■ひかりの輪とは何か
ひかりの輪とは何か――宗教ではなく、新しい智恵の学びの場
ひかりの輪とは何か--宗教ではなく、新しい智恵の学びの場
2012年10月23日 代表 上祐史浩
◎宗教ではなく、新しい智恵の学びの場
ひかりの輪は、宗教的な学習は行っていますが、特定の超越者・絶対者を信じる団体ではありません。すなわち、「宗教」ではなく、これまでの宗教というもののさまざまな問題を越えた、21世紀のための「新しい精神的な智恵の学びの場」です。その意味で、いわば、「宗教の学習センター」、「スピリチュアル・アカデミー」といった性格を有しています。
ひかりの輪は、一人一人の中にある神聖な意識、すなわち、「万人・万物への愛(慈悲・博愛)」を育むことを最も大切にしています。神仏というものがあるならば、まさに、その一人一人の中にある神聖な意識だと考えています。
宗教が説く「神」などの崇拝対象は、一人一人の神聖な意識を引き出すシンボル(象徴)であり、それ自体が唯一絶対ではなく、貴方が必要でなければ持つ必要はないし、貴方に有益であれば、貴方に合ったものを尊重すればよく、人によって違ってよいと考えています。これは、宗教間の対立を越えて、諸宗教の融和をもたらす思想でもあります。
活動に参加する皆さんに、自分たちの経験上、日本人に合うと思われる仏像や仏画や自然のシンボルを提示していますが、それは何ら強制ではありません。嫌でなければ、気軽に楽しみ、試してもらえればいいものです。
◎ひかりの輪の目的
ひかりの輪の目的は、従来の宗教の問題・弊害を抜本的に越えつつ、物質的には豊かな現代社会の人々が抱えているさまざまな心の問題・苦しみを和らげ、真の心の幸福・解放・悟りに近づくことです。また、心と連動する体や環境の問題を改善することです。
それは、私を含めたメンバーの過去数十年の体験の反省や成果に基づいて、古今東西のさまざまな思想・哲学・宗教・精神科学・医学などを土台として、「古きを温め新しきを知る」精神で形成し、非合理的なもの、妄信・迷信・狂信にあたるものは、排除しています。
それは、単に、「信じれば救われる」というものではありません。皆さんが自分でよく考えながら学び、納得したものを取捨選択して取り入れ、皆さんのために活かしていただくものです。指導員も、代表である私を含め、普通の意味の先生ではあっても、不完全な人間の一人です。
◎入会しなくても学ぶことができます
入信制度はなく、入会制度がありますが、「入会すれば救われる」という団体(宗教)ではありません。入会は、団体への継続的な精神的・経済的な支持・支援を示すものですが、入会しなくても、一般の立場で、多くを学ぶことができます。さらに、ネットを通して自宅から学ぶことさえできるシステム(ネット道場)を持っています。
よって、ご関心のある方は、お気軽にご参加下さい。皆さんのご参加をスタッフ一同、お待ちしております。
■初めての方のために
【1】ひかりの輪の目的・組織・活動内容など
●ひかりの輪:新しい智恵の学びの場
ひかりの輪は、宗教を越えた、新しい智恵の学びの場です。
特定の超越者・絶対者を信奉しないので、従来の意味での宗教団体ではありません。それは、「新たな精神的な智恵の学びの場」であり、宗教の学習センター、スピリチュアルなアカデミーと表現した方がいいかもしれません。
ひかりの輪の目的は、個々人のためには、心の安定・幸福・悟り、心身の健康、自己実現(願望の成就)などのためのお手伝いをし、社会全体に向けては、人と人、宗教と宗教、国と国、人間と自然、科学と宗教といった間の分裂を越える思想を普及することです。
●ひかりの輪の中核の思想とは
その中核の思想は、「輪の思想」と言いますが、これは、万物を(輪のように)平等一体をみる思想・世界観です。
これは、ひかりの輪に限らず、よく調べれば、「和」とも一体不可分である日本の根本思想であり、人類共通の普遍的な道理だとも考えるものです。これについては後ほど説明します。
●ひかりの輪の団体構成
ひかりの輪は、東京を本部とし、2012年10月の段階で、名古屋、大阪、福岡、長野、千葉、横浜、仙台など、全国8箇所に道場を設けています(※全国の道場)。また、札幌、岡山などで、定期的な勉強会を設けています。
団体の本部と各支部には、皆さんの学習・実践のお手伝いをする「指導員」ならびに、その補佐をする「専従スタッフ」(現在27名)がいます。彼らは、仏教的に言えば、出家修行者です。
さらに、一般会員の皆さんがいらっしゃいます(現在150名ほど)。ただし、ひかりの輪は、入会しなくても、その活動の大半に参加し学ぶことができ、講話会などは、一般の方が、参加者の半数に及ぶ場合もあります。
入会は、団体の活動を継続的に賛助するという意味があり、同時に一定の特典もありますが、詳しくは各支部道場にお問い合わせ下さい。
●ひかりの輪の活動の概要
ひかりの輪の活動の内容としては、その道場において
① 代表を初めとする指導員の講話・質疑応答や個人相談、
② ヨーガや気功、仏教的な儀礼や瞑想といった行法の学習・実践、
③ 団体オリジナルなものを含めた各種のヒーリング、
④ 年末年始・GW・お盆などの連休にセミナーを行ない、それに加えて、
⑤ 全国各地の聖地巡礼
を定期的に行っています。
また、道場以外の活動として、
① 一般の会議室などで行なう懇親会
② 一般の団体のお招きを受け、上祐代表などのトークショー・講演会を行なう場合もあります。
また、このような学習のための教本・DVD・CDの教材や、仏教法具、各種のヒーリング物品を販売や、占星学の鑑定を行っています。
●ネットを智恵の学びの場とする試み
また、団体は各種のHPを運営しており、団体の思想や教えに関する多くの記事や、講話や行法指導の動画が掲示されています。HPは、団体のメインサイト、上祐代表のサイトなど各種運営されています。
こうしたネットの教材が、一種の仮想道場を形成しており、それを「ネット道場」と呼んでいます。団体の活動の予定は、前もって、このHPにも掲示されます。
●その他の活動(対外活動)
ひかりの輪の「広報部」は、報道機関、地域社会、大学等の研究機関の皆さんに対応しており、代表らが、テレビや雑誌の取材に頻繁に応じ、関連サイトを運営しています(※「広報部サイト」、「ひかりの輪から地域社会の皆様へ」ブログ)。
また、「外部監査委員会」を設けており、団体の活動の監査を戴くとともに、後に述べる内観や修験道の特別研修を実施しています(※「外部監査委員会」、「外部監査委員会のサイト」)。
さらに、オウム真理教(現アレフ)の問題に関する総括や対策を行っており、「オウムの教訓」サイトや、「アレフ問題の告発と対策」ブログ等を運営し、ご相談窓口を開設しています。
【2】「学び」と「神仏」に関する考え方
●最初から信じる必要はない
さて、ひかりの輪にも、後に述べる「輪の思想」「輪の教え」「三仏の教え」などの思想・法則・教えと呼ばれるものがあります。
しかし、皆さんは、これらを最初から信じる必要は全くありません。皆さんが、自分でよく考え、吟味して、納得したならば、それを受け入れればいいだけです。
最初は疑うくらいによく吟味するとよいでしょう。そもそも、ひかりの輪の思想・教えは、人が理性によって、論理的・合理的に考えて、納得できるものを中心としています。
諸宗教の思想の学習・研究に加え、心理学の学習の結果も反映されています。言い替えれば、だからこそ最初から信じてもらう必要がないのです。
しっかりとよく考えれば、皆が、適切な結論に至ると思うからです。
●特定の人物・神を絶対視する必要はない
そして、後から述べるように、特定の人物や神を合理的な根拠もなく唯一絶対視することはありません。
上祐代表を初めとするひかりの輪の指導員は、ひかりの輪の思想・実践の先生・教師ではあっても、当然、信仰の対象ではなく不完全な人間の一人です。
