する実在の人物が、実際に証言通りの死に方をしたことを証明するカルテを入手することができたのです。
 
   また、スティーブンソン博士は、 今の人生では知り得ないはずの外国語(真性異言)を話す奇妙な子供たちの存在に着目し、世界中から集めた事例を極めて詳細に調査分析した後、少なくとも 3つの事例が十分に信頼できる科学的事例であることを検証して、1994年に次のように結論づけました。
「通常の手段で習ったことのない、母国語以外の言葉を話す人たちは、実際の練習によって、どこか別の場所でその言葉を習ったに違いない。それは、前世の時代なのではないだろうか。それゆえ、信憑性のある応答型真性異言の事例は、人間が死後にも生存を続けることを裏づける最有力の証拠の一端になると、私は信じている」と。
 
   また、サトワント・パスリチャ博士(インド国立精神衛生神経科学研究所助教授)も、過去生の記憶を持ち「前の両親を覚えている」と主張する人物の事例を45例も収集し、綿密な科学的調査分析を行いました。その結果、生まれ変わりを自覚する人物は、自らが記憶するという過去生について具体的な事柄を語って おり、45例中38例では、前世(一つ前の過去生)における名前を突き止めることができ、生存する関係者によって、その発言内容の正確さが確認されました。
 
   ちなみに、前世を記憶する人物のほとんどが、食べ物、衣服、人物、遊びなどに関する好き嫌いや、刃物、井戸、銃などに対する恐怖症など、異常な行動的特徴を持っていたという。その行動は、今回の人生における家族から見ると奇妙な行動であるが、前世に関する本人の発言とは一致しており、大半は、前世において死亡したときの状況に関していたといいます。例えば、刃物に対する恐怖感を抱いている場合は、前世で刃物によって殺されていたことが判明しました。

   このように、臨死体験、前世療法、過去世を記憶している子どもたちの研究をみてくると、やはり、私たちは単に肉体だけの存在でなく、肉体の死によってすべてがなくなってしまうということはなさそうだという結論が導きだせるのではないだろうか。
   そして、それらの研究が古い宗教的伝統との類似性が多く、私たちが生きていくうえで、あらためて仏教の説く輪廻転生の仕組みに学ぶところは多いのではないでしょうか。
それによって、幸福の道を歩んでいけるものと思います。

 

参考文献
「チベット死者の書」川崎信定訳
「チベット生と死の書」ソギャル・リンポチェ著
「三万年の死の教え」中沢新一著
「現代人のためのチベット死者の書」ロバート A.F.サーマン著
「輪廻転生」J・L ホイットン他著
「臨死体験の不思議」高田明和著
「死んだらどこへ行くのか」瓜生中著
「『生きがい』の夜明け」飯田史彦

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