学ぶ時は、対象を絶対視せずに、自分でよく考えて、納得いくところを吸収し、そうでないところは、流してしまえばよいのです。
また、これと同様に、特定の思想・教えを同じように絶対視することもありません。そうではなく、世界の普遍的な道理・原理を追求しています。
●いろいろな修行法・ツールも絶対視していない
なお、ひかりの輪の中にも、論理的・科学的には、理由が解明されていないものの、体験的に広く価値があるとされている修行法・ツールを取り入れている部分はあります。
その中には、ヨーガや気功の行法、仏教・密教の瞑想法、瞑想に役立つ聖音・音楽、お香、仏画・仏像・法具、聖地巡礼や、聖地の名水(ご神水・聖水)、一部の占星学、そして、先達とともに瞑想するヒーリングなどがあります。
しかし、それらは絶対視する必要はなく、半信半疑でもよいし、「自分には合わない」と思えば、使わなければよいだけです。
●「内側の神仏」と「外側の神仏のシンボル」
ひかりの輪では、神仏とその信仰のあり方について、新しい思想を提唱しています。
まず、一人一人の中の神聖な意識があり、それを「内側の神仏」と考えます。そして、その神聖な意識を引き出す手段として、外側に「神仏のシンボル」があると考えます。
この外側のシンボルは、仏教徒なら仏陀、キリスト教徒ならイエス・ヤハウェ、イスラム教ならマホメット・アラーといった、特定の人や神・仏などです。
要点は、この外側のものは、一人一人の「内側の神仏」を引き出す「シンボル」ではあっても、それ自体は唯一絶対のものではなく、人に応じて、さまざまな「シンボル」があってよく、全くシンボルを持たなくても、また同じようによいということです。
この思想は、人の中の神聖な意識(「内側の神仏」)を重視し、従来の宗教が崇拝対象とした外側の存在を「絶対視せず」に、しかし「軽視もしない」で、「神仏のシンボル」として「内側の神仏」を引き出す手段と位置づけています。
そして、両者の合体が、神聖な意識を引き出す=内側の神仏が目覚めるとするのです。
●シンボルは人によって違ってよいし、なくてもよい
そして、外側のシンボルは、人によって違ってよいと考えます。
自分に縁があると感じる(自分の意識を高めてくる)外側のシンボルは、人によって違ったり、確たるシンボルがない人もいたりするのも自然なことです。
だからこそ、さまざまな宗教があって、人類が一つの宗教の下には統一されないのです。ある人は、仏陀、ある人は、イエス、ある人はマホメットでよく、ある人は、何かの仏像・仏画、ある人は、何かの大自然でもよく、ある人は、確たるシンボルがなくてもよいのです。
●シンボルは、宗教間の対立を越える思想では?
こうして、ひかりの輪は、何か一つの特定の神仏、ないしは神仏の化身とされる特定の人物を信仰することを義務づける「宗教」というものとは異なります。
外側の人や物を絶対視するグルイズムや偶像崇拝などの従来の宗教でもありません。
そして、この考え方が、宗教界に広まるならば、異なるシンボルを持つ宗教間の対立を解消できるのではと考えています。
独善的・排他的な傾向のある従来の「宗教」ではなく、21世紀の新しい時代に合わせ、多様性を認める智恵の思想ではないでしょうか。
【3】ひかりの輪の「輪の思想」
●輪の思想:万人万物が平等で一体
ひかりの輪の中核の思想は、「輪の思想」です。
それは、「輪」という言葉が象徴するように、「万人・万物が、輪のように一体であり、等しく尊い」とする世界観です。万物平等一体の思想です。
では、この思想の意味合いを説明する準備として、まず、現在の社会の問題・苦しみの分析をしておきましょう。
●現代社会:拡大と競争の幸福観の行き詰まり
現代は、「今より、もっと」、「他人よりも、もっと」と、財物や名誉・地位を求め、幸福になるという考え方が主流です。
財物や名誉・地位に恵まれることが幸福で、そうでない者は不幸として、自分と他人の区別し、勝ち組・負け組などに、人を二分化することになります。お金と勝利、拡大と競争を重視した経済競争社会です。
しかし、その現代社会は、行き詰まりの様相を示しています。
バブル崩壊の後の長い経済停滞、日本に限らず、欧米にも広がる財政赤字・景気低迷、失業者、自殺者、鬱病を含めた精神疾患の増大など。
多くの人が、果てしない拡大と競争を求める資本主義が、人を本当に幸福にするのかを疑い始めています。
●行き詰まりの根本的な原因は何か
それは、なぜでしょうか。その理由を仏教開祖の釈迦牟尼は予見していました。
まず、「今より、もっと」、「他人よりも、もっと」と求めても、欲求には際限がないために、満ち足りることはありません。
例えば、統計的な調査には、日本ぐらいの所得水準に到達すると、所得が増大しても、人が感じる幸福感は必ずしも増えないとするデータもあります。
もはや日本人は、お金では幸福が買えない状態に達したのかもしれません。
一方、得られない場合は、苦しみますし、いったん得てしまうと、以前は必要なかったものさえ、それを失うと苦しみが生じます。そして、そのように皆が求め合う中では、当然、他との奪い合いが生じ、恨み・辛み・妬みの苦しみが生じます。
例えば、自殺は、統計が始まった1890年以来、2000年代の今現在が、最も多くなっています。今は、バブルの崩壊後の問題があるとはいえ、途上国時代や敗戦直後よりも多いのです。年間3万人、未遂を含めると数十万人となっています。
鬱病は、この10年で倍増し、数百万にのぼります。体の病気は、医療技術の進歩で、先進国は少なくなりましたが、心の病は途上国と違いがないとも言われます。
物は豊かな社会の中で、心が病んでいます。
無数の人が、日常生活に強いストレスを感じています。こうして、私達は、今までの拡大と競争一辺倒の幸福観の転換、ないしは、少なくとも、幸福観の多様化が必要な状態に来ているのではないでしょうか。
●ひかりの輪:「感謝と分かち合い」の幸福観
そこで、ひかりの輪は、「新しい幸福観」を提唱しています。
それは、「感謝と分かち合い」による幸福です。この感謝と分かち合いが深まると、落ち着いた、大きな、温かい心が生まれ、それによる幸福を感じることができます。
さらには、心が静まることによって、直感力を含めた智恵が増大してきます。感謝と分かち合いによる幸福と比較すると、従来の「今より、もっと、他人より、もっと」とお金や勝利を求める幸福観は、不満と奪い合いに基づく幸福ということができます。
それは、その裏側に、満ち足りない・求めても得られない・得たものを失う・奪い合うといった苦しみがあることは、前に述べました。
感謝と分かち合いは、そういった苦しみがなく、落ち着いた満ち足りた状態をもたらすものです。仏教では、仏の慈悲の境地と言われるものです。
そして、この新しい幸福感を得るための鍵となるのが、今までとは違った世界観=輪の思想なのです。
●苦楽・優劣・自他を極端に区別している
その説明をする前に、従来の「不満と奪い合いの幸福観」は、どういった世界観を持つものでしょうか。
① それは、まず、財物や名誉地位といったものを喜びと考え、それが少ないことを苦しみと考えます。
② 次に、自分と他人を分け、自分だけに沢山の財物や名誉・地位を求めます。すなわち、自分と他人の幸福は別のもの、奪い合いと考えます。
③ そして、人を勝ち組・負け組、優れた者・劣った者を分け、皆が勝ち組を目指して競争します。しかし、実際に皆が勝ち組になれることはあり得ません。
こうして、幸福と不幸(楽と苦)、優と劣(善と悪)、自と他(の幸福)というものを極端に分けているのです。これを二元論と呼ぶ場合があります。
●ひかりの輪の一元論:輪の思想
これに対して、感謝と分かち合いの幸福感では、一見して別々に見える二つのもの、すなわち、楽と苦、優と劣、自と他といったものが、実際には全く別のものではなく、輪のように繋がっており、表裏一体の側面があるという思想に基づいています。これを一元論という場合があります。
まず、苦と楽については、先ほども述べたように、楽の裏に苦しみがあります。
そして、よく考えると、苦しみの裏にも恩恵があります。これが苦楽の輪です。また、優と劣については、どんな人にも欠点はあり、どんな人にも長所はあり、さらに言えば、長所の裏には短所、短所の裏には長所があります。
例えば、勝ち組だと奢れば、慢心で失敗し、負け組の経験を活かせば、他の苦しみを理解する人間になる可能性もあります。これが優劣の輪です。
さらに、自と他については、人は自分の力だけで生きているのではなく、多くの他者・万物に支えられて生きています。
また、蜘蛛の糸が説くように、本当の幸福とは、自分だけが幸福になっても得られるものではなく、他の幸福と共に得られるものです。これが自と他の輪です。
そして、これらの苦楽、優劣、自他の輪を含め、万人・万物・森羅万象についてしっかりと分析すると、「万物が一体であり、等しく尊い」という世界観が出てきます。これを「輪の思想」と呼んでいます。
●輪の思想は、日本の根本精神、世界共通のシンボル
聖徳太子の十七条憲法に説かれた「和の思想」は、日本の精神・文化の中核・根本とされますが、この和の思想は、ひかりの輪の「輪の思想」と一体不可分なものです。
具体的には、万人を平等一体とみる輪の思想は、縄文時代以来の日本の根本精神です。そして、それに基づいて、聖徳太子の和の思想が出来たと考えられます。
さらに、心理学者の研究によると、世界の諸宗教・諸文化に共通するシンボルとして、輪・円があります。
仏教の「法輪」、大乗仏教の曼荼羅、禅の円相、道教の太極図、古代遺跡の環状列石・ストーンサークルなどなどです。これらの詳細は、後に述べるように、このHPに掲示されている特別教本に書かれています。
●「輪の思想」は多面的な内容を含む
なお、詳しく言えば、ひかりの輪では、「輪の思想」には、具体的には、三つの側面があるとしています。今お話ししたのは、その中で一番重要なものであり、仏教の三つの仏様の思想に因んだものなので、「三仏の輪の法則」ないし、「三仏の一元法則」と言います。
これに加え、「三乗の輪の法則(三乗の一元法則)」、「三性の輪の法則(三性の一元法則」といった教えがありますが、ここでは説明を省略します。
また、先ほど行った「三仏の輪の法則」の説明もごく概略的なもので、実際には、もっと深み、広がりのある法則です。これらの法則の詳細に、ご関心があれば、このHPの「思想と教え」のコーナーに掲示されている「特別教本」をぜひご参照ください。
【4】「感謝・尊重・愛の教え(三仏の教え)」とは
●感謝と尊重と愛の重要性
前に述べた通り、輪の思想に基づいて、ひかりの輪では、感謝・尊重・愛の三つの心を深める実践が、心の幸福にとって、非常に重要だと考えています。
先ほどは、「感謝と分かち合いによる幸福」と言いましたが、それを完全に表現すると、「感謝と尊重と愛」の三つです。
この教えは深いのですが、その一端を説明すると、まず、「感謝」の重要性は、果てしなく欲求すると、さまざまな苦しみが生じるので、努めて、今ある恵みなどに気づいて「感謝」することが、心を幸福・豊かにする上で非常に重要です。
次に、「尊重」ですが、人と人を優劣で二分化すると、慢心や卑屈・妬みといった問題・苦しみが生じるので、自と他の万人・万物を平等に尊重することが重要です。
最後に、「愛」については、ここでの「愛」には、多少特別な意味があります。
それは、自と他(の幸福)が別々のものだと考えると、自己中心的になって不幸になるので、自と他が繋がっている、一体であると気づいて、万人・万物を愛することです。
すなわち、他者と自分が一体だと見て愛する、自と他を一体として愛することです。
●三仏の教え
ひかりの輪では、この感謝・尊重・愛の三つの教えを「三仏の教え」と呼んでいます。
三仏とは、「釈迦牟尼」、「観音菩薩」、「弥勒菩薩」といった有名の三つの仏さまのことです。
感謝が、釈迦牟尼の教え、尊重が、観音菩薩の教え、愛が、弥勒菩薩の教えとしています。
そして、この感謝・尊重・愛の教えを突き詰めて考えていくと、最終的に、「万物に感謝する」、「万物を尊重する」、「万物を愛する」という考え方が、真の幸福をもたらすことがわかります。
これは、直ちにはわかりにくいと思いますが、それはわかりにくくて当然ですから、心配しないでください。
というのは、これは、心の完成者である仏陀の境地の状態を表しているからです。しかし、よく考えていくと、この考え方・教えの正しさと重要性がわかります。
しかし。その詳細は、ここでは書ききれませんから、ご関心があれば、HPに掲示している特別教本をご覧ください。ないしは、ひかりの輪の各支部道場の指導員にお尋ねください。
そして、前にも述べましたが、最初からこれらを信じる必要は全くありません。
いえ、最初から信じてはいけません。
皆さんが、自分でよく考えて、むしろ疑問を持って、よく考え、納得したならば、受け入れればいいだけです。
●三仏心経
そして、この考え方をスムーズに身につけるために、ひかりの輪では、一つの工夫をしました。
それは、この考え方をわかりやすい言葉で現したごく短いお経を作って、それを唱えることで、身につけやすくしたのです。
それを「三仏心経(さんふつしんぎょう)」と呼んでいます。
この三仏心経とは、「三仏の教えの中心の教え」といった意味です。この名前は、仏教の有名な経典である般若心経(般若経の中心の教えという意味)に習ったものです。それは、ごく簡単なお経で、次の通りです。
「万物恩恵、万物感謝
万物仏、万物尊重
万物一体、万物愛す」その意味も読んで字の如くで、
「万物を恩恵と見て、万物に感謝する
万物を仏の現れと見て、万物を尊重する
万物を一体と見て、万物を愛する」そして、この三仏心経の詳しい意味合い、そして、唱えるときのやり方、さらには、
唱えながら行なう瞑想の仕方などについては、やはり特別教本を見てください。
●ひかりの輪は、仏教信仰を義務づけていない
なお、ここで、「三仏」とか、「三仏心経」、「般若心経」といった仏教の用語が出てきましたが、ひかりの輪は、仏教的な思想を取り入れてはいますが、仏陀を信じないといけない団体ではありません。
単に日本が仏教国であり、仏教文化が浸透しているので、教えのネーミングに、仏教的な表現を用いている場合が少なくないだけです。
ひかりの輪の教え自体は、貴方に、仏陀・仏教への信仰があろうとなかろうと、その効果に全く違いはありません。
理性によって合理的に考えて、教えが正しいと納得できたら、それを日常の生活に活かしたり、修習したりすることで体得していただければよいのです。
【5】「心を変える四つの修行」
どのような心の持ち方が望ましいかはわかっても、心は、自分の意志で自由に変えることができないのが問題です。
仏教やヨーガは、その発祥以来、この問題に取り組んできました。
そもそも、「ヨーガ」という言葉の元の意味が、体操ではなく、(否定的な)心の働きを止滅することを意味するくらいです。最近では、心理学の心理療法もそうかもしれません。
そこで、ひかりの輪では、心をよい方向に変えていくために、四つの訓練・修行があるとしています。
それは、心を直接的に変えることができなくても、心が連動しているものを変えることで、結果として心を変えるのです。
●ものの考え方(教学)
第一に、ものの考え方です。
考え方は絶えず、心の状態と連動しています。
前向きな考え方をすれば、心は明るくなり、後ろ向きな考え方をすれば、暗くなります。よって、どのような考え方が、心を明るくするのかを学び、それをなるべく訓練=修習することが重要です。
宗教的な言葉を使えば、これは「教学」ということになります。
なお、この際も、主体性・自立心を持って学ぶことが大切です。
どんな考え方、教えに関しても、自分でよく吟味し、納得した上で、実践してください。
「誰かが言っているから、やろう」というのではなく、自分で納得する必要があります。
教学には、
① 単に学んだだけの知識の段階、
② 論理的に十分に理解できた段階(推理智)
③ 教えを体得・体感した状態(直感智)の段階があります。
③の体得の前には、十分な理解が必要です。
●日頃の言動(功徳)
第二に、日頃の言動です。
日頃の言動も、心の状態と連動しています。
ですから、考え方が正しくなっても、言動が正されなければ、心は十分には変わりません。
よって、例えば、「感謝・尊重・愛」といった三仏の教えを学んだならば、日常生活において、それに基づいた言動をするように、自分なりに努めることが重要です。
また、各宗教が説く戒律の中には、心が悪い方向に向かわず、良い方向に向くように、日々の言動の基本を規定したものがあります。
各宗教で戒律は異なり、解釈も人によって異なりますが、共通する戒律には、人の心・体・人間関係・環境を良い方向に導くものが少なくなく、ひかりの輪では、不要な殺生をしない、盗みをしない、邪淫をしないといった、仏教の十戒などを参考にしています。
こうした戒律を全て、盲信する必要はありませんが、自分なりに、その意味合い・重要性が理解できたならば、なるべく実践した方がよいでしょう。
なお、こうして、日々の生活で、良い心や言動を積み重ねることを、仏教で「功徳」を積むと言います。
●身体を整える(行法)
第三に、人の身体は、心と密接に連動しています。
正確に言えば、体には目に見えないエネルギーの流れ=「気」があり、それが「気持ち」と連動しています。
「気」は、肉体とも連動し、「気」に問題がある場所が、「病気」になるとされます。
こうして、心と気と体に繋がりがあるので、逆に、体を整えて、気の流れ、心を整えることができます。
これを実践するのが、「行法」と呼ばれているものです。
例えば、ヨーガの体操や呼吸法や仙道の気功は、体の側面から、心を整えます。
さまざまなものがありますが、ひかりの輪では、研究の結果として、「数種類のタイプのヨーガ行法」と、「流体循環気功」を提供しており、詳細がHPの「ヨーガ・気功」の部分に、掲示されています。
行法は多種多様で、他にも、
① 心身に良い影響がある座法を組む、
② 心身を浄化する言葉(真言、マントラ)を唱える、
③ 心身に良いイメージ・観想をする(例えば神仏の姿形など)といったものがあり、これらを組み合わせた瞑想行法があります。
また、瞑想状態をさらに改善するために、五感から良い刺激を取り入れることが有効です。
そのためには、
① 仏像・仏画・自然などの視覚的なシンボル、
② 仏教法具などが奏でる神聖な音(聖音)、
③ 瞑想用の特別なお香、
③ 瞑想に良い特別な飲み物(ハーブティー・聖水)、
⑤ 身につける仏教の法具などのさまざまな「ヒーリングツール」を活用しています。
●環境を整える(聖地)
最後に、心と体に大きな影響を与えるのが、それを取り巻く環境です。良い環境は、良い心の状態を作る大きな手助けとなります。
ひかりの輪では、
①自宅・自室をよく掃除して(霊的にも)浄化すること、
②団体の道場に通うこと、
③自然の聖地に巡礼行くことなどを説明しています。
この中の聖地巡礼については、HPの「聖地巡礼」の部分をご覧下さい。
また、このひかりの輪の四つの修行(教学・功徳・行法・聖地)については、より詳しい説明が、代表の講話にありますので、それをご覧ください。
【6】感謝の心を深める「内観」
●内観とは?
ひかりの輪では、「内観」という感謝の心を培う自己内省法を取り入れています。
内観とは、浄土真宗の一派に伝わる「身調べ」という修行法から派生し、その後、宗教的な要素を取り除いて、誰もができる自己反省法として確立されたものです。学会もあって、海外にも広がっています。
その方法は、至って簡単で、内観専門家の指導のもと、自分がこれまでの生涯で、両親・親族・友人知人に、
① 他人から、していただいたこと
② 他人に、して返したこと
③ 他人に、迷惑をかけたことを1つ1つ思い出していくという作業のみを、丸1日~1週間ほど集中して行なうというものです。
なお、親がいない人は、親代わりに育てくれた人を親と見て行います。
●内観の効能、現代人に重要な感謝の心
内観の良さは、感謝の心=愛が深まり、幸福感が増し、心が安定することです。
また、感謝の心が深まれば、人間関係も改善します。
そして、その延長上には、仏教が説く悟り、心の解放、慈悲の体得の土台にもなります。
逆に、心理学では、子供時代に親の愛を認識できず、感謝の心が乏しい場合は、自分の価値がわからなくなり、それを感じようと、自己中心的な傾向が生じるとも言います。
そうした人は、傲慢に見えますが、自分の価値がわからないのですから、卑屈でもあります。
そのため、逆に、他と壁を作り、内向的になり、疎外感を感じる場合もあるようです。
しかし、現代の日本では、親を尊敬する子供は、半数に満たないという意識調査もあります。敗戦による父権の喪失もあるでしょうが、経済成長重視の競争社会で、「もっと、もっと」という欲求が深まり、感謝よりも不満の心が生じやすくなっています。
こうした状況の中で、感謝の心を深める内観は、非常に重要です。
親などの愛を認識し、感謝が深まれば、健全な形で自分の価値=自尊心を形成できます。
すなわち、自己と他者の双方に対する愛を育むことができるのです。
さらに、内観が深める感謝の心は、仏陀の智恵が説いた真の幸福の道、すなわち、足るを知って、他と分かち合う道とよく合致します。
さらに、慈悲の心を持つ菩薩になる修行の道として、全ての生き物に対する感謝の心を培う教えがあります。
こうして、悟りを求める人にも、感謝・内観は重要です。
●ひかりの輪の内観セミナー
実際には、講義を含めて「数時間」のものから、祝日などを利用して丸1日行なう「1日内観」、さらには、2~3日のもの、1週間合宿して行なうものなどがあります。
ひかりの輪では、祝日などを利用し、内観の国際的な権威の大学教授の方の指導の下で行なう「内観セミナー」が、各道場で定期的に行われています(基本的に一日内観)。
この貴重な機会を是非ご活用下さい。
より詳しく内観についてお知りになりたい方は、HPの「自己反省法・内観」のコーナーをご参照ください。
【7】ひかりの輪の聖地巡礼
●聖地巡礼の恩恵
ひかりの輪では、団体の発祥の経緯が、上祐代表らの聖地・自然での体験であったこともあり、聖地巡礼を重要な活動の一つだと位置づけています。
2002年以来、聖地・自然の中でのさまざまな瞑想体験や自然との交感・不思議な体験が、団体の思想を徐々に育んできました。
聖地巡礼の良さは、
① 聖地や純粋な自然によって、心身が浄化できること、
② 聖地の自然・歴史・文化から様々なことを学ぶことができること
③ 聖地・自然と一体となる悟りの境地に近づくことができることなどがあります。
また、内観のところで、親などに対する感謝の重要性をお話ししましたが、私たち人間をはぐくんでいるのは、究極的には大自然全体であり、親の親とも言うべきものです。その大自然に親しみ、感謝・尊重・愛を培うことは、感謝の心を極めていくことであり、万物と一体となる悟り・慈悲の体得にも非常に重要だと思います。
●ひかりの輪の聖地巡礼
ひかりの輪では、単純聖地やその神社仏閣を巡礼・参拝するだけでなく、団体がまとめた資料に基づいて、その聖地に関する歴史・文化の学習をしたり、現地の自然の中で、瞑想や儀礼を行なったりするなどして、その効果を高めています。
これまでよく巡礼した聖地としては、長野の諏訪・戸隠・善光寺・上高地・乗鞍・小諸、京都のさまざまな神社仏閣や比叡山、奈良の東大寺等の神社仏閣、三輪山・大神神社、飛鳥・斑鳩、天川・吉野、さらには、高野山、伊勢神宮、そして、富士山と周辺の神社仏閣・日光・鹿島神宮・大洗磯前神社、千葉の鋸山日本寺、東北の出羽三山などです。
他にも、熊野三山、出雲大社、三徳山、福岡の宗像大社、熊本の阿蘇山や阿蘇神社等、宮崎の高千穂神社、十和田神社とその周辺、平泉、京都の天橋立・籠神社等、大阪の四天王寺等、四国の剣山等、都内の神社仏閣、鎌倉の神社仏閣も巡礼しました。
●修験道の特別研修も
また、東北の出羽三山の聖地巡礼では、修験道の先達の方の特別な指導を受けて、本格的な修験道の特別研修を毎年行っています。
修験道は、山の思想とも言われ、山を仏の母胎とみて、山に入って、心身を浄化し、人ではなくて山・大自然から学び、自己を見つめ直し、生まれ変わった気持ちで、世俗に戻るという思想があります。
ざっと述べましたが、ひかりの輪の聖地巡礼は実に多岐にわたる内容・体験を含んでいますので、その詳細に関しては、HPの「聖地巡礼」のところをご覧下さい。
【8】ひかりの輪の聖地での体験
●ひかりの輪は、聖地巡礼の体験から生まれてきた
ここでは、ひかりの輪の団体の発祥に関係する、聖地でのさまざまな体験についてざっと述べたいと思います。
その中には、いわゆる不思議な御縁を感じるものが多数あったのです。
まず、「輪の思想」も、聖地・自然との交感で生まれてきました。
2002年の6月1日、上祐代表は、この思想の一部について瞑想したところ、大きく気づくところがありました。そして、その直後に天空に太陽の周りの虹の光の輪が現れており、合計で七つもの虹が出ていたのです。これは、上祐代表らに大きな影響を与えました。
ひかりの輪の団体名も、この体験に由来します。
●聖徳太子縁の聖地で不思議な体験が続く
その後、上祐代表らは、繰り返し虹の体験をしていきます。
その中でも説く印象的だったのが、2002年11月の富士山の麓における天に立ち上るような光の柱のように鮮明な虹でした。その直ぐ近くに、偶然にも、聖徳寺というお寺があり、その祭壇に虹の写真がありました。
その理由は、かつて聖徳太子が、この場所で虹を見て、聖地だとされたからでした。
この頃から、巡っていた聖地が、不思議にも、太子ゆかりのものが多かったことに気づき、太子縁の聖地に関心を持って、その一つとして、京都の広隆寺を参拝し、名高い弥勒菩薩半跏思惟像を拝観しました。
その時、上祐代表らは、その仏像の中で、素晴らしい瞑想体験をしました。
それは広大無辺の慈悲の心・慈悲の空間のように感じられました。
そして、これがきっかけとなって、私たちは、それまで所属していたオウム真理教の後継団体である宗教団体アレフを脱会し、「ひかりの輪」として独立するに至りました。
また、日本有数の山岳景勝地である上高地に滞在したときは、毎日ように虹を見て、合計で7回も見ましたが、そこでも、上祐代表らは、いろいろな気づきや宗教的な体験をしました。
代表によると、自然は貪らず、あるがままに生きる教師のように感じられ、そう感じたときに、自分が周辺の自然が一体化し、大きく温かい心が一杯に広がったように感じたと言います。
そして、「私」よりも、「大自然」の方に、本当の自分の中心があり、自分は大自然の一部のように感じたと言います。
こうした体験から、感謝と分かち合いや、自と他の一体性を重視する、ひかりの輪の一元論的な思想が温められていきました。
その後、ひかりの輪の道場も、太子と縁があることがわかりました。
長野の小諸市の道場近くには、観音菩薩を祀る真楽寺がありますが、この寺には、太子が立ち寄られたと伝承があります(他に長野で、こうした伝承を持つお寺は見つかっていません)。その境内の気の流れが非常に良いため、よく参拝していたお寺でした。
大阪の道場は、偶然にも、太子が仏教導入をかけた物部氏との闘いの前に勝利する神意を得た場所に立った神社に非常に近く、その神社の分社は、道場のビルの目の前にあります。
その本社にあたる太子信仰のメッカとして名高い四天王寺にもごく近くにあり、その四天王寺を参拝した時も、太陽の周りの虹が何時間も出ていました。
●太子の「十七条憲法」と、ひかりの輪の思想の合致に気づく
その体験をする前後、改めて太子の十七条憲法の思想を研究すると、偶然にも、その中に、ひかりの輪の思想、特に「観音菩薩の教え」としたものと、全く同じ内容が、しかも、「輪」という同じ喩えを使って説かれていたことに気づきました。
それは、
「自分はかならず聖人で、
相手がかならず愚かだというわけではない。
...おたがいだれも賢くもあり愚かでもある。
それは鐶(耳輪)には端がないようなものだ」というものです(十七条憲法第十条)。
実は、太子は観音菩薩の化身とされており、特に、輪という言葉が入っている「如意輪観音」の化身とされています。
こうして、ひかりの輪の聖地巡礼では、このような不思議な虹の体験や偶然の一致が連続し、最後には、それが、巡礼とは全く別のところで温めていた輪の思想と合致するに至ったのです。
さらに、一部の識者の見解として、以下のような意味もあります。
① 太子は、万人が平等という「輪」の人間観に基づいて、
「和をもって尊しとなす」と訓戒したこと。② 輪の思想は、縄文時代にまで遡る日本の根本思想であること
(縄文時代は、住居を輪のように配置した環状集落や、
環状列石があり、上下身分の区別・差別のない共同体だった)。
●親鸞・法然・最澄・空海ゆかりの聖地
他に、私たちが気に入って、毎年のように巡礼した聖地の中には、不思議と、長野の善光寺・戸隠・鹿島神宮など、後から気づいたのですが、親鸞上人ゆかりの聖地でした。浄土真宗開祖の親鸞上人は、阿弥陀如来の慈悲は平等であり、悪人も救われる機会があると説いた人でした。これは、私たちには、大きな励みになった教えでした。
その教えを、自己を悪人と自覚することで、正しい教えに巡り会う機会があると解釈すれば、宗教者が慢心を戒め、謙虚さを保つことの重要性を説くものとして、非常に重要だと思います。
また、親鸞上人は、聖徳太子を観音菩薩の化身と信じており、太子の夢のお告げを得て、その後に師となる法然上人に出会いました。
その法然上人は、別名を「円光大師」といい、名前からして、ひかりの輪とご縁があるように感じています。
名高い伝教大師最澄にもご縁を感じました。
その天台宗では、釈迦・阿弥陀・薬師の三仏が祭られていますが、それは、伝教大師が三つの「光の輪」を見た結果だと言います。
ひかりの輪も、釈迦・観音・弥勒の三仏を特に尊重しているのですが、密教の考え方では、この三仏は、天台宗の三仏と一体とも解釈できます。
伝教大師は、全ての人に平等に仏性(未来に仏陀になる可能性)があるという思想を広めた人で、ひかりの輪の思想の中核、特に万人を平等に仏の現れと尊重する観音菩薩の教えと合致しています。
伝教大師も、自分を聖徳太子の弟子と考え、深く崇敬しています。
その最大の聖地である比叡山の根本中堂は、宇宙の全ての生き物の苦しみを悲しむかのような広く深い慈悲の波動を感じました。
また、ひかりの輪は、密教の法具を瞑想やヒーリングに多用していますが、密教の法具を日本で最初に本格的に導入したのは、弘法大師空海です。
その高野山の弘法大師の御廟は、非常に明るく神聖に感じられる空間でした。
そして、そこで、上祐代表が手の平の上に、弘法大師ゆかりの法具(金剛杵)を置いて瞑想していた時に、何かのエネルギーが法具から腕を通して入って来て、その後、法具がひとりでに震動を始めた(ように感じる)体験をするということがありました。錯覚かもしれませんが、こうした体験が、日本人が広く弘法大師を信仰する歴史が出来た原因かもしれません。
なお、ひかりの輪は、太子を初めとする過去の聖人も絶対化・神格はしません。
太子も、「人を神として崇めてはならない」としています(その意味では仏教開祖釈迦牟尼も。同様に戒めています)。
太子が説くように、人は皆平等に尊いという思想を重視しています。
最後に、ひかりの輪の聖地巡礼でのさまざまな体験については、詳しくは、このHPの聖地巡礼のところをご参照ください。
【9】日本・世界の思想・宗教の今後
今は、大きな時代の変化の時が始まりつつあるように思います。
政治も、新興勢力が現れて再編される様相ですが、宗教界も同様ではないでしょうか。昨年あたりから、20世紀後半に、注目を集めた宗教のカリスマが他界したりと、大きな変化を迎えているように思います。
サイババ、ウサマ・ビンラディン、文鮮明が過去の人となりました。
まもなく、麻原彰晃が続くでしょうし、他の20世紀の新宗教の中心人物も、人生の終末を迎えつつある人が少なくありません。
それともない、少なからぬ宗教団体が、大きな岐路・変化を迎えていると思います。
アレフ(旧オウム真理教)は法的責任を追及されて解体に向かい、オウムと同じように選挙に出て惨敗し、教祖が妻との離婚を始めとする訴訟問題を抱え込んだK教団も大きな岐路にあるようです。教祖が高齢となった巨大教団Sもそうではないでしょうか。
こうした20世紀の宗教は、特定の人物を神の化身として絶対視する傾向が強いものでした。
それは、外部社会の客観的な視点から見れば、盲信とか、カルトに映るでしょう。
科学合理的な精神からは、受け入れることができませんし、度々反社会的になります。
しかし、その一方で、経済的な拡大と競争の勝利ばかりを重視する価値観は、多くの人にとって心身が安らぐものではなくなっています。
特に日本では、長期の経済的な低迷や市場原理主義の導入もあって、ストレス、鬱、自殺、いじめなどの問題が、相当に増大しています。
物質的に豊かな社会の中で、心の苦しみは、かつてなく蔓延しているようにも思います。
その問題の緩和のためには、現状への不満と奪い合い、拡大と勝利ではなく、感謝と分かち合いの精神、そして、万人の尊重と一体感の重視が、今後重要になると思います。
そして、その実現のためには、「宗教」というものを抜本的に超えた、「新しい精神的な智恵の学びの場」が必要であると思います。
ひかりの輪は、オウム真理教の手痛い教訓を活かし、過去の贖罪としても、21世紀の社会のためにも、それを創造していきたいと思います。
■宗教の「妄信」と「智恵」
宗教の「妄信」と「智恵」――ひかりの輪は「智恵」の再発見を目指す
宗教の「妄信」と「智恵」--ひかりの輪は「智恵」の再発見を目指す
今のほとんどの宗教は、自分たちの信奉する、特定の神や、神の化身とする人物(教祖)を唯一絶対視し、それ以外のものを否定・排除します。よって、それを信じない人たち(外部社会)は自分の下に置き、他の宗教はしばしば対立の対象となります。そして、カルト宗教の場合は、社会全体が対立の対象となります。
そして、「入信しなければ、救われない、幸福にならない、悟れない」と説き、また、「脱会すれば、不幸になる、地獄に堕ちる」といった恐怖や不安を煽ります。逆に、具体的・客観的な根拠無く、「入信すれば、絶対者に近づき、一般の人より上の存在になり、救われる、幸福になる」と主張します。こうして、客観的に見れば、被害妄想や誇大妄想に導くのです。
私たちは、こういった妄想や恐怖は、本当の意味で、人の精神を解放するものではないと考えます。逆に、自分たちを絶対視して、傲慢・盲信に陥ったり、他を極端に否定・攻撃したり、脱会を極端に恐れたりなど、結果として、「自分のことばかりを考える人格」に陥りかねないと思います。
しかし、本来の古き良き宗教の中には、こうした妄想や恐怖を中心とした「妄信」ではなく、人の心を落ち着いた大きな温かいものにする「智恵」がありました。
例えば、お釈迦様は、「自分のことばかりを考えるが故に逆に苦しむ」と説き、それを和らげる無我の教えや、万人・万物を愛する慈悲の教えを説きました。そして、「自分を崇めよ」とは言わず、「自分の教えを、先ずは疑うくらいによく吟味し、納得して修習しなさい」と説きました。
ところが、その後、釈迦牟尼が神格化され、釈迦以外の仏がさまざまに現れ、特定の仏や経典を唯一絶対視する風潮が強まり、さらに、それが形骸化した形で現在に至っています。この結果、貴重な精神的な「智恵」は、現代人がとうてい理解できない、古代の外国の言語や奇妙な儀式・習慣の中に深く埋もれてわからなくなりました。
そして、ひかりの輪が行っていることは、宗教の「妄信」や「形骸化」を越えて、人の心身の幸福に役立つ「智恵」について、現代の人々に合った形で、それを創造的に再発見することです。それは、理性に基づいて考えれば、納得できる合理的な思想や実践であって、妄信・迷信・狂信ではないものです。
こうして、21世紀の社会のために、新しい智恵の学びの時代を切り開きたいのです。皆さんのご理解とご協力をお願いします。
■団体名の「ひかりの輪」の意味
団体名の「ひかりの輪」の意味
団体名の「ひかりの輪」の意味
「ひかりの輪」という団体名には、さまざまな由来があります。
まず、上祐代表を中心としたひかりの輪のメンバーが、団体を発足させるきっかけとなったのは、日本のさまざまな聖地・自然の中での体験でした。その中で、重要な気づきがあった時などに、不思議と、空に、太陽の周りの虹の光の輪を見たのです。日暈ともいわれるとても美しい現象です。ここから、ひかりの輪という団体名が来ています。
そして、「輪」という言葉は、輪のように、万物が平等で一体であるという思想・人間観・世界観を示しています。実は、聖徳太子の名高い「十七条憲法」でも、輪をたとえとして、「万人を平等に尊重すべき」と説かれています。
さらに、この「輪」は、太子が説いた日本精神の根本である「和」にも通じます。万人・万物を平等に尊重する「輪の思想」から、万人・万物の調和・平和を願うものです。また、心理学者の研究では、輪は、世界の諸宗教や文化に共通する神聖なシンボルとも言われます。例えば、仏教の法輪、大乗仏教の曼荼羅、禅宗の円相、仏陀やキリストの輪状の後光、道教の円形の太極図、古代遺跡のストーンサークルなどです。
そして、「ひかり」とは、物理的な光に限らず、智恵の光、精神的な光を意味します。光がなければ、物を見ることができませんが、どのようにしたら幸福になるかを知るために必要なのが、智恵の光です。仏教でも、物事を正しく理解できず、不幸になることを無明・無智と言い、これを越えるものが、仏陀・菩薩の智恵(智慧)の光とされます。
こうして、「ひかりの輪」とは、万人万物が平等一体という智恵に基づいて、万人万物への尊重や愛を育むことを示し、その「智恵と愛の輪」の広がりを願った名前です。
この名前を一つのシンボルとして、ひかりの輪は、21世紀において、個々人の智恵と慈悲が増大して、人と人の和合が進み、諸宗教諸民族の対立が解消され、宗教と科学が融合して人類の叡智が進化し、さらには、人類と大自然・地球との調和が深まることを願っています。
■ひかりの輪のシンボルマークの意味
ひかりの輪のシンボルマークの意味
ひかりの輪のシンボルマークの意味
これは、ひかりの輪の聖地巡礼に良く現れる、太陽の周りの虹のひかりの輪と、仏教で、仏陀と仏陀の教えの象徴とされる法輪(ダルマ・チァクラ)を重ね合わせたものです。
青空のイメージを背景に、法輪の真ん中から、太陽を表すひかりが四方へと放射されています。「ひかりの輪」にぴったり合った、美しいマークとなりました。
(2011年5月)
ご注意--ひかりの輪と仏教の関係
なお、ひかりの輪が、シンボルマークに仏教の象徴を使ったり、祭壇に釈迦牟尼を置いたりしているのは、釈迦牟尼・仏教を絶対としているからではありません。
実際に、ひかりの輪は、日本の伝統文化に根付いている、聖地・自然の巡礼をするなど、自然信仰的なアプローチや、神道的なアプローチも尊重して、その学習に取り入れています。ただ、日本が基本的に仏教国で、文化的に仏教的なシンボルに馴染みが深いために、そうしているとご了解ください。また、今後は、仏教以外の日本的文化・シンボル、自然や神道的なものが、団体の要素として、増えていくとも思います。
釈迦牟尼を置いた理由は、先ほど述べたように、釈迦牟尼自身は、「自分を崇拝するな、めいめいの自己をよりどころとせよ」と説き、個々人にあった教え(方便)を説いた人であり、その考え方が、新団体の理念・思想とよくマッチしていたことなどのためです。
■団体規約
「ひかりの輪」会則
「ひかりの輪」基本理念
基本理念
■外部監査制度
「ひかりの輪」外部監査制度について
先日すでにお伝えしましたように、当団体は、オウム事件再発防止の観点に立って団体運営が適正になされているかを外部から監査していただくための外部監査制度の導入に向けて準備をしてまいりましたが、昨年(2011年)12月17日付で正式に発足しておりますので、ここにお知らせいたします。
■ひかりの輪とアレフの大きな違い
ひかりの輪とアレフの大きな違い
ひかりの輪とアレフの大きな違い
私たちは、5年前にアレフを脱会し、過去の反省に基づき、ひかりの輪として新しい道を歩み始めました。しかし、依然として、ひかりの輪とアレフが、同じオウムの後継団体だという誤解がよくありますので、今回は、ひかりの輪とアレフの違いをわかりやすく説明したいと思います。
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1 両者の違いの概略
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まず、両者の違いの概略を簡潔に説明します。
(1)ひかりの輪
前にも述べましたが、ひかりの輪は、特定の教祖・神を信じる「宗教」ではなく、宗教を越えた、新しい智恵の学びの場です。宗教学習センターのようなもので、入会しなくても学べる、新しいタイプの宗教の学びの場を提供しています。
また、ひかりの輪は、麻原・オウム信仰を脱却し、事件を謝罪して、被害者団体と賠償契約を正式に締結し、定期的な経済報告をしつつ、その実行に努めています。(「オウムの教訓サイト」、「広報部サイト」参照)
さらに、松本サリン事件の被害者の河野義行氏らを招いて外部監査委員会を設置し、活動を定期的に報告し、その監査・指導・助言を受け、広報活動を含め、外部社会との融和に努めています。なお、河野さんを含めた、一部の被害者やご親族の方々と交流しています。
団体の思想や活動のお知らせは、こうした団体のHPや、ネットで所属と実名を明かした指導員が行っており、アレフに関して問題視されている覆面布教は行っていません。
そして、発足以来5年の間、団体の活動で信者が刑事摘発されたことは一切なく、さらには、専用のブログを開設するなどして、下記のアレフの洗脳教化などの違法行為の告発・解決に努めています(「アレフ問題の告発と対策ブログ」)。
また、団体規模も、出家者は27名と小規模です。2007年にアレフを脱会し、発足して以来、オウム以来の教義が抜本的に変わる中で、出家会員の数は半減し、また、オウム信仰の崩壊の影響もあって、一部には、うつ病を含め、心身を病むものが出ました。
具体的には、27名の中で、60代~80代での高齢者が7名(認知症・要介護の老人や視聴覚の障害者を含む)、同時に精神疾患の者が2名、他の病気療養中の者が1名で、出家会員の10名近くが高齢者・病人であり、その多くは団体による生活扶助を必要としています(仮に脱会した場合は、生活保護が必要となると思われ、実際に最近脱会した複数の者が生活保護を受けています)。
なお、一般会員を含めても、会員総数は180名です。団体は、入会を強調しない方針もあって、発足以来、会員数は増えていません。ただし、一般として外から学ぶ人、通う人、ネットの中継講話などを聞く人は、徐々に増えていると思います。
外部に就労している人は9名前後で、団体の道場で、仏教的な思想の学習、ヨーガ・気功等の指導、個人面談、その他のヒーリングの指導や、事務・経理・広報活動に従事している者が、全国八支部に散って、合計で13名前後です。
総資産も1700万円程度と小規模で(アレフの30分の1ほど)、総資産の6分の1以上の賠償金(最低300万円以上)を毎年支払っています。
(2)アレフ(Aleph)
一方、アレフは、麻原を絶対とし、近年ますます麻原回帰し、自分たちの帰依が麻原の死刑を遅らせる(遅らせている)とまでも盲信しています。(→詳しくはこちら)
オウム事件については、表向きは教団の関与を認めつつも、広報活動はほとんど行なわず、その裏側で、事件は陰謀だとする布教をしています。
具体的には、アレフを隠した覆面ヨーガ教室を行い、その中で、輪廻転生を強調し、修行しないと地獄に堕ちることを強調したり、さまざまな陰謀説を説いたりして、オウム事件も陰謀だと主張するなどといった、詐欺的・洗脳的な布教活動を行っています。(→詳しくはこちら)
この覆面ヨガ教室の関係で、先日、滋賀県の信者が詐欺罪で摘発・起訴されました。他にも団体活動に関して信者が逮捕された事例があります。(→詳しくはこちら)
団体の規模は、出家者の総数は、定かにはわかりませんが、数百名前後と大規模であり、先の詐欺的教化により、公安調査庁によると、昨年だけでも、数百名の新規信者を獲得し、構成員は、1000名を超え、急増させています。(→詳しくはこちら)
そして、資産も、流動資産だけで4億円以上に上り、さらに、東京の足立区に、大型のビル物件を取得し、資金力も急増させています。それに対して足立区は、教団を規制する新たな条例を導入しましたが、アレフは、その条例の違反にも問われています。(→詳しくは、足立区の「オウム真理教(アレフ)対策」のHP)
こうして、新たな地域問題を起こすほどに、資金が潤沢にもかかわらず、ひかりの輪と違って、被害者団体と賠償契約を締結することは拒絶しています。ただし、教団が潰されることを恐れ、教団防衛のために、賠償金ではなく、寄付をしていますが、その額は、総資産の40分の1ほどと、ごくわずかにとどまっています(寄付ならば、麻原・教団が事件に関与したこと認めたことにならない)。
そのため、賠償を担当する被害者の支援団体(オウム真理教犯罪被害者支援機構)が、2012年の3月に、アレフを相手取って、東京地裁に、不履行となっている賠償金の支払いを求める調停を申し立てました。(→詳しくはこちら)
また、同支援機構は、現在は被害者団体の資産であるオウム真理教の著作物を無断で使用している著作権侵害の停止も求めています(この著作権侵害は刑事犯罪でもあります)。
(→詳しくはこちら)
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2 徐々に認められつつある両者の違い
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しかしながら、この違いは、依然として、公安当局には十分に認められておらず、昔のイメージをコピーした形で、両団体を同一するかのように扱われている面があります。ただし、オウムを良く知る弁護士や評論家の方の一部には、すでに両者に違いがあることを理解されている方が出てきているように思います。
例えば、カルトやオウム問題に詳しい紀藤正樹弁護士は、『サンデー毎日』(2012年7月1日号)誌上で、
「ひかりの輪はアレフから追い出された少数派であり、
教団というよりサークルに近い。
サリン事件のようなことをやれば、団体として大変なことになると
分かっていた幹部連中が追い出された。サリン事件を体験していない人たちが幹部となったアレフには、
『事件には何かしらの意味があった』と思っているような信者が残りました。アレフ信者の、麻原彰晃に対する信仰の度合いは、95年以前と同じで、
むしろ個人崇拝、帰依度は高まっている。
昔との違いは、サリンを作るような施設がない点だけです...
今もアレフが勢力を拡大している事実を深刻に受け止めないといけません。」さらに、オウム問題で著名な江川紹子氏も、ツィッターで、上祐代表の過去のオウム時代の行為の責任の重さを指摘した上で、
「現時点の問題という点では、だんまりを決め込み、
事件への反省のないまま麻原信仰を続け、
被害者への賠償も放り出して施設を拡充し、
詐欺的勧誘を続けているアレフの存在の方が、
(ひかりの輪よりも)遙かに問題は大きいのではないか。
(アレフの)荒木広報の悩んでるふり、考えてるふりに
ごまかされてはならない。」と述べている(6月17日)。
また、先ほどの述べた被害者支援団体(オウム真理教被害者支援機構)は、2009年7月に、アレフが賠償契約を拒否する中で、ひかりの輪とは、別個に賠償契約を結び、ひかりの輪とアレフとを区別して扱っています。
さらに、最近の報道機関については、事情を正しく理解し、単純に過去のイメージ・当局の見解を垂れ流すのではなく、ひかりの輪とアレフをきちっと区別して報道する記事も徐々に増えてきました。
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3 項目別の両者の違い
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1 会員数
(1)ひかりの輪
【会員総数】:約180名
【会員総数の変化】:2007年の発足以来、微減
※入会を強調せず、一般の参加者を歓迎する方針。
【専従会員(出家会員)の総数】:27名
【専従会員総数の変化】:発足以来、半減以上(発足時は56名)
※オウム教義の破棄などのため。
(2)アレフ【会員総数】:(推定※1)1000名以上
【会員数の変化】:(推定※1)昨年だけでも200名増【出家者総数】: 正確には不明、200名弱か
※1 公安調査庁関係の報道から推定2 経済規模など
(1)ひかりの輪
【資産】:1700万(流動資産)団体の公安調査庁報告から
【財務の報告・監査】
① 外部監査委員会(河野義行委員長)への報告と監査
② 賠償契約を締結した被害者団体への定期的な報告
(2)アレフ【資産】:(推定※)4億(流動資産)+都内大型ビル(2億相当)
※公安調査庁関係の報道からの推定額賠償契約を拒否し、財務の報告・監査なし。
3 遵法精神の有無
(1)ひかりの輪:
①発足以来、事件の謝罪・反省を深め、団体の活動に関係して、信者が逮捕・起訴されたことはない。
②下記のアレフの違法行為をHPで告発し解決に努めている。
「アレフ問題の告発と対策」http://alephmondaitaisaku.blog.fc2.com/
(2)アレフ:複数の法令違反・違法行為がある
複数の法令違反・違法行為がある
① 被害者団体(※)に対する賠償契約の不履行・契約更改の拒絶
被害者団体の申し立てにより、現在、東京地裁で調停中
(※)正確には「オウム真理教犯罪被害者支援機構」(以下、被害者支援機構)
→詳しくはこちら
② 被害者支援機構に帰属する元オウム真理教の著作物の著作権の侵害
被害者団体の申し立てにより、現在、東京地裁で調停中
※オウム真理教の著作物は賠償のために現在、同機構に属する
→詳しくはこちら
③ その他の法令違反の疑いもある:詳細は上記のHP。
◎覆面ヨーガ教室による詐欺的・洗脳的な教化
アレフを隠した覆面ヨーガ教室で、オウム事件の陰謀論を説いて、
アレフに入会・布施させる詐欺的・洗脳的な教化・勧誘活動
そのため、2012年5月、滋賀県警が詐欺罪で信者3名を逮捕、2名起訴。
(一審は被害者男性の供述が変遷しているとして無罪、検察は「控訴を含めて慎重に検討する」としています。
2013年3月14日)
また、各地で勧誘された人の苦情があり、ひかりの輪で相談を受けている。
→詐欺的・洗脳的な教化について
4 オウム事件の謝罪・反省・賠償
(1)ひかりの輪
① 麻原の関与を含め、オウムの関与した事件の反省に基づき、謝罪を繰り返し表明し、一部被害者
・親族の方と交流※。※参考http://hikarinowa.net/public-info/recompense/
② また、2009年に、オウム真理教犯罪被害者支援機構(以下同機構)と、被害者賠償契約を
正式に締結し、履行している。※参考http://hikarinowa.net/public-info/recompense/compensation-contract/
③ オウム時代の反省・総括を団体全体で濃密に行い、発表している。
・HP『オウムの教訓サイト』で公表。
・さらに、上祐代表および幹部会員が、一般の出版社から書籍を刊行(及び刊行予定)
・宗形真紀子『二十歳からの20年間--"オウムの青春"の魔境を超えて』(三五館)
④ 残存するオウム問題(アレフの違法行為・刑の執行)の解決に努めている。
※参照http://alephmondaitaisaku.blog.fc2.com/
(2)アレフ① 事件の反省なし
(1) 一部の信者は、事件は、絶対者の麻原の深い考えによるもので、悪とは判断できず、「謝罪・賠償をするのは正しくない」と考え、
(2) 一部の信者は、事件は、麻原が関与を否定しているように、権力者の陰謀で、「謝罪・賠償の要求は、本来不当だ」と考えている。
② 賠償契約の不履行・更改の拒絶と、寄付の実行
上記の理由で、賠償契約は不当だが、教団防衛のために(団体が潰されないために)、善意の第三者として一定額の寄付を実行し、機関誌・信者にPRしている。
5 教義・思想・教材
【1】オウム真理教の教材
(1) ひかりの輪① オウム真理教の教材は廃棄し、全く使用していない
(観察処分の審査・裁判・総括用に必須な一部のみ厳重管理)② ひかりの輪の一元論思想に基づく新たな教材を作成・使用している。
(2)アレフ
① オウム真理教の教材を全面的に使用(著作権侵害)
② サリン事件以前の教材の復刻も行っている。
【2】麻原の見方
(1)ひかりの輪カリスマ性はあったが、誇大妄想・被害妄想的な人格障害があり、一連の事件の過ちに至り、いまだに反省できない人物と分析。※公安調査庁も、「ひかりの輪の教義には、外形的には、麻原を崇拝する内容はない」と認めている(同庁の観察処分の審議の主張証拠より)。
(2)アレフ麻原は神の化身・絶対的存在。事件にも深遠な意味があり、絶対的な帰依の対象。
【3】オウム事件の見方
(1)ひかりの輪自らハルマゲドンを起こし、予言された救世主になろうとした麻原の狂気の誇大妄想・被害妄想が引き起こした事件であり、許されない。
※公安調査庁も、ひかりの輪の教義には、外形的には、殺人肯定の危険な内容はないと認めている(同庁の観察処分の審議の主張・証拠より)。
(2)アレフ麻原の深遠な考えによるもので、否定出来ない。ないしは、国家権力の陰謀である。
【4】信仰対象
(1)ひかりの輪特定の神・教祖を信奉しない=宗教団体ではない、新しい智恵の学びの場
個々人の中の神聖な意識を重視して、外側のものは、それを引き出す象徴。
(2)アレフ麻原とその本体であるシヴァ神に絶対的に帰依し、それ以外の人物や神仏は、格下または外道・邪教として否定。
【5】世界観・基本的な思想
(1)ひかりの輪: 一元論万物は「輪」のように繋がり一体で、皆等しく尊重すべき。
(よって、教団を善、社会を悪とする善悪二元論を否定)
(2)アレフ: 善悪二元論教団は善業多き魂、社会は悪業多き魂という善悪二元論。
社会は、麻原・教団を弾圧している。【6】組織の透明性・開放性の有無
1.行事・教材の公開性
(1)ひかりの輪
主要な行事・教材は、インターネットで生中継・録画公開するなどして、会員以外の一般人も、どこからでも視聴・購入できる。
一般人も会場で直接参加できる(※ひかりの輪HP参照〈http://hikarinowa.net/〉)。
(2)アレフ主要な教材は、会員しか購入できず、秘密主義的である。
※そもそも、その教材の販売は、著作権侵害であり、この問題のためか、最近は、教材販売は益々秘密主義的に。2.報道機関・地位住民への対応
(1)ひかりの輪① 広報部が報道機関の取材依頼に適宜対応、ネットでも情報発信
※ひかりの輪広報部HP参照〈http://hikarinowa.net/public-info/〉)。
② 地域住民の組織的な反対運動がある地域(東京・大阪)は、情報提供と
話し合いの申し入れを継続し、話し合いが実現したケースも。
③ 地域住民の方向け情報発信をするHPを開設し、不安解消に努めている※『ひかりの輪から、地域のみなさまへ』参照〈http://ameblo.jp/hikari-chiiki/〉
(2)アレフ① 取材依頼を原則拒否しており、コメントの発信も稀である。
② 地域住民からの働きかけは基本的に無視している。3.外部監査の受け入れ
(1)ひかりの輪: 外部監査委員会(河野義行委員長)昨年末、サリン事件被害者の河野義行氏や大学教授など招いて設置。
① 定期的に活動内容を文書・会議で報告し、助言・指導を受け、
② 各施設で、説法会などの活動や、施設設備の監査を受け、
③ 自己反省法や伝統宗教との交流などの精神的な指導も受けている
※外部監査委員会HP参照〈http://hikarinowa-gaibukansa.jp/〉)
※財務に関しては、外部監査委員会に加え、被害者団体にも定期的に報告している。
(2)アレフ自主的な外部監査制度などは一切無い。
4.布教活動の形態
(1)ひかりの輪団体の公式HPや、所属と実名を明かした指導員が行っている。
(2)アレフアレフを隠した覆面ヨーガ教室を幹部信者と一般信者が行っている。
その中で、オウム事件を陰謀とする洗脳的教化が行われている。